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日宇(宇克蘭)両国の共通点

2015年05月07日 07時10分49秒 | NWO
日本とウクライナの共通点は、共に原発のメルトダウン事故を起こした放射能汚染国というだけではない。
アメリカにクーデターを強制されて、国民をアメリカの覇権維持の為の道具に奉らされている国という所もそっくりである。
これというのも、日本には中国、
ウクライナにはロシアという、アメリカにとって目の上のたんこぶのような国が隣接しており、
それぞれの国内にロシアor中国を仇敵のように憎む逝かれ右翼が、馬鹿な欲情をつのらせている。
アメリカにとってはこれを利用しない手はないと言った所なのかも知れない。

ウクライナのクーデターは昨年2月のマイダン広場で起こされた。
クーデターは、只単純に民主的政治を求めデモに参加していた善良なウクライナ人を利用して、
アメリカの後押しの下、ネオナチ暴力団によって強行された。

昨年2月の下旬にクーデターを成功させたばかりのウクライナで、
同年5月には、このクーデター政権を拒否している東部地域の人間が大勢虐殺された。
マスコミに載らない海外記事「5月2日オデッサ虐殺: 一体なぜオバマ・クーデター政権が未だにウクライナを支配しているのか」によると、
   (一部引用 紫字)
昨年5月2日、パンフレット発行者達を生きたまま、その場で焼き殺した、オデッサ労働組合会館での反政権派パンフレット発行者達の虐殺は、対ウクライナ支配強化の為、オバマ政権にとって決定的に重要だった。あの虐殺は、オバマが打倒したばかりの人物ヴィクトル・ヤヌコーヴィチに圧倒的多数を投票したウクライナのあらゆる地域の住民を威嚇するよう仕組まれたものであり、実際威嚇したのだ。特にドンバス地域では、ヤヌコーヴィチは投票の90%+を得ていた。オデッサでは、彼は投票の四分の三を獲得していた。
     (中略)
ヤヌコーヴィッチを打倒するオバマの作戦は、第二次世界大戦後、依然として深く強い根を維持している、ヨーロッパで唯一のナチス運動であるウクライナ極右に全面的に依拠しているのだ。オバマと、そのウクライナ乗っ取り策を、こういう連中を基盤に組み立てたのだ。
     (中略)
今やウクライナはアメリカ帝国の一部だ。それが分からないウクライナ人は阿呆に違いない。ウクライナは、アメリカ帝国のむき出しのナチス部分だが、それでもやはり、アメリカ帝国の一部だ。オバマは、人種差別主義者-ファシスト、つまりナチス政権を、外国に据えつけた初めてのアメリカ大統領だ。世界でも、長期間に亘って、こういう類のことをするのに最も機が熟した場所であるウクライナで、彼はそれを行った。

アメリカのオバマ大統領はマイダンのクーデター後、
ウクライナ国内を内乱状態にする為に、
オデッサの残虐極まりない虐殺を行わせた。
アメリカはロシアとウクライナに戦争させる為、
ウクライナ東部地域を不安定化し、ロシア系住民を痛めつける事によって、
見るに見かねたロシアがウクライナの内乱に手出しする事を期待して、
反政府勢力ながらまだウクライナ国民であるドネツクルやガンスクの人々を、
ウクライナ政府軍に攻撃させたのである。

2月にウクライナとロシア・フランスの大統領ドイツの首相が十数時間も話し合って、ウクライナ東部地域の停戦を決めたが、
この停戦協定は素よりアメリカの戦略に逆行するから忽ち破られて、
ウクライナの内乱は何時終わるとも知れない悲惨さで進行しているらしい。

アメリカがウクライナに武器弾薬を提供しているのは、ウクライナ政府を助けたいからではない。
ウクライナ政府にアメリカの代理戦争を続けさせたいからである。
ウクライナの一般国民はクーデター後、したくもない戦争(内乱)をさせられ、
東部ウクライナの離反によって、経済的にも苦しくなり、
良い所等何一つない、恐らく、悪夢を見ているような思いでおられる事だろう。

日本のクーデターは、
少々知能の足りない「ええかっこしい」(見栄っ張り)安倍総理によって、
現在強行されようとしている。
安倍総理は恐らく、自分がどんな破廉恥な売国奴に、成り下がっているのかの認識も持たないまま、
日本人の生命と財産、
国民が民主主義国の国民として持っていたはずの諸権利を、
アメリカに総て捧げようとしている。

安倍総理は「槍の穂先となって」とか、国民を「クォンタム・リープ(量子的飛躍)」のような目晦ましで、
日本の構造改革(クーデター的変革)を行うと、
アメリカ政府に約束しているのである。(こちら

アメリカは今はロシアやイランとの戦争に全力を注ぎたいから、
当面は自衛隊員は中東に派遣される事になるだけだろうと思われるが、
そのうちウクライナをロシアにけしかけたのと同じように、
日本が中国と戦争を始めるよう、けしかける積りなのではないかと危惧される。

