学歴・身分制度の根深い害

~現代の教育について分析しています~

外国語学習について

2018年12月11日 | 日記
内田樹のブログより。『外国語学習について』
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外国語学習について語るときに、「目標言語」と「目標文化」という言葉があります。
「目標言語」というのは、今の場合なら、例えば英語です。なぜ英語を学ぶのか。それは「目標文化」にアクセスするためです。英語の場合であれば、ふつうは英語圏の文化が「目標文化」と呼ばれます。

僕らの世代において英語の目標文化ははっきりしていました。それは端的にアメリカ文化でした。アメリカ文化にアクセスすること、それが英語学習の最も強い動機でした。僕たちの世代は、子どものときからアメリカ文化の洪水の中で育っているわけですから、当然です。FENでロックンロールを聴き、ハリウッド映画を観て、アメリカのテレビドラマを観て育ったわけですから、僕らの世代においては「英語を学ぶ」というのは端的にアメリカのことをもっと知りたいということに尽くされました。
(中略)
つまり、英語そのものというよりも、「英語の向こう側」にあるもの、英米の文化に対する素朴な憧れがあって、それに触れるために英語を勉強した。英米のポップ・カルチャーという「目標文化」があって、それにアクセスするための回路として英語という「目標言語」を学んだわけです。
(中略)
しかし、まことに不思議なことに、今の英語教育には目標文化が存在しません。英語という目標言語だけはあるけれども、その言語を経由して、いったいどこに向かおうとしているのか。向かう先はアメリカでもイギリスでもない。カナダでもオーストラリアでもない。どこでもないのです。
何年か前に、推薦入試の入試本部で学長と並んで出願書類をチェックしていたことがありました。学長は英文科の方だったのですけれど、出願書類の束を読み終えた後に嘆息をついて、「内田さん、今日の受験者150人の中に『英文科志望理由』に『英米文学を学びたいから』と書いた人が何人いると思う?」と訊いてきました。「何人でした?」と僕が問い返すと「2人だけ」というお答えでした「後は、『英語を生かした職業に就きたいから』」だそうでした。
僕の知る限りでも、英語を学んで、カタールの航空会社に入った、香港のスーパーマーケットに就職した、シンガポールの銀行に入ったという話はよく聞きます。別にカタール文化や香港文化やシンガポール文化をぜひ知りたい、その本質に触れたいと思ってそういう仕事を選んだわけではないでしょう。彼らにとって、英語はたしかに目標言語なのですけれど、めざす目標文化はどこかの特定の文化圏のものではなく、グローバルな「社会的な格付け」なのです。
(中略)
僕は中学校に入って初めて英語に触れました。それまではまったく英語を習ったことがなかった。1960年頃の小学生だと、学習塾に通っているのがクラスに二三人、あとは算盤塾くらいで、小学生から英語の勉強している子どもなんか全然いません。ですから、FENでロックンロールは聴いていましたけれど、DJのしゃべりも、曲の歌詞も、ぜんぶ「サウンド」に過ぎず、意味としては分節されていなかった。それが中学生になるといよいよ分かるようになる。入学式の前に教科書が配られます。英語の教科書を手にした時は、これからいよいよ英語を習うのだと思って本当にわくわくしました。これまで自分にとってまったく理解不能だった言語がこれから理解可能になってゆくんですから。自分が生まれてから一度も発したことのない音韻を発声し、日本語に存在しない単語を学んで、それが使えるようになる。その期待に胸が膨らんだ。
今はどうでしょう。中学校一年生が四月に、最初の英語の授業を受ける時に、胸がわくわくどきどきして、期待で胸をはじけそうになる・・・というようなことはまずないんじゃないでしょうか。ほかの教科とも同じでしょうけれど、英語を通じて獲得するものが「文化」ではないことは中学生にもわかるからです。
わかっているのは、英語の出来不出来で、自分たちは格付けされて、英語ができないと受験にも、就職にも不利である、就職しても出世できないということだけです。そういう世俗的で功利的な理由で英語学習を動機づけようとしている。でも、そんなもので子どもたちの学習意欲が高まるはずがない。
(中略)
外国語を学ぶことの本義は、一言で言えば、「日本人なら誰でもすでに知っていること」の外部について学ぶことです。母語的な価値観の「外部」が存在するということを知ることです。自分たちの母語では記述できない、母語にはその語彙さえ存在しない思念や感情や論理が存在すると知ることです。
(中略)
外国語を学ぶ目的は、われわれとは違うしかたで世界を分節し、われわれとは違う景色を見ている人たちに想像的に共感することです。われわれとはコスモロジーが違う、価値観、美意識が違う、死生観が違う、何もかも違うような人たちがいて、その人たちから見た世界の風景がそこにある。外国語を学ぶというのは、その世界に接近してゆくことです。 
フランス語でしか表現できない哲学的概念とか、ヘブライ語でしか表現できない宗教的概念とか、英語でしか表現できない感情とか、そういうものがあるんです。それを学ぶことを通じて、それと日本語との隔絶やずれをどうやって調整しようか努力することを通じて、人間は「母語の檻」から抜け出すことができる。
外国語を学ぶことの最大の目標はそれでしょう。母語的な現実、母語的な物の見方から離脱すること。母語的分節とは違う仕方で世界を見ること、母語とは違う言語で自分自身を語ること。それを経験することが外国語を学ぶことの「甲斐」だと思うのです。
(中略)
でも、今の日本の英語教育は「母語の檻」からの離脱など眼中にない。それが「目標言語は英語だが、目標文化は日本だ」ということの意味です。外国語なんか別に学ぶ必要はないのだが、英語ができないとビジネスができないから、バカにされるから、だから英語をやるんだ、と。言っている本人はそれなりにリアリズムを語っているつもりでいるんでしょう。でも、現実にその結果として、日本の子どもたちの英語力は劇的に低下してきている。そりゃそうです。「ユニクロのシンガポール支店長」が「上がり」であるような英語教育を受けていたら、そもそもそんな仕事に何の興味もない子どもたちは英語をやる理由がない。





