試験・身分制度の根深い害

~現代の教育について分析しています~

「時間をかければ絶対に良い物ができる」が根本的にダメな理由

2018年05月19日 | 日記
たしかに構想五年とか開発に何十年かかったという話を聞きます。
mag2ニュースより以下引用です
リンク
こんなに時間にかけたのだから」と、時間をかけたことを主張する人って、よく周りにいませんか? その主張は、逆に自分がいかに普段から仕事と向き合っていないかを露呈するものだと、メルマガ『ビジネス真実践』の著者で営業・マーケティング戦略コンサルタントの中久保浩平さんは語ります。時間をかければいいものができる、その考え方自体が間違っているそうですよ。

・時間をかければいいものができる?

「三日三晩徹夜で考えた案なのだから、上司もきっと認めてくれるに違いない」
「こんなに時間をかけて作り上げた企画なんだからきっと通るだろう」
「これほど素材にもこだわり、開発に何十年もかけたのだから売れるに違いない」

などと、とにかく時間をかけたことを主張する人がいますよね? でも、時間をいくらかけたかなどはどうでもいいことで、それだけの時間をかけたからといってその企画が良いものとは限りませんし、必ずしも上司が認めてくれるものでもありません。お客様にとって良い商品であり、売れるという保証もありません。時間をかけるということと、その時間の中で取り組むことの質とは比例するわけではないのです。

そもそも時間をかければ良いものが出来る、認められる、という考えが間違っているのです。良い企画を練ろう、良い商品を開発しよう、良いサービスを提供しよう、良いアイデアを出そう、などということと時間をかけるということとは関係ないことです。

企画、商品、サービスを生み出す為に時間をかけなければできないということは、裏を返せば、普段から良いものを生み出そうという意識が低く、そのための行動が伴っていないということを露呈しているに過ぎません。普段から良いものを生み出そうとしていれば時間をかけなくてもパッとアイデアが出てきたり、時間をかけて何十枚にも及ぶ企画書にしなくてもペラ1枚の企画書で十分通用するものになるはずです。

つまり、時間をかけたからといって必ずしも良いものを生み出すということではなく、普段からいかにして良いものを生み出そうと考えながら仕事と向き合って取り組んでいるかどうかなのです。

かかった時間というのは、あくまで結果です。

よく映画などの宣伝文句で「構想から5年。遂にあの話題作が!」なんてものがありますが、そもそも5年間かけて構想を練り、制作していったということではなく、構想から制作までに結果的に5年かかった、というのが正しい解釈です。

結局、時間をかければ良いものができるというものではなく、いかに時間をかけずに考えながら取り組むか? が重要なのです。その為には普段から良いものを生み出すための工夫であったり、それに伴う行動が必要となってきます。そうした日々の中で、良いものを生み出す力を鍛えることができるのです。そして、不意にアイデアや企画の提案を求められたりしてもパッと良いものが出てくるようになるのです。

かかった時間を主張していても意味がありません。かかった時間はあくまで結果です。このことを十分に踏まえて、お客様にとって良い商品やサービス、企画をいつでも生み出せるようにしておきたいですね。

■今日のまとめ

『良いものを生み出すためには普段から考えているかどうか。』
•アイデアや企画提案を不意に求められたとき、パッと応えることができるようにするためには、普段からどのような工夫や意識が必要か?考えノートに書き出す。
•書き出したことを実践する。
引用終わり




志水満
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

実は「最も成績が良い層」はAO・推薦組

2018年05月11日 | 日記
 AO入試とは、内申書、活動報告書、学習計画書、志望理由書、面接、小論文などにより、出願者の個性や適性に対して多面的な評価を行い、合格者を選抜する入試。このAO入試と推薦入試の割合が、全国的に上昇している。

 普通、受験勉強に励み、一般入試で入ってきた学生の方が優秀だと思ってしまうが、実は、大学の成績が最も良い層は、AO・推薦組だという。

 これも、受験勉強の弊害の一例だと思う。

リンクより引用します。

※※※以下、引用※※※

AO・推薦入試の増加は全国的な傾向

日本国内で見ると、2000年度から2015年度までの間に、大学全体におけるAO入試の入学者数は1.4%から8.8%、推薦入試は31.7%から34.7%に増加している(文部科学省)。AO・推薦入試の増加は全国的な傾向だ。