「そのために日本には大勢の馬鹿ウヨを飼って置いたのだ。そのために我々は〇億ドルを使った。」
と2代目ヌーランド氏が、何処かの誰かに嘯くのかも知れない。

日本もウクライナも、
悪魔のようなアメリカ政府の策略に、
何時までも翻弄されていねばならない、いわれはないと思うのだけれど・・・・・

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仏教聖典(第237版本) (通りがけ)
2015-05-15 18:06:16
おしえ  

 第二節 心の構造

 一、迷いもさとりも心から現われ、すべてのものは心によって作られる。ちょうど手品師が、いろいろなものを自由に現わすようなものである。
 
 人の心の変化には限りがなく、その働きにも限りがない。汚れた心からは汚れた世界が現われ、清らかな心からは清らかな世界が現われるから、外界の変化にも限りがない。

 絵は絵師によって描かれ、外界は心によって作られる。仏の作る世界は、煩悩を離れて清らかであり、人の作る世界は煩悩によって汚れている。

 心はたくみな絵師のように、さまざまな世界を描き出す。この世の中で心のはたらきによって作り出されないものは何一つない。心のように仏もそうであり、仏のように人びともそうである。だから、すべてのものを描き出すということにおいて、心と仏と人びとと、この三つのものに区別はない。

 すべてのものは、心から起こると、仏は正しく知っている。だから、このように知る人は、真実の仏を見ることになる。


 二、ところが、この心は常に恐れ悲しみ悩んでいる。すでに起こったことを恐れ、まだ起こっていないことをも恐れている。なぜなら、この心の中に無明と病的な愛着とがあるからである。

 この貪りの心から迷いの世界が生まれ、迷いの世界のさまざまな因縁も、要約すれば、みな心そのものの中にある。

 生も死も、ただ心から起こるのであるから、迷いの生死(しょうじ)にかかわる心が滅びると、迷いの生死は尽きる。

 迷いの世界はこの心から起こり、迷いの心で見るので迷いの世界となる。心を離れて迷いの世界がないと知れば、汚れを離れてさとりを得るであろう。

 このように、この世界は心に導かれ、心に引きずられ、心の支配を受けている。迷いの心によって、悩みに満ちた世間が現れる。


 三、すべてのものは、みな心を先とし、心を主(あるじ)とし、心から成っている。汚れた心でものを言い、また身で行なうと、苦しみがその人に従うのは、ちょうど牽(ひ)く牛に車が従うようなものである。

 しかし、もし善い心でものを言い、または身で行なうと、楽しみがその人に従うのは、ちょうど影が形に添うようなものである。悪い行ないをする人は、この世では、悪いことをしたと苦しみ、後の世では、その悪い報いを受けてますます苦しむ。善い行ないをする人は、この世において、善いことをしたと楽しみ、後の世では、その報いを受けてますます楽しむ。(第966版本「悪い行いをする人は、その悪の報いを受けて苦しみ、善い行いをする人は、その善の報いを受けて楽しむ。」)

 この心が濁ると、その道は平らでなくなり、そのために倒れなければならない。また、心が清らかであるならば、その道は平らになり、安らかになる。 

 身と心の清らかさを楽しむものは、悪魔の網を破って仏の大地を歩むものである。心の静かな人は安らかさを得て、ますます努めて夜も昼も心を修めるであろう。



 第四章 煩悩

 第一節 心のけがれ

 一、仏性(ぶっしょう)を覆いつつむ煩悩に二種類ある。

 一つは知性の煩悩である。二つには感情の煩悩である(一つは道理に迷う理性の煩悩である。二つには実際に当たって迷う感情の煩悩である)。

 この二つの煩悩は、あらゆる煩悩の根本的な分類であるが、このあらゆる煩悩の根本となるものを求めれば、一つには無明(むみょう)、二つには愛欲となる(この二つの煩悩は、無明と愛欲となる)。

 この無明と愛欲とは、あらゆる煩悩を生み出す自在の力を持っている。そして、この二つこそ、すべての煩悩の源なのである。

 無明とは無知のことで、ものの道理をわきまえないことである。愛欲は激しい欲望で、生に対する執着が根本であり、見るもの聞くものすべてを欲しがる欲望ともなり、また転じて、死を願うような欲望ともなる。

 この無明と愛欲とをもとにして、貪(むさぼ)り、瞋(いか)り、愚かさ、邪見(じゃけん)、恨み、嫉(ねた)み、へつらい、たぶらかし、おごり、あなどり、ふまじめ、その他いろいろの煩悩が生まれてくる。


 二、貪りの起きるのは、気に入ったものを見て、正しくない考えを持つためである。瞋りの起きるのは、気に入らないものを見て、正しくない考えを持つためである。愚かさはその無知のために、なさなければならないことと、なしてはならないこととを知らないことである。邪見は正しくない教えを受けて、正しくない考えを持つことから起きる。

 この貪(むさぼ)りと瞋(いか)りと愚かさは、世の三つの火といわれる。貪りの火は、欲にふけって、真実心を失った人を焼き、瞋りの火は、腹を立てて、生けるものの命を害(そこ)なう人を焼き、愚かさの火は、心迷って仏の教えを知らない人を焼く。