匿名希望
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資格を30個以上取得した私が「資格はいらない」と言う理由

2018年12月09日 | 日記
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以下リンクより引用
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資格は「基本を覚えられる!」と言う人もいるかもしれないけど、私がWebデザイナーになった最短距離は資格ではなく「実践」でした。
資格で確かに基礎を勉強するかもしれないけど、実践には叶わない。
実践というのは、いきなり仕事をするのも有りだし、自分のWebサイトをいきなり作り始めることです。

実践は無料で最短で技術が取得できます。
資格は有料で遠回りしながら技術が取得できます。

資格を30個取るよりも、Webサイトの注文を1件こなすほうが勉強量ははるかに多い。
どっちを選ぶかは自分次第、私は実践で覚えていくことを選んで(というか実践で覚えざるを得ない状況だった)やってから、資格の教科書見ると「これ、実際に自分でサイト作るほうが早いよね。」ってやっぱり思います。

・就職でも仕事でも結局、資格は役に立たない
就活するときに履歴書の資格の欄はいっぱいで書ききれませんでした。
これで有利になるかな!と思っていたのですが、いざ選考での反応は、
「この資格ってなに?」
「まあ、資格はどうでもいいんだけどお…」
「なんでこんなに資格とったの?」
Σ\(°ω° )/!
大企業を受けに行くつもりがさらさら無かったので、中小企業を2社ぐらいしかまともに受けなかったのだけど反応は全然ダメでしたw
結局勤めることになった会社も「資格ってなんのためにあるんだろうね」で、終了。
いざ、私も社会人になって仕事をしているけど、資格で学んだことは一個も使っていません。
一個もというとオーバーかもしれないけど、結局は実践で実際に作りながら覚えた知識のほうが仕事で役に立ています。

・資格を持っている事が注文や信頼に繋がる事はない
今思い出したけど、以前私は「資格はいらない8つの理由」っていう記事を書いていました。
この記事をTwitterでツイートしたら、「僕は資格を持っていたからお客さんから注文をもらえたんです!」っていうリプが来た。