その一方で、AO・推薦入試入学者は一般入試入学者より学力が劣るのではないかという懸念もしばしば抱かれる。これに対して小林氏は「今後は、AOでも推薦でも学力の3要素を見る形になる」と語る。

「学力の3要素」とは、(1)知識・技能の確実な習得 (2)[(1)を基にした]思考力、判断力、表現力 (3)主体性を持って多様な人と協働して学ぶ態度の3つを指す。文部科学省が取り組んでいる高大接続改革で、この3要素をすべての入試区分で見ることが目指されているのだ。大学には、学力の評価方法をアドミッションポリシーや募集要項で明示することが求められるようになる。

「今まで、学力とは知識と技能を指していましたが、知識・技能をもとに答えが定まらない問題に解を出す力や、主体性・多様性・協働性も見ていきます」(小林氏)

実は「最も成績が良い層」はAO・推薦組

大学入試において「学力の3要素」が重視されている背景には、従来の「詰め込み型」では対応できなくなった時代の変化がある。

「『偏差値の高い大学に入り、大企業に入る』というのが高度成長期日本の成功モデルでしたが、都市銀行の統合が進み、大手メーカーも海外企業に買収されるなど、随分と変わってきました。また、2017年に生まれた子どもは107歳まで生きると言われており、学ぶ時期、働く時期、老後の区分も変化しています。そこでは、詰め込み型ではなく、自分で学ぶ力をつけなければならないのです」(小林氏)

また、AO・推薦入学者の学力については、こんな話もある。早稲田大学広報課によると、各入試での入学者数や学部による違いはあるものの、「入試形態別で入学者のGPAを調査すると、本学の学部全体で最も成績が良い層はAO型入試・指定校推薦入試で入学した学生である」という。同大学におけるAO・推薦入試入学者が、一定の学力を持っていることを示す一例といえる。

※※※引用、以上※※※






野崎章
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

英語力よりも日本語力

2018年05月07日 | 日記
落合陽一「日本再興戦略」より引用。
===========

結論から言えば、語学は出来たほうがいいに決まっています。特に英語のスピーチをするなら英語が流暢にできると有利です。英語の幼児教育も、やらないよりやったほうがいいでしょう、LとRの発音は絶対音感みたいなものですので、幼少期に身に付かなかったら、ずっと身に付きません。

しかし、今後は日常生活に関しては、自動翻訳技術が飛躍的に向上していますので、ロジカルに話せるだけで十分だと思います。今、語学がコンプレックスなっている人たちも劣等感を感じずにコミュニケーションが取れるようになります。

一方、英語が話せる「中身の薄い人」の化けの皮がはがれてしまうかもしれません。これまで以上に、中身が大事になってくるのです。
よく考えて、意味が分かる言葉でしゃべることは、英語を勉強することよりも重要に成ります。話し言葉にしろ、書き言葉にしろ、機械翻訳がちゃんとできるように、伝わりやすい表現を心がける必要があります。(中略)

日本語にはよい動詞、よい表現がそろっています。ちゃんとした日本語が書ける人は、英語もちゃんと書けるものです。だから、英語を苦労して習得するよりも、ちゃんとした日本語の文を書けるようになったほうがいいでしょう。




匿名希望
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

日本電産永守会長によって、大学改革の火ぶたが切って落とされた

2018年05月03日 | 日記
 昨日、日本電産永守会長兼社長が主導する、京都学園大学が新たなスタートを切った。以下、永守氏の会見内容だが、一貫して、実社会から大学教育を捉える永守氏の意識が際立ち、待ったなしの大学改革(大学淘汰)の火ぶたが切って落とされた感がある。