 まことにこの世はさまざまの火に焼かれている。貪りの火、瞋りの火、愚かさの火、生・老・病・死の火、憂い・悲しみ・苦しみ・悶えの火、さまざまな火によって炎々と燃えあがっている。これらの煩悩の火はおのれを焼くばかりでなく、他をも苦しめ、人を身(しん)・口(く)・意(い)の三つの悪い行為に導くことになる。しかも、これらの火によってできた傷口のうみは触れたものを毒し、悪道に陥(おと)し入れる。


 三、貪(むさぼ)りは満足を得たい気持ちから、瞋(いか)りは満足を得られない気持ちから、愚かさは不浄な考えから生まれる。貪りは罪の汚れは少ないけれども、これを離れることは容易でなく、瞋りは罪の汚れが大きいけれども、これを離れることは早いものである。愚かさは罪の汚れも大きく、またこれを離れることも容易ではない。

 したがって、人びとは気に入ったものの姿を見聞きしては正しく思い、気に入らないものの姿を見ては慈しみの心を養い、常に正しく考えて、この三つの火を消さなければならない。もしも、人びとが正しく、清く、無私の心に満ちているならば、煩悩によって惑わされることはない。


 四、貪り、瞋り、愚かさは熱のようなものである。どんな人でも、この熱の一つでも持てば、いかに美しい広びろとした部屋に身を横たえても、その熱にうなされて、寝苦しい思いをしなければならない。

 この三つの煩悩のない人は、寒い冬の夜、木の葉を敷物とした薄い寝床でも、快く眠ることができ、むし暑い夏の夜、閉じこめられた狭苦しい部屋でも、安らかに眠ることができる。

 この三つは、この世の悲しみと苦しみのもとである。この悲しみと苦しみのもとを絶つものは、戒めと心の統一と智慧である。戒めは貪りの汚れを取り去り、正しい心の統一は瞋りの汚れを取り去り、智慧は愚かさの汚れを取り去る。


 五、人間の欲にははてしがない。それはちょうど塩水を飲むものが、いっこうに渇きが止まらないのに似ている。彼はいつまでたっても満足することがなく、渇きはますます強くなるばかりである。

 人はその欲を満足させようとするけれども、不満がつのっていらだつだけである。

 人は欲を決して満足させることができない。そこには求めて得られない苦しみがあり、満足できないときには、気も狂うばかりとなる。

 人は欲のために争い、欲のために戦う。王と王、臣と臣、親と子、兄と弟、姉と妹、友人同士、互いにこの欲のために狂わされて相争い、互いに殺し合う。

 また人は欲のために身をもちくずし、盗み、詐欺し、姦淫する。ときには捕らえられて、さまざまな刑を受け、苦しみ悩む。

 また、欲のために身・口・意の罪を重ね、この世で苦しみを受けるとともに、死んで後の世には、暗黒の世界に入ってさまざまな苦しみを受ける。


六、愛欲は煩悩の王、さまざまの煩悩がこれにつき従う。

 愛欲は煩悩の芽をふく湿地、さまざまな煩悩を生じる。愛欲は善を食う鬼女、あらゆる善を滅ぼす。

 愛欲は花に隠れ住む毒蛇、欲の花を貪るものに毒を刺して殺す。愛欲は木を枯らすつる草、人の心に巻きつき、人の心の中の善のしるを吸い尽くす。愛欲は悪魔の投げた餌(え)、人はこれにつられて悪魔の道に沈む。

 飢えた犬に血を塗った乾いた骨を与えると、犬はその骨にしゃぶりつき、ただ疲れと悩みを得るだけである。愛欲が人の心を養わないのは、まったくこれと同じである。

 一切れの肉を争って獣は互いに傷つく。たいまつを持って風に向かう愚かな人は、ついにおのれ自身を焼く。この獣のように、また、この愚かな人のように、人は欲のためにおのれの身を傷つけ、その身を焼く。


 七、外から飛んでくる毒矢は防ぐすべがあっても、内からくる毒矢は防ぐすべがない。貪りと瞋りと愚かさと高ぶりとは、四つの毒矢にもたとえられるさまざまな病を起こすものである。

 心に貪(むさぼ)りと瞋(いか)りと愚かさがあるときは、口には偽りと無駄口悪口と二枚舌を使い、身には殺生と盗みとよこしまな愛欲を犯すようになる。

 意の三つ、口の四つ、身の三つ、これらを十悪という。

 知りながらも偽りを言うようになれば、どんな悪事をも犯すようになる。悪いことをするから、偽りを言わなければならないようになり、偽りを言うようになるから、平気で悪いことをするようになる。
 
 人の貪(むさぼ)りも、愛欲も恐れも瞋(いか)りも、愚かさからくるし、人の不幸も難儀も、また愚かさからくる。愚かさは実に人の世の病毒にほかならない。
 

 八、人は煩悩によって業(ごう)を起こし、業によって苦しみを招く。煩悩と業と苦しみの三つの車輪はめぐりめぐってはてしがない。

 この車輪の回転には始まりもなければ終わりもない。しかも、人はこの輪廻(りんね)から逃れるすべを知らない。永遠に回帰する輪廻に従って、人はこの現在の生から、次の生へと永遠に生まれ変わってゆく。

