(飛鳥寺)
飛ぶ鳥の 明日香の里を 置きて去(い)なば
君があたりは 見えずかもあらむ 〔元明帝 万葉集巻一 78)
(これから私は明日香の里から遷都して藤原京へと向かう途中だが、振り返って
見ると あれ、あの見え隠れしているあたりが貴方〔亡夫 草壁皇子)の眠っている
処なのだろうか、、、)
冒頭の「飛ぶ鳥の」は次の明日香に掛かる枕詞であるが、「飛鳥」単独でも(アスカ)と読まれる
ことはご存知のとおりである。 だから(アスカ)というとき、「明日香」と「飛鳥」の両方が使われるが
この両者にはどんな関係や繫がりがあるのだろう?
これについては古くからいろいろの説があるがまだ定説には到っていない。
その中からユニークな二つをご紹介しよう。
① 古代王朝交替の大乱であった壬申の乱後、都を大津から明日香の地にと里帰りした天武帝に
地方から赤鳥が献上された。 これは瑞兆だとして年号を (朱鳥) に改元した。
この 都=明日香と朱鳥=飛ぶ のふたつを結び付けて 明日香=飛鳥 とした。
② 欽明天皇(陵墓は明日香村にある)時代に仏教の伝来があってからというもの 仏教の発展と
国家の体裁の為、明日香村にはおびただしい数の寺院が建てられた。飛鳥寺、大官大寺、
薬師寺、川原寺、橘寺、山田寺などさして広くも無いのに多くの堂塔が犇きあった。
そしてこの村には古くから沢山の渡来人がいて、(檜隈地区) 村民との交流も深かった。
渡来人のあいだでは塔のことを「トブ」、寺のことを「トリ」と彼の地の言葉で言つて指差していた。
それで堂塔の多い明日香村のことをかれらの言葉で「トブトリ」=飛鳥というようになった。
筆者はどちらというと②のほうを採りたいが、皆さんはどちらかな?