大空を見上げて

日頃感じていること

明るい霊園

2008-09-22 | Weblog
 昨日は妻は教会に、私は仕事で千葉の房総(山武)に出掛けた。
時間の余裕があったので、千葉東霊園に墓参りがてら掃除に行って来た。
丁度お彼岸で多くの家族連れで霊園はいっぱいで、駐車場も少し待たされたが天気もよく念入りに掃除ができた。
花を供え亡父母や先祖に「皆がんばってるよ!」と報告して無事に終えて気持ちが良かった。

この霊園は、昔の墓地のイメージと違って、とても明るく宗教的にも自由で、面白くユニークな言葉が書かれているお墓が多くあり、時代の流れを感じた。

日本の歴史をみると、徳川時代~明治の初期に、幕府は宗教を統制する為強制的に国民総家族にお寺の檀家政策をとった。
幼い時より年に何回か親とお寺に行き、お経を聞きお墓参りしたが、暗いイメージで、子供心に死んだらこの様な所に来るのはいやだなーと恐怖心があった。
今でも歴史当時の檀家政策の為、80%仏教国日本の状況はあまり変わっていないと思う。
また足利時代、僧侶があの世にいったら地上の名前と同じではいけないと言って、戒名を陳情した歴史がある。
最初は武士階級以上だったが、総国民檀家制度と同時に明治初期より庶民も戒名をつける様政府よりお寺を通じて許可がでて、一般化して現在まで続いてる。
戒名は格差があり、院号を付けるか付けないかで値段が変わり、高い院号の値段はその都度お坊さんが考えるが、安くても100万前後だといわれている。
松田家の先祖達はみな院号が付いている。
昔から人が死んだら「坊主丸儲け」と言う言葉がある。
その時代の僧侶が考えた事が今も引き継がれている。

以前、我が家のお寺は山口県にあったが、寺の修繕費を一口70万で3口お願いします、と各檀家に割り当てが来たことがある。
それをきっかけに、墓守をする人もいなくなるし、いろいろ考え、亡き父とも相談して故郷の山口県からこの千葉東霊園にキリスト教式のお墓を作り移動した。
たくさんあった松田家代々の墓を掘り返して、お骨をまとめて焼き一つの骨壷に入れ、もう一つ亡き実母の骨壷と二つを持って来た。

今、私の家のお墓は緑も多く広く静かな場所にあり、お墓には「国籍は天にあり 松田家」と書いてある。
移動は大変だったが、16年前にやっておいて良かったと思う。

      (写真:秋の花・ムクゲ)
コメント (3)
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