 限りない輪廻の間に、ひとりの人が焼き捨てた骨を積み重ねるならば、山よりも高くなり、また、その間に飲んだ母の乳を集めるならば、海の水よりも多くなるであろう。

 だから、人には仏性があるとはいえ、煩悩の泥があまりに深いため、その芽生えは容易でない。芽生えない仏性はあってもあるとはいわれないので人びとの迷いははてしない。

仏教聖典 (通りがけ)
2015-05-15 18:07:45
第四節  迷いのすがた

 一、この世の人びとは、人情が薄く、親しみ愛することを知らない。しかも、つまらないことを争いあい、激しい悪と苦しみの中にあって、それぞれの仕事を勤めて、ようやく、その日を過ごしている。

 身分の高下にかかわらず、富の多少にかかわらず、すべてみな金銭のことだけに苦しむ。なければないで苦しみ、あればあるで苦しみ、ひたすらに欲のために心を使って、安らかなときがない。

 富める人は、田があれば田を憂え、家があれば家を憂え、すべて存在するものに執着して憂いを重ねる。あるいは災いにあい、困難に出会い、奪われ焼かれてなくなると、苦しみ悩んで命まで失うようになる。しかも死への道はひとりで歩み、だれもつき従う者はない。

 貧しいものは、常に足らないことに苦しみ、家を欲しがり、田を欲しがり、この欲しい欲しいの思いに焼かれて、心身ともに疲れ果ててしまう。このために命を全うすることができずに、中途で死ぬようなこともある。

 すべての世界が敵対するかのように見え、死出の旅路は、ただひとりだけで、はるか遠くに行かなければならない。


 二、また、この世には五つの悪がある。

 一つには、あらゆる人から地に這う虫に至るまで、すべてみな互いにいがみあい、強いものは弱いものを倒し、弱いものは強いものを欺き、互いに傷つけあい、いがみあっている。

 二つには、親子、強大、夫婦、親族など、すべて、それぞれおのれの道がなく、守るところもない。ただ、おのれを中心にして欲をほしいままにし、互いに欺きあい、心と口とが別々になっていて誠がない。

 三つには、だれも彼もみなよこしまな思いを抱き、みだらな思いに心をこがし、男女の間に道がなく、そのために、徒党を組んで争い戦い、常に非道を重ねている。

 四つには、互いに善い行為をすることを考えず、ともに教えあって悪い行為をし、偽り、むだ口、悪口、二枚舌を使って、互いに傷つけあっている。ともに尊敬しあうことを知らないで、自分だけが尊い偉いものであるかのように考え、他人を傷つけて省みるところがない。

 五つには、すべてのものは怠りなまけて、善い行為をすることさえ知らず、恩も知らず、義務も知らず、ただ欲のままに動いて、他人に迷惑をかけ、ついには恐ろしい罪を犯すようになる。


 三、人は互いに敬愛し、施しあわなければならないのに、わずかな利害のために互いに憎み争うことだけをしている。しかも、争う気持ちがほんのわずかでも、時の経過に従ってますます大きく激しくなり、大きな恨みになることを知らない。

 この世の争いは、互いに害(そこな)いあっても、すぐに破滅に至ることはないけれども、毒を含み、怒りが積み重なり、憤りを心にしっかり刻みつけてしまい、生をかえ、死をかえて、互いに傷つけあうようになる。

 人はこの愛欲の世界に、ひとり生まれ、ひとり死ぬ。未来の報いは代わって受けてくれるものがなく、おのれひとりでそれに当たらねばならない。

 善と悪とはそれぞれその報いを異にし、善は幸いを、悪は災いをもたらし、動かすことのできない道理によって定まっている。しかも、それぞれが、おのれの業を担い、報いの定まっているところへ、ひとり赴く。


 四、恩愛のきずなにつながれては憂いに閉ざされ、長い月日を経ても、いたましい思いを解くことができない。それとともに、激しい貪りにおぼれては、悪意に包まれ、でたらめに事を起こし、他人と争い、真実の道に親しむことができず、寿命も尽きないうちに、死に追いやられ、永劫に苦しまなければならない。

 このような人の仕業は、自然の道に逆らい、天地の道理にそむいているので、必ず災いを招くようになり、この世でも、後の世でも、ともに苦しみを重ねなければならない。

 まことに、世俗のことはあわただしく過ぎ去ってゆき、頼りとすべきものは何一つなく、力になるものも何一つない。この中にあって、こぞってみな快楽のとりことなっていることは、嘆かわしい限りといわなければならない。


 五、このような有様が、まことにこの世の姿であり、人びとは苦しみの中に生まれてただ悪だけを行ない、善を行なうことを少しも知らない。だから自然の道理によって、さらに苦しみの報いを受けることを避けられない。