私は言ってやった、
「そのお客さんは資格であんたに決めたんじゃなくて、あんたの人柄とあんたの仕事内容を見て決めたんでしょ。逆に資格だけで決められるって虚しくない?」
2年前のことだから言葉は覚えてないけど、こういう内容の事を言ってやった。
そしたら、
「そうです、、、変なこと言ってすみませんでした。ありがとうございます。」
って返事来たよ。
あくまでお客さんは「仕事内容」「実績」「人」で注文を決めてそこから信頼関係を築いていくのであって、資格が信頼に繋がることは無いんだと思う。
もしも資格で決める人がいるなら、その人はかなり時代遅れだからお客さんとして一緒に仕事するのはちょっと避けたい。
取っていいと思う資格は、「取得しないと仕事ができない資格・免許」「仕事になる資格」だけど…
医療系や保育士など、そもそも取得しておかないと仕事をしてはいけないと法律で決まっている「資格」は取らないと仕事にならないので取ったほうがいいと思います。
それは「資格」というより「免許」と言ったほうがいいのかも。
資格もあくまでツールの一つで、自分の仕事に繋げる事ができる資格は取って正解だと思う。

お客さんも時代の変化とともに賢くなっていくから、小手先で中身の薄い「資格で安心感」というツールを使うのも今は通用しないんだよね。
お客さんの安心感に繋がったのは資格ではなくて、「実績」「経験」「経歴」「実際に購入したお客様の声(評判・口コミ)」でした。
心からの接客を行う、という基本中の基本が結果的に「お客さんの安心感」に繋がっています。

仕事になる資格って今はほとんど無いんじゃないかな?って思う。
資格を取ったから仕事が入るんじゃなくて、利益を生み出せる行動力があるかどうかなんじゃないかな。
ムダに資格を取ることをするよりも、利益を生み出すにはどうすればいいのか実践していく方が早くて身になる。

・資格は助けてくれない
私は高校生の時に、知識も何もないまま小さいながらネットショップを立ち上げました。
そこでその時流行っていた「ミサンガ」を手作りして販売していたのですが、知識がまったくないので調べながら作っていきました。
中学生の時にWebサイトを作って作り方は覚えたのだけど、特定商取引法なんて知らなかったし、お金をどうやって受け取ったら良いのかも知らない状態です。
売れた時に、「あれ、お金ってどうやって受け取ればいいんやろか(^o^)」ってなってましたw
結局、その代金分の切手をいただいていました。
途中でどなたか親切な方に、「ネットで物を販売するときは、特定商取引法に基づく表記をしなければいけないっていう法律できたんだよ。」って教えてもらったような気がします。
「勉強をしてからやる」っていう発想ではなくて「実際にやりたい事を実践しながら覚える」と、強いです。
資格を勉強している間に、失敗が沢山できることも大きなメリットでした。
あと、自分で調べる・自分で解決できるクセをつけることもできたのも大きな利益になりました。
失敗が少ないほど、成功は遠くなる
失敗している=行動している証拠私はブログや仕事を通じて学ぶことが多くあります。
上手な検索の仕方を覚えることにも繋がりました。
上手な検索の仕方、覚えると便利ですよ!

こうして私が会社に勤めていたときも、自分で調べて解決できるクセがついていたので、社内では上司からピッチャー的な存在と言われていましたw

そして会社からも卒業してフリーランスになることもできました。
資格は重要じゃないし、資格は自分を助けてくれません。

実践で身につけた失敗と技術とノウハウが、自分を助けてくれる強い味方になります。





匿名希望
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東京医大学、学費1,000万円減→それでも年間2,000万円!

2018年12月08日 | 日記
 高い高いと聞いていた医学部の学費。2/3にしても成り立つ見通しがあるとすれば、今までの学費の1/3はぼったくり?

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東京医大学費、6年間で1000万円減へ...志願者減少抑える狙いか〔読売新聞〕

 東京医科大(東京)が、2020年度以降に入学する学生について授業料などの学費を6年間で総額1000万円減額する方向で検討していることが分かった。同大では、入試で女子や浪人を重ねた受験生の得点を操作し、不利に扱ってきたことが分かっており、志願者の減少を抑える狙いがあるとみられる。

 東京医科大によると、現在の年間授業料は250万円。他に教育充実費として50万~250万円、施設整備費100万円などがかかり、学生は6年で計2940万円を納めている。20年度以降は授業料を半額の125万円に、教育充実費を20万~135万円に下げ、総額は1000万円減の1940万円になる。

 学費の大幅減額は10月9日に就任した矢崎義雄理事長の方針で、評議員会で説明した。同大の広報担当者は「現状の学費は高額で、学生は高所得者の子弟に偏る傾向がある。入試の件を反省し、様々な出身の学生が入学できる大学づくりを進めたい」と説明した。



