歩かない旅人

 彼がなした馬鹿げたこと・・・彼がなさなかった馬鹿げたことが・・・人間の後悔を半分づつ引き受ける。ヴァレリー

今の日本に必要な「ガラパゴス左翼」との決別

2017-10-20 00:29:18 | 産経ニュースから記事を拾う

 

                 

  

 リベラルという言葉が独り歩きしている気がします。本来の意味はウイキペディアにあるような意味で、下記に示したような意味が普通考えられる意味です。

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  リベラル英語: liberal)またはリベラル派(リベラルは)は、自由主義英語: liberalism、リベラリズム)や、自由主義者(リベラリスト)を意味する用語。権威主義全体主義と対立する立場である。

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  この言葉が生まれ、有名なスローガンになった大元はフランス革命にあると聞いています。自由を求める市民が武器を手にして革命を起こし、マリーアントワネットを断頭台に送ったあのフランス革命から、自由を勝ち取るための手段の人たちをリベラリストと呼んだそうです。

      

  しかしリベラルという言葉が政党に結び付けられて記憶しだしたのは、アメリカの二大政党、共和党と民主党からです。共和党は保守的であり、民主党はリベラルだという風に覚え込まされました。

  またリベラル派は大きな政府を好むと言う事は、民間に任せず、何でも政府からの仕事にし、福祉社会に力を入れるという特徴があり、反対に共和党は、小さな政府で、アメリカ第一になり易い。

  アメリカでは、保守派は「小さな政府」や「キリスト教尊重」を、リベラルは「社会福祉」「人権重視」「環境保護」「宗教の平等」を主張し、おおむね共和党と民主党に一致する。と聞きます。

  しかしアメリカの場合、多少の違いか大きい違いか分かりませんが国を損ない貶めようとする、反米主義者は皆無でしょう。日本の場合アメリカに説明する場合、日本のリベラル派はコミニズムの事だというと、ほとんどの人がのけぞるそうです。

  コミニズム、すなわち共産主義ですが、あながち間違ってはいないでしょう。欧州やアメリカでは、いくら思想の自由といっても、共産主義者は非合法とされています。日本に正式に共産党と言う党があると言う事に驚く国も少なくありません。

      

  日本の場合のリベラルは大げさに言うとそこまで共産主義ではありませんが、国旗、国歌を好まず、皇室を認めようとせず、靖国神社の存在も認めません。国民と言わず市民という方を選びますし、国境などない方が良いという人まで含まれます。

  しかし、民主党の政権が3年少しありましたが、口先ばかりで実際の政策は酷いものだと日本の多くの人たちは肌で知りましたから、選挙で負け、いわゆる保守と呼ばれる自民党に政権が戻りました。それ以来保守という言葉が、好意を持って貰え出したと言う事は言えます。

  それ以来辻本清美がリベラル保守だと言い出し、また立憲民主党の枝野代表迄、リベラル保守だと訳の分からないことを言いだしました。私にはただ選挙に当選するための宣伝文句にしか聞こえません。

  日本を愛する人々の中には最近のマスメディア、特にテレビ局が特定アジアの目線でものを見るような気がして仕方がありません。心ある人たちは、TBS,テレビ朝日はもうメディアとして認めないと言う様な空気が出始めました。

       

  嫌な偏向報道を、臆面もなく開き直ってやって居るからです。しかし、自民党の安倍首相のコマーシャルは、商売ですから出さないわけにはいきませんが、枝野立憲民主党をまるで正義の味方のような印象操作をしているように見えます。

 

 

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  産経ニュース・平成29年10月19日 付

衆院選で注目「リベラル」の意味 非現実的な平和信奉者か 今の日本に必要な「ガラパゴス左翼」との決別

 

  政治思想の観点から今回の衆院選を分析すると、実に興味深い点がある。自民党、希望の党、立憲民主党のそれぞれが「保守」を掲げている点である。(夕刊フジ)