 ただおのれにのみ何でも厚くして、他人に恵むことを知らない。そのうえ、欲に迫られてあらゆる煩悩を働かせ、そのために苦しみ、またその結果によって苦しむ。

 栄華の時勢は長続きせず、たちまちに過ぎ去る。この世の快楽も何一つ永続するものはない。
 

 六、だから、人は世俗のことを捨て、健全なときに道を求め、永遠の生を願わねばならない。道を求めることをほかにして、どんな頼み、どんな楽しみがあるというのか。

 ところが人びとは、善い行為をすれば善を得、道にかなった行為をすれば道を得るということを信じない。また、人が死んでまた生まれるということを知らず、施せば幸いを得るということを信じない。すべて善悪にかかわるすべてのことを信じない。

 ただ、誤った考えだけを持ち、道も知らず、善も知らず、心が暗くて、吉凶禍福が次々に起こってくる道理を知らず、ただ眼前に起こることだけについて泣き悲しむ。

 どんなものでも永久に変わらないものはないのであるから、すべてうつり変わる。ただ、これについて苦しみ悲しむことだけを知っていて、教えを聞くことがなく、心に深く思うことがなく、ただ眼前の快楽におぼれて、財貨や色欲を貪って飽きることを知らない。


 七、人びとが、遠い昔から迷いの世界を経めぐり、憂いと苦しみに沈んでいたことは、言葉では言い尽くすことができない。しかも、今日に至っても、なお迷いは絶えることがない。ところが、いま、仏の教えに会い、仏の名を聞いて信ずることができたのは、まことにうれしいことである。

 だから、よく思いを重ね、悪を遠ざけ、善を選び、努め行なわなければならない。

 いま、幸いにも仏の教えに会うことができたのであるから、どんな人も仏の教えを信じて、仏の国に生まれることを願わなければならない。仏の教えを知った以上は、人は他人に従って煩悩や罪悪のとりこになってはならない。また、仏の教えをおのれだけのものとすることなく、それを実践し、それを他人に教えなければならない。



仏教聖典 (通りがけ)
2015-05-15 18:10:05
はげみ

第1章 さとりへの道 

 第一節 心を清める

 一、人には、迷いと苦しみのもとである煩悩がある。この煩悩のきずなから逃れるには五つの方法がある。

 第一には、ものの見方を正しくして、その原因と結果とをよくわきまえる。すべての苦しみのもとは、心の中の煩悩であるから、その煩悩がなくなれば、苦しみのない境地が現われることを正しく知るのである。

 見方を誤るから、我(が)という考えや、原因・結果の法則を無視する考えが起こり、この間違った考えにとらわれて煩悩を起こし、迷い苦しむようになる。

 第二には、欲をおさえしずめることによって煩悩をしずめる。明らかな心によって、眼・耳・鼻・舌・身・意の六つに起こる欲をおさえしずめて、煩悩の起こる根元を断ち切る。

 第三には、物を用いるに当たって、考えを正しくする。着物や食物を用いるのは享楽のためとは考えない。着物は暑さや寒さを防ぎ羞恥を包むためであり、食物は道を修めるもととなる身体を養うためにあると考える。この正しい考えのために、煩悩は起こることができなくなる。

 第四には何ごとも耐え忍ぶことである。暑さ・寒さ・飢え・渇きを耐え忍び、ののしりや謗(そし)りを受けても耐え忍ぶことによって、自分の身を焼き滅ぼす煩悩の火は燃え立たなくなる。

 第五には、危険から遠ざかることである。賢い人が、荒馬や狂犬の危険に近づかないように、行ってはならない所、交わってはならない友は遠ざける。このようにすれば煩悩の炎は消え去るのである。


 二、世には五つの欲がある。

 眼に見るもの、耳に聞く声、鼻にかぐ香り、舌に味わう味、身に触れる感じ、この五つのものをここちよく好ましく感ずることである。

 多くの人は、その肉体の好ましさに心ひかれて、これにおぼれ、その結果として起こる災いを見ない。これはちょうど、森の鹿が猟師のわなにかかって捕えられるように、悪魔のしかけたわなにかかったのである。まことにこの五欲はわなであり、人びとはこれにかかって煩悩を起こし、苦しみを生む。だから、この五欲の災いを見て、そのわなから免れる道を知らなければならない。


 三、その方法は一つではない。例えば、蛇と鰐(わに)と鳥と犬と狐と猿と、その習性を別にする六種の生きものを捕えて強いなわで縛り、そのなわを結び合わせて放つとする。

 このとき、この六種の生きものは、それぞれの習性に従って、おのおのその住みかに帰ろうとする。蛇は塚に、鰐は水に、鳥は空に、犬は村に、狐は野に、猿は森に。このために互いに争い、力のまさったものの方へ、引きずられてゆく。

 ちょうどこのたとえのように、人びとは目に見たもの、耳に聞いた声、鼻にかいだ香り、舌に味わった味、身に触れた感じ、及び、意(こころ)に思ったもののために引きずられ、その中の誘惑のもっとも強いものの方に引きずられてその支配を受ける。