野崎章
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全米No.1女子高生の母、娘の“非認知能力”高める教育論語る

2018年12月07日 | 日記

"非認知能力"とは、主体性、責任感、自制心、自己肯定感、自信、回復力、やり抜く力、想像力、柔軟性、共感力や社会性そしてリーダーシップなどの総合的人間力のことです。生まれた時からもともと備わっているこの能力をいかに育むか。世界に目を向けると、知識偏重型教育、また点数一点張りの人物評価は終焉を迎えています。

リンク より引用します。

最近もいじめや、ブラック企業によるパワハラなどのニュースが続いている。母親なら誰しも、わが子がうまく世の中を渡っていけるか心配になるものだ。

 そのために親として、どんな教育をすれば、強く生き抜く力を持たせてあげられるのだろうか?

 子供の教育に迷わない母親などこの世にいない。そのうえ、悩みも尽きない。娘のスカイさん(20才)を「全米最優秀女子高生」に育て上げたことで知られ、著書『「非認知能力」の育て方』(小学館)が話題のボーク重子さんが話す。

「いわゆる“お受験”をさせたり、詰め込みや反復主体の塾に通わせるお母さんも多いと思いますが、長らく日本で信じられてきたような、満点を取れば一流の大学に行けて幸せにつながる…そんな時代はもう終わりが来ています。世界に目を向けると、そういった知識偏重型教育、また点数一点張りの人物評価は終焉を迎えているからです」

 スカイさんが優勝した「全米最優秀女子高生コンクール」とは、アメリカの女子高校生が知性や才能、リーダーシップなどを競う奨学金コンクール。60年の歴史を有し、高校生を対象とした賞のなかではもっとも名誉ある1つとして毎年、注目を集める。

 記念すべき第60回のコンクールはアジア系の生徒が優勝したのは過去3回だけとあって、特に耳目を集めた。

 小さい頃からどんな英才教育を施したのだろうと思ってしまうが、重子さんは、「娘に『勉強しなさい』と言ったことは一度もありませんし、九九や算数のドリルをやらせたこともない。鏡文字だって直しませんでした。テレビやゲームを禁止したこともないんです。

 わが家が大切にしたことはたった1つ、数字では測れない、見えないもう1つの能力、『非認知能力』を育むことです。それは主体性、責任感、自制心、自己肯定感、自信、回復力、やり抜く力、想像力、柔軟性、共感力や社会性そしてリーダーシップなどの総合的人間力です。非認知能力が育まれれば、目的を見つけやる気をだし、自分からやる子になるので『勉強しなさい』と言う必要はないのです」(以下、「」内の語りは重子さん)

 毎日のように、子供に大声を張り上げて叱咤激励する母親たちからすれば、信じ難い話だが「自分の娘が特別だったわけではない」と前置きして、重子さんが続ける。

「人は誰でも非認知能力の要素を持って生まれて来ます。私はそれを伸ばしてあげただけのことなんです」

 実に簡単に話す重子さんだが、その「もともと持っている才能を伸ばす」ためのメソッドは、残念ながらまだ日本ではメジャーとはいえない。

「世界の大学ランキングを見るとわかりますが、日本の大学は残念ながら下位に甘んじている。アメリカ、イギリスに続いて上位を占めるようになったのは、シンガポールや中国などの大学なのです。この理由ははっきりしています。上位の国は『非認知能力』を育てる教育を始めているのです。

 点数や知識の量など認知能力にフォーカスした教育では非認知能力は身につきません。 なぜなら認知能力を鍛えるには言われたことを丸のみして覚えるという時間効率がよいことが大切。そのために『疑問、自問、質問』など思考力を鍛える力は無視され、自分らしさも主体性もコミュニケーション力も何も育たないからです。ガリ勉で一流大学を卒業しても、社会に出ると心が折れてしまう人が多いのは、認知能力のために非認知能力を犠牲にしているから。

 私は中学生の時に点数が落ち始め、自分に自信がなくなってどんどん落ちこぼれていきました。そんな経験から『自分が受けた教育とは違う教育があるはずだ』と思いました」
※女性セブン2018年11月15日号
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引用おわり




橋口健一
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社会で活躍する人材を育てる中学校の大改革 1

2018年12月04日 | 日記
社会で活躍する人材を育てる中学校の大改革 1
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社会で活躍する人材を育てる 麹町中学校・工藤校長が推し進める大改革
 