※※※以下、引用※※※

リンク

日本電産・永守流の大学運営が始動 京都学園大で入学式

「私は企業経営に携わり、大学生をたくさん採用する側にいたが、なかなか企業の欲しい人材が入ってこない。採用する側と大学の間でミスマッチが起きている」――。日本電産の永守重信会長兼社長は1日、自身が理事長に就任した京都学園大学の入学式に出席してこう説明した。

永守氏は「海外の大学の卒業生は即戦力になるが、日本の大学は一流、二流、三流に関係なく、ほとんど戦力にならない」とし、「偏差値中心の教育が間違っている。私財をなげうって、この大学を大きく変える」と語った。大学名は2019年4月に「京都先端科学大学」に変更する。さらに、20年4月の工学部新設を構想中だ。

工学部は、電気自動車やロボット、ドローンの普及を見込み急速に需要が高まっているものの大学でも専門家が少ないモーター関連の技術などを重点的に教育する考えだ。校舎は京都市内の京都太秦キャンパスに置くが、大規模な実験設備などは京都府亀岡市の京都亀岡キャンパスに整備する。電気自動車のテストコースやドローンの実験場を設ける構想もある。

全学的に英語教育も充実する。永守氏は「英文学を教える必要はない。企業が求めるのはしゃべれる英語だ」とし、会話中心の実践的なカリキュラムを導入する考えだ。さらに日本電産にも協力してもらい、世界各国にある同社の拠点に、単位取得を前提に長期のインターンシップ(就業体験)を受け入れる構想も明らかにした。

リンク

永守重信 日本電産会長兼社長が大学運営に乗り出す

日本電産の永守重信会長兼社長が大学経営に乗り出した。卒業後、即戦力として活躍できる人材を育てるのが狙いで、2018年3月に理事長に就任した京都学園の京都学園大学に、2020年にモーターの研究に特化した工学部を新設し、電気自動車やドローンなど新しい分野に対応したモーターの技術者を育成する。

今後電気自動車のテストコースやドローンの試験場などを整備し、留学生受け入れのための寮の建設などにも着手する。投資金額などは未定だが、必要な資金については永守氏の私財を投じるという。

(中略)

2018年4月1日に京都学園大学の入学式後の記者会見でこうした構想を明らかにした。永守氏はモーターの研究を行っている大学が日本にないため、自身でこうした研究を行う大学を設立する考えを持っていた。名称も「京都先端科学大学」と決めており、今回京都学園の理事長に就任したのを機に、2019年4月に京都学園大学の校名を「京都先端科学大学」に変更する。

(中略)

電気自動車やドローンなどのテスト施設は京都府亀岡市の京都学園大学京都亀岡キャンパス内に建設する。京都太秦キャンパスと京都亀岡キャンパスの間の移動は、これまでは有料のバスで行っていたが、4月1日からは無料にするとともに便数を増やすことで、工学部の新設にさきがけて両キャンパスの一体化を進める。

新設する工学部では日本電産の技術者が講義を行ったり、電気自動車やドローンのテスト施設を日本電産が借り受けて利用することも検討する。またモーターの勉強を積んだ卒業生は日本電産が多くを採用する計画という。

(中略)

会見で永守氏は近年、広がりを見せている大学のM&Aについて「少子化の中で、大学経営は厳しくなる。再編成は避けて通れない。この大学でもよほど改革をしないと厳しい。生き残れる大学になれるようにする」と決意を表明した。

世界ランク199位を目指す

さらに2020年に開設する工学部については学部の買収などの手法ではなく「一からオーガニック(内部の資源)でやろうと考えている。それはモーターを中心とした研究をやっている工学部がないため。どこにでもあるような工学部を作っても意味がない」と熱い思いを披露した。

さらに永守氏はこうした改革によって京都学園大学を世界で通用する大学にするとし「世界ランク199位を目指す。これは東大、京大に次ぐ日本第3位となる」との目標を示した。