 またもし、この六種の生きものを、それぞれなわで縛り、それを丈夫な大きな柱に縛りつけておくとする。はじめの間は、生きものたちはそれぞれの住みかに帰ろうとするが、ついには力尽き、その柱のかたわらに疲れて横たわる。

 これと同じように、もし、人がその心を修め、その心を鍛練しておけば、他の五欲に引かれることはない。もし心が制御されているならば、人びとは、現在においても未来においても幸福を得るであろう。


 四、人びとは欲の火の燃えるままに、はなやかな名声を求める。それはちょうど香が薫りつつ自らを焼いて消えてゆくようなものである。いたずらに名声を求め、名誉を貪って、道を求めることを知らないならば、身はあやうく、心は悔いにさいなまれるであろう。

 名誉と財と色香とを貪り求めることは、ちょうど、子供が刃(やいば)に塗られた蜜をなめるようなものである。甘さを味わっているうちに、舌を切る危険をおかすこととなる。

 愛欲を貪り求めて満足を知らない者は、たいまつをかかげて風に逆らいゆくようなものである。手を焼き、身を焼くのは当然である。

 貪りと瞋(いか)りと愚かさという三つの毒に満ちている自分自身の心を信じてはならない。自分の心をほしいままにしてはならない。心をおさえ欲のままに走らないように努めなければならない。


 五、さとりを得ようと思うものは、欲の火を去らなければならない。干し草を背に負う者が野火を見て避けるように、さとりの道を求める者は、必ずこの欲の火から遠ざからなければならない。 
                                     
 美しい色を見、それに心を奪われることを恐れて眼をくり抜こうとする者は愚かである。心が主であるから、よこしまな心を断てば、従者である眼の思いは直ちにやむ。

 道を求めて進んでゆくことは苦しい。しかし、道を求める心のないことは、さらに苦しい。この世に生まれ、老い、病んで、死ぬ。その苦しみには限りがない。

 道を求めてゆくことは、牛が重荷を負って深い泥の中を行くときに、疲れてもわき目もふらずに進み、泥を離れてはじめて一息つくのと同じでなければならない。欲の泥はさらに深いが、心を正しくして道を求めてゆけば、泥を離れて苦しみはうせるであろう。


  六、道を求めてゆく人は、心の高ぶりを取り去って教えの光を身に加えなければならない。どんな金銀・財宝の飾りも、徳の飾りには及ばない。

 身を健やかにし、一家を栄えさせ、人びとを安らかにするには、まず、心をととのえなければならない。心をととのえて道を楽しむ思いがあれば、徳はおのずからその身にそなわる。

 宝石は地から生まれ、徳は善から現われ、智慧は静かな清い心から生まれる。広野のように広い迷いの人生を進むには、この智慧の光によって、進むべき道を照らし、徳の飾りによって身をいましめて進まなければならない。

 貪(むさぼ)りと瞋(いか)りと愚かさという三つの毒を捨てよ、と説く仏の教えは、よい教えであり、その教えに従う人は、よい生活と幸福とを得る人である。


 七、人の心は、ともすればその思い求める方へと傾く。貪(むさぼ)りを思えば貪りの心が起こる。瞋(いか)りを思えば瞋りの心が強くなる。損なうことを思えば損なう心が多くなる。

 牛飼いは、秋のとり入れ時になると、放してある牛を集めて牛小屋に閉じこめる。これは牛が穀物を荒して抗議を受けたり、また殺されたりすることを防ぐのである。

 人もそのように、よくないことから起こる災いを見て、心を閉じこめ、悪い思いを破り捨てなければならない。貪(むさぼ)りと瞋(いか)りと損なう心を砕いて、貪らず、瞋(いか)らず、損なわない心を育てなければならない。

 牛飼いは、春になって野原の草が芽をふき始めると牛を放す。しかし、その牛の群れの行方を見守り、その居所に注意を怠らない。

 人もまた、これと同じように、自分の心がどのように動いているか、その行方を見守り、行方を見失わないようにしなければならない。


 八、釈尊がコーサンビーの町に滞在していたとき、釈尊に怨みを抱く者が町の悪者を買収し、釈尊の悪口を言わせた。釈尊の弟子たちは、町に入って托鉢(たくはつ)しても一物も得られず、ただそしりの声を聞くだけであった。

 そのときアーナンダは釈尊にこう言った。「世尊よ、このような町に滞在することはありません。他にもっとよい町があると思います」「アーナンダよ、次の町もこのようであったらどうするのか」「世尊よ、また他の町へ移ります」

 「アーナンダよ、それではどこまで行ってもきりがない。わたしはそしりを受けたときには、じっとそれに耐え、そしりの終わるのを待って、他へ移るのがよいと思う。アーナンダよ。仏は、利益・害・中傷・ほまれ・たたえ・そしり・苦しみ・楽しみという、この世の八つのことによって動かされることがない。こういったことは、間もなく過ぎ去るであろう」



