aiko-『あたしの向こう』music video short version
政治の新年度。新しい年度に入りました。今の状況を見てみると、メディアが主導する安倍降ろしのシナリオは、そのことごとくが失敗して、今や安倍晋三首相には余裕さえ見えます。中々タフな一面がこのところ頻繁に表に和え合われ出しています。
アメリカも欧州もチャイナも、今や経済的にも政治的にも、穏やかならざるところに来ていますが、それらに比べると日本はまだ余裕さえあります。その自信が首相自身の自信にさえなっているようです。
久しぶりに阿比留瑠比氏の『極限御免』を載せられるのは、まだまだ日本に自信と可能性を秘めていることを教えてくれるからです。自虐に染まっていない貴重なジャーナリストの姿がそこにあるからです。
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【阿比留瑠比の極言御免】 2016・3・31
政治家の言葉は虚々実々
政治家が、時と場所と状況に応じて本音とタテマエを使い分けるのは当然であり、必要なことだろう。何でも思ったこと、腹の中を正直に口に出せば、政治が前に進むというものではない。
29日の安倍晋三首相の記者会見と、それに対するメディアの反応がそんな実情を端的に表していた。
「首相は口元に笑み】
安倍首相は記者会見で、来年4月に予定される消費税率10%への引き上げの再延期を否定し、夏の参院選に合わせて衆院解散・総選挙を断行する衆参同日選についても「頭の片隅にもない」と言い切った。一方、記者会見後、記者たちは口々にこう言っていた。
「『頭の片隅にもない』と語ったとき、首相は口元に笑みを浮かべていたね」
そして案の定、在京各紙の30日付朝刊の関連記事は、本紙も含めて安倍首相の否定をほとんど気にも留めない書きぶりだった。
「安倍首相は、景気悪化を防ぐため、17(平成29)年4月からの消費税増税の先送りを本格的に検討する。(中略)『衆参同日選』に踏み切ることも視野に入れている」(読売新聞)
「首相は参院選と衆院選を同時に行う衆参同日選も視野に入れており、消費増税の再延期も含め、(中略)最終判断することになりそうだ」(朝日新聞)
「安倍晋三首相は夏の衆参同日選や17年4月の消費増税の先送りをにらみながら、経済対策の検討に入る」(毎日新聞)
「政局の焦点は17年4月に予定する消費税率10%への引き上げの是非と、7月の参院選に合わせた衆参同日選の可能性の2つに移る」(日経新聞)
東京新聞に至っては、「首相の言葉は与党内でも額面通り受け取られていない」と身も蓋もない。永田町では、昔から「首相は衆院解散と公定歩合は嘘をついていい」と言われる。政治家や官僚の表向きの発言を鵜呑(うの)みするようでは、記者は務まらない。
「謀略発信」も茶飯事
かといって、オフレコの話なら信用できるかというとそうでもない。参院選をめぐってはすでに虚々実々の駆け引きが本格化しており、永田町では真贋(しんがん)の分からない情報がまことしやかに流れ飛んでいる。
例えば参院選の情勢分析に関して最近、自民党が実施した極秘世論調査の結果が、苦戦を示す中身だとあちこちから漏れ聞こえてくる。いわく「1人区はかなり負けている」「東北は特に厳しい」…。
ところが、同じ調査であるはずなのに、情報源によっては逆に「単独過半数(57議席)は超えている」といった優勢を伝える結果を聞かされる。調査のナマ数字を把握する者はごく少数に限られ、党内でも実態はそうそう知らされない。
仮に前者がニセ情報であれば、党内の引き締めを図る一方、野党側の油断を誘う狙いがあるとみられる。こうした「謀略発信」もまた茶飯事だ。いずれにしろ、選挙が近づけば、政治家の言葉は意図があることを前提に吟味した方がいい。
安倍首相と公明党の山口那津男代表は30日、首相官邸南庭で一緒に桜を観賞し、風雪に耐えて咲く桜を自公連立関係になぞらえた。その上で、第1次安倍政権時代に南庭でとぐろを巻いていた蛇がもういなくなったという話題になり、2人でこう笑い合った。
「風雪に耐えられなかったんですね」
今や民進党へと衣替えしてなくなった民主党を思い浮かべてのセリフであることは、想像に難くない。政治家の言葉としては、分かりやすい部類だった。
(論説委員兼政治部編集委員)
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民進党という名前を聞いただけで、これはダメだと本能的に感じてしまうのは、どうしてでしょう。政治的にまるで素人の庶民のカンのようなものでしょうか。お互いが相手の良いところを殺し合っているようにも見えます。
もっとも最大の原因は、岡田代表を主とした民主党中枢部と、維新の松野氏も共産党の恐ろしさを全く認識していない。彼らが知らないと言うのではなく、日本国民の多くが、日本の持っている国柄を全く変えようとしているイデオロギーの怖さが隠されて居る事を知って居る事を。
まったくお目出度い集団です。誰が山が動いたといったあの社会党の今の姿を想像できたでしょうか。とにもかくにもカリスマ性のあった土井たか子氏が引退したあとのあの体たらくは、分かってしまえば納得できる姿です。その姿は限りなく近いといえます。