変化の激しいこれからの時代に、柔軟に対応できる社会人をいかに育成すればよいのか――。これを実現するために、ユニークな取り組みをしている公立中学校がある。千代田区立麹町中学校の工藤勇一校長に話を聞いた。
 
 ここ数年、メディアや教育関係者、保護者などから注目されている公立中学校が東京都にある。千代田区立麹町中学校(以下、麹町中学)だ。校訓である「進取の気性」は、変化に柔軟に対応し、常に新たなことに進んで挑戦していくという精神に基づいている。言葉で表すのは簡単だが、これを実践するのは容易なことではない。

 麹町中学も、現在の校長である工藤勇一氏が赴任する5年前までは、多くの公立中学がそうであるように変化への対応は容易ではなかった。工藤校長は、「どんな組織も必ずさまざまな課題を持っています。赴任した当初は、生徒・保護者・教員それぞれが持っている不満を可能な限りたくさん聞きとっていきました」と当時を振り返る。

 「赴任4カ月目に、全教員に現在抱えている不満や課題をすべて書き出すように話しました。すると40~50の不満が集まったのです。そこに、私自身が4カ月間で感じた約150の不満を加え、合わせて200程度の不満をExcelで一覧に示し、これらを改善することを全教員に伝えました。そしてまずは複雑だった組織体系をシンプルな組織に改善したのです」(工藤校長)

 複雑だった組織は、経営支援部、教務部、進路指導部、生徒指導部の4つに統廃合され、各教員はどれか1つの部に専念する体制になっている。この4つの組織それぞれがブレーンストーミングにより現状の課題を整理する。それらを各部長4人と校長、副校長の6人で大まかな解決の方向性を定めた後、各部に戻し、具体的な解決策・方法を検討し決定・実行する。これによって毎年50~60の改善が行われるようになっている。

 改善の一例として挙げられるのが、学級担任制を廃止したことだ。これにより、「あの先生のクラスは……」という問題は発生しないようになった。工藤校長は、「『担任が悪いから』と非難ばかりするクラスは、問題を解決できるようにはなりません。そこで、問題が起きたときに誰に相談するかを、生徒も、保護者も自由に選ぶことができるようにしたのです。学校側は常に全員で問題解決できるようにしたのです。医療の世界における『チーム医療』と同じ考えです」と話す。

 変化の激しい現在の社会では、自分のできないことを人のせいにしていては、生き抜いていくことは困難だ。目の前の課題を自分自身で解決できる能力を経験により身に付け、その経験を次の課題解決に繰り返し実践することが必要になる。麹町中学では、そのための8つのスキルを「目指す生徒像」として定義している。

全員が納得できる上位目的を設定する

 「改善のポイントは、上位目的がブレないことです」と工藤校長は語る。例えば、クラス対抗の合唱コンクールを実施するとき、リーダーが「一致団結して優勝する」という目標を立てたとする。しかしクラスには、歌が好きな生徒もいれば、嫌いな生徒、音痴の生徒もいる。そのため、当然だが、クラス内で対立が起きることになる。

 このときリーダーの中には、「一生懸命やっているのに、なぜ協力してくれないのか」とイライラしてしまうものもいるだろう。工藤校長は、「人それぞれ考えが違うのだから、対立が起きるのは当然であり、イライラしないように感情をコントロールすることが大切だ。その上で、建設的に対話を重ねていくことで、対立を解消し、合意形成することができるのです」と語る。

 「4クラスが対抗する合唱コンクールであれば、優勝できるのは1クラスだけ。3クラスは目標を達成できないことになる。優れたリーダーであれば、このことに気が付き、皆で話し合い、合唱は戦いではないので“来場者を感動させる”という目標に変更することもできるでしょう。そうすれば、歌が好きな子もそうでない子も同じ目標を持つことができるのです。目標の合意形成とはこういうことです」と工藤校長は説明する。

 「企業内の組織でも同じです。過去の成功体験にこだわってしまうと、議論がかみ合わなくなり、目標を見失います。合意形成をするためには、対話をして、お互いの違いを知り、さらに対話を続け、全員が納得できる上位目的を見つけることです。そのためのリーダーを育成することが、今の学校に求められているのではないでしょうか」(工藤校長)




風来坊 
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