仏教聖典 (通りがけ)
2015-05-15 18:11:16
 第二節 善い行ない

 一、道を求めるものは、常に身と口と意の三つの行ないを清めることを心がけなければならない。身の行ないを清めるとは、生きものを殺さず、盗みをせず、よこしまな愛欲を犯さないことである。口の行ないを清めるとは、偽りを言わず、悪口を言わず、二枚舌を使わず、むだ口をたたかないことである。意の行ないを清めるとは、貪(むさぼ)らず、瞋(いか)らず、よこしまな見方をしないことである。

 心が濁れば行ないが汚れ、行ないが汚れると、苦しみを避けることができない。だから、心を清め、行ないを慎しむことが道のかなめである。


 二、昔、ある金持ちの未亡人がいた。親切で、しとやかで、謙遜であったため、まことに評判のよい人であった。その家にひとりの女中がいて、これも利口でよく働く女であった。

 あるとき、その女中がこう考えた。「うちの主人は、まことに評判のよい人であるが、腹からそういう人なのか、または、よい環境がそうさせているのか、一つ試してみよう」

 そこで、女中は、次の日、なかなか起きず、昼ごろにようやく顔を見せた。主人はきげんを悪くして、「なぜこんなに遅いのか。」ととがめた。

 「一日や二日遅くても、そうぶりぶり怒るものではありません」とことばを返すと、主人は怒った。

 女中はさらに次の日も遅く起きた。主人は怒り、棒で打った。このことが知れわたり、未亡人はそれまでのよい評判を失った。


 三、だれでもこの女主人と同じである。環境がすべて心にかなうと、親切で謙遜で、静かであることができる。しかし、環境が心に逆らってきても、なお、そのようにしていられるかどうかが問題なのである。

 自分にとって面白くないことばが耳に入ってくるとき、相手が明らかに自分に敵意を見せて迫ってくるとき、衣食住が容易に得られないとき、このようなときにも、なお静かな心と善い行ないとを持ち続けることができるであろうか。

 だから、環境がすべて心にかなうときだけ、静かな心を持ちよい行ないをしても、それはまことによい人とはいえない。仏の教えを喜び、教えに身も心も練り上げた人こそ、静かにして、謙遜な、よい人といえるのである。


 四、すべてことばには、時にかなったことばとかなわないことば、事実にかなったことばとかなわないことば、柔らかなことばと粗いことば、有益なことばと有害なことば、慈しみあることばと憎しみのあることば、この五対がある。

 この五対のいずれによって話しかけられても、

 「わたしの心は変わらない。粗いことばはわたしの口から漏れない。同情と哀れみとによって慈しみの思いを心にたくわえ、怒りや憎しみの心を起こさないように」と努めなければならない。

 五、ある人が、「夜は煙って、昼は燃える蟻塚。」を見つけた。
ある賢者にそのことを語ると、「では、剣をとって深く掘り進め。」と命ぜられ、言われるままに、その蟻塚を掘ってみた。

 はじめにかんぬきが出、次は水泡、次には刺叉(さすまた)、それから箱、亀、牛殺しの刀、一片の肉が次々と出、最後に龍が出た。

 賢者にそのことを語ると、「それらのものをみな捨てよ。ただ龍のみをそのままにしておけ。龍を妨げるな。」と教えた。

 これはたとえである。ここに「蟻塚」というのはこの体のことである。「夜は煙って」というのは、昼間したことを夜になっていろいろ考え、喜んだり、悔やんだりすることをいう。「昼は燃える」というのは、夜考えたことを、昼になってから体や口で実行することをいう。

 「ある人」というのは道を求める人のこと、「賢者」とは仏のことである。「剣」とは清らかな智慧のこと、「深く掘り進む」とは努力のことである。

 「かんぬき」とは無明のこと、「水泡」とは怒りと悩み、「刺叉」とはためらいと不安、「箱」とは貪り・瞋り・怠り・浮わつき・悔い・惑いのこと、「亀」とは身と心のこと、「牛殺しの刀」とは五欲のこと、「一片の肉」とは楽しみを貪り求める欲のことである。これらは、いずれもこの身の毒となるものであるから、「みな捨てよ」というのである。

 最後の「龍」とは、煩悩の尽きた心のことである。わが身の足下を掘り進んでゆけば、ついにはこの龍を見ることになる。

 掘り進んでこの龍を見いだすことを、「龍のみをそのままにしておけ、龍を妨げるな。」というのである。


 六、釈尊の弟子ピンドーラは、さとりを得て後、故郷の恩に報いるために、コーサンビーの町に帰り、努力して仏の種をまく田地(でんち)の用意をしようとした。コーサンビーの郊外に、小公園があり、椰子の並木は果てもなく続き、ガンジスの洋々たる河波は、涼しい風を絶え間なく送っていた。

 夏のある日、昼の暑い日盛りを避けて、ピンドーラは、並木の木陰の涼しいところで座禅していた。ちょうどこの日、城主のウダヤナ王も、妃たちを連れて公園に入り、管弦の遊びに疲れて、涼しい木陰にしばしの眠りにおちいった。