  自民党が、保守政党であることは周知の通りだ。希望の党は、自らの政党の理念を「社会の分断を包摂する、寛容な改革保守政党を目指す」としている。安全保障政策において非現実的な主張を繰り返した民進党左派を「排除」し、保守政党の覚悟を示してもいる。

 問題は、立憲民主党である。

  驚く方も多かろうが、立憲民主党の枝野幸男代表は自らを「保守」と位置付けている。枝野氏は自分自身が「保守」「リベラル保守」であるとの主張をかねてより繰り返しているのだ。

          

  私自身も、リベラルな保守主義者を自任しているので、「リベラル」と「保守」が必ずしも対立する概念ではない-という枝野氏の論理を歓迎している。

「多数者の専制」に陥りがちな民主主義社会の中で、少数者、弱者の声に耳を傾けるというリベラルな姿勢、社会の中の多様性を擁護するリベラルな姿勢は、政治家にとって重要だ。

  こうしたリベラルな姿勢と、わが国の伝統や文化に対して敬意を抱くという保守的な姿勢とは、必然的に対立するものではない。

   枝野氏が抽象的に「リベラルな保守」について語るとき、私はそれほど違和感を覚えない。

  だが、日本では「リベラル」とは、特別な意味で語られることが多い。これが厄介だ。

「憲法9条を守っていれば平和が維持できる」「集団的自衛権の行使容認で徴兵制がやってくる」といった、非現実主義的な「平和主義」を信奉する人々を「リベラル」と呼ぶことが多い。

  こういう人々は本来「保守」でも「リベラル」でもない。愚かなだけである。日本列島に生き残る「ガラパゴス左翼」と呼ぶべき勢力なのだ。

    彼らの特徴は極端に非現実的な主張であり、盲目的に憲法9条に拝跪(はいき=ひざまずいておがむこと)する様は、一種の宗教儀式を連想させるものだ。

  残念ながら、集団的自衛権の行使容認に関する枝野氏の主張は、本来の「リベラル」とはまったく無関係な「ガラパゴス左翼」の論理そのものだった。

  政党が「保守」「保守」と唱えるのは結構だが、今の日本に本当に必要なのは、「ガラパゴス左翼」と決別した真っ当な意味でのリベラルだ。安全保障政策において現実主義の立場に立ち、共産党とは一線を画したうえで、国内政策においては弱者の立場に立つ。

  「リベラル」との言葉が、ほとんど「愚かしさ」と同義語になってしまっているのは、日本国民にとって極めて不幸なことだと思わざるを得ない。

 ■岩田温(いわた・あつし) 1983年、静岡県生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、同大学院修士課程修了。拓殖大学客員研究員などを経て、現在、大和大学政治経済学部政治行政学科専任講師。専攻は政治哲学。

著書に『逆説の政治哲学』(ベスト新書)、『平和の敵 偽りの立憲主義』(並木書房)、『人種差別から読み解く大東亜戦争』(彩図社)など。

 

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  リベラルという言葉の意味も分からず、日本独自の使い方をするのが日本人は得意です。その言葉によって雰囲気が何となくわかるからです。日本の場合は何となくヒダリから、がちがちのヒダリまですべてこのリベラルでまかなってしまいます。

  立憲民主党と社民党と共産党はリベラル三羽烏で、お互いに共闘するそうです。しかし希望の党では早くも選挙中に関わらず、真反対の政策を掲げる元民進党議員まで現れました。

  希望の党も日本でいうリベラルの言葉を取り去りましたが、本当に訳の分からない党が、当選したさに名誉も振り捨て、さらば泥船よと新しい船に乗り換えましたが、さらにひどい泥船になりそうです。

         

  しかし小池百合子都知事の、劇場は素晴らしい劇的なスリルとサスペンスにとんだ、近来稀に見る、後世に長く言い繋がれる、名作になる可能性がもう見え始めています。その結果に立ち会うのを恐れて、本人はさっさと言い訳を付けて公務と称するパリへと逃げ出しましたが。


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