※※※引用、以上※※※




野崎章
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

なぜ日本企業は競争力を失ってしまったのか・・・・脱私権制度から新たな場へ

2018年05月03日 | 日記

リンクから引用します。
⇒以降は私のコメントです。

>なぜ日本企業は競争力を失ってしまったのか

中略
まず「戦後の高度成長期の成功体験」の部分ですが、これは、単なる年功序列・終身雇用制だけではなく、「幸せは一流大学に行って、一部上場企業に努めてこそ得られる」「頭のいい人は、田舎にいるよりは都会に出るべき」「第一次産業よりは、第二次産業や第三次産業の会社でサラリーマンをすべき」などの日本人の価値観そのものに関わる大変革だったために、それを今更変えることは簡単ではなくなっています。

特に問題なのは、学校教育で、個性やクリエティビティよりも知識を重視した詰め込み教育が行われているため、ソフトウェア・エンジニアのような「一芸に秀でた」人材を排出しにくくなっているのは、大きな問題です。中高では徹底的な詰め込み教育をし、その反動で大学に入ると遊び呆けてしまい、大学三年になると就職活動を始めてしまうようでは、今の時代に必要な人材は育ちません。
⇒詰め込みは今では小学生にまで及んでいますね。

「中学生の頃からプログラミングばかりして過ごし、高校卒業前にはウェブサイトを立ち上げたり、スマートフォンアプリをリリースした」ような学生時代の過ごし方を許すどころか奨励するような教育システムに作り変えなければならないのです。

同時代に作られた日本人の価値観・常識の中には、「市民活動とは左翼活動であり、一部上場企業のサラリーマンが関わるようなものではない」という政治的なものもあれば、「霞が関や一部上場企業で、上司に逆らわずに出世すれば、引退した後に天下りのポジションが待っている」のようなものもあります。特に後者は、日本の社会の隅々で寄生虫のように社会からエネルギーを吸い取る仕組みを作ってしまい、それが時代に合わせた変革を非常に難しくしているのです。

中略
90年代後半からコンピュータ、インターネットによる情報革命が始まった時に、このシステムそのものが機能しなくなったのです。

米国では、IBM、DEC、Motorolaのような旧態依然とした会社は次々に淘汰され、それに変わる、Microsoft、Apple、Google、Facebook、Amazonのような会社が生まれて次の時代になりました、日本では、相変わらず東芝、NEC、富士通のような企業が、政府の公共投資や国策によりだらだらと延命されており、それが雇用規制と合わさって、人材の流動制を低くし、日本版Microsoft、Appleなどの誕生を阻んでいるのです。

「90年代後半から始まった情報革命に構造的についていけなくなった」という部分は、政府による大企業優遇政策、雇用規制、大企業が今でも持ち続けている終身雇用制と年功序列、霞が関や大企業が天下りとして作ってしまった星の数ほどの特殊法人・子会社・関連会社が、人材の流通を阻むだけでなく、ベンチャー企業からビジネスチャンスや資金を奪っており、それが結果として、世界に羽ばたくベンチャー企業を日本から生み出すことを難しくしているという構造的な問題があるという意味なのです。

つまり、もう少し分かりやすく言えば、高度成長期に作られた教育システムと社会システムが、変化の早い情報時代になって時代遅れになっているにも関わらず、そのシステムの中で成功して来た人たちや企業が抵抗勢力となり、Microsoft、Google、Apple、Facebook、Amazon のようなソフトウェアを武器にして社会全体を飲み込んでしまうようなベンチャー企業の誕生を阻んでいるのです。
引用終わり

70年代に日本は貧困を脱し、今では世界の生産力も需要を上回って貧困を脱している。しかし、貧富の差が拡大するばかりで貧困層が残る歪な状態になっている。

世界は貧困の脱出し、私権社会も崩壊してベーシックインカム等が導入される新しい社会に向かっている。当然、古い制度で太刀打ち出来ないのは自明だ。

ならば、一番古い体質で役に立たないばかりか、子供(国民)を勉強(薬)漬けにして活力を喪失させる教育(薬の)制度にしがみつく霞が関や、私権制度の勝組と称される暗記脳(思考停止)の大企業の面々にはいち早く場外に退席してもらいですね。
 





酒井俊弘
コメント
この記事をはてなブックマークに追加