 妃たちは、王の眠っている間、あちらこちらとさまよい歩き、ふと、木陰に端座するピンドーラを見た。彼女らはその姿に心うたれ、道を求める心を起こし、説法することを求めた。そして、彼の教えに耳を傾けた。

 目を覚ました王は、妃たちのいないのに不審をいだき、後を追って、木陰で妃たちにとりまかれているひとりの出家を見た。淫楽に荒んだ王は、前後の見境もなく、心中にむらむらと嫉妬の炎を燃やし、「わが女たちを近づけて雑談にふけるとはふらちな奴だ。」と悪口を浴びせた。ピンドーラは眼を閉じ、黙然として、一語も発しない。

 怒り狂った王は、剣を抜いて、ピンドーラの頭につきつけたが、彼はひとことも語らず、岩のように動かない。

 いよいよ怒った王は、蟻塚をこわして、無数の赤蟻を彼の体のまわりにまき散らしたが、それでもピンドーラは、端然と坐ったままそれに耐えていた。

 ここに至って、王ははじめて自分の狂暴を恥じ、その罪をわびて許しを請うた。これから仏の教えがこの王家に入り、その国に広まるいとぐちが開けた。


 七、その後、幾日か過ぎて、ウダヤナ王はピンドーラをその住む森に訪ね、その不審をただした。

 「大徳よ、仏の弟子たちは、若い身でありながら、どうして欲におぼれず、清らかにその身を保つことができるのであろうか。」

 「大王よ、仏はわたしたちに向かって、婦人に対する考えを教えられた。年上の婦人を母と見よ。中ほどの婦人を妹と見よ。若い婦人を娘と見よと。この教えによって、弟子たちは若い身でありながら、欲におぼれず、その身を清らかに保っている。」

 「大徳よ、しかし、人は、母ほどの人にも、妹ほどの人にも、娘ほどの人にもみだらな心を起こすものである。仏の弟子たちはどのようにして欲を抑えることができるのであろうか。」

 「大王よ、世尊は、人の体がいろいろの汚れ、血・うみ・汗・脂など、さまざまの汚れに満ちていることを観(み)よと教えられた。このように見ることによって、われわれ若い者でも、心を清らかに保つことができるのである。」

 「大徳よ、体を鍛え、心を練り、智慧をみがいた仏弟子たちには容易であるかも知れない。しかし、いかに仏の弟子でも、未熟の人には、容易なことではないであろう。汚れたものを見ようとしても、いつしか清らかな姿に心ひかれ、醜さを見ようとしても、いつしか美しい形に魅せられてゆく。仏弟子が美しい行いを保つには、もっと他に理由があるのではあるまいか。」

 「大王よ、仏は五官の戸口を守れと教えられる。目によって色・形を見、耳によって声を聞き、鼻によって香りをかぎ、舌によって味を味わい、体によって物に触れるとき、そのよい姿に心を奪われず、またよくない姿に心をいらだたせず、よく五官の戸口を守れと教えられる。この教えによって、若い者でも、心身を清らかに保つことができるのである。」

 「大徳よ、仏の仰せは、まことにすばらしい。わたしの経験によってもそのとおりである。五官の戸締まりをしないで、ものに向かえば、すぐに卑しい心にとらわれる。五官の戸口を守ることは、わたしどもの行いを清らかにするうえに、まことに大切なことである。」


 八、人が心に思うところを動作に表すとき、常にそこには反作用が起こる。人はののしられると、言い返したり、仕返ししたくなるものである。人はこの反作用に用心しなくてはならない。それは風に向かって唾(つばき)するようなものである。それは他人を傷つけず、かえって自分を傷つける。それは風に向かってちりを掃くようなものである。それはちりを除くことにならず、自分を汚すことになる。仕返しの心には常に災いがつきまとうものである。


 九、せまい心を捨てて、広く他に施すことは、まことによいことである。それとともに、志を守り、道を敬うことは、さらによいことである。

 人は利己的な心を捨てて、他人を助ける努力をすべきである。他人が施すのを見れば、その人はさらに別の人を幸せにし、幸福はそこから生まれる。

 一つのたいまつから何千人の人が火を取っても、そのたいまつはもとのとおりであるように、幸福はいくら分け与えても、減るということはない。

 道を修める者は、その一歩一歩を慎まなければならない。
志がどんなに高くても、それは一歩一歩到達されなければならない。道は、その日その日の生活の中にあることを忘れてはならない。


 十、この世の中に、さとりへの道を始めるに当たって成し難いことが二十ある。

   一、貧しくて、施すことは難く、

   二、慢心にして道を学ぶことは難く、

   三、命を捨てて道を求めることは難く、

   四、仏の在世に生を受けることは難く、

   五、仏の教えを聞くことは難く、

   六、色欲を耐え忍び、諸欲を離れることは難く、

   七、よいものを見て求めないことは難く、

   八、権勢を持ちながら、勢いをもって人に臨まないことは難く、

   九、辱められて怒らないことは難く、

   十、事が起きても無心であることは難く、

  十一、広く学び深く究めることは難く、

  十二、初心の人を軽んじないことは難く、

  十三、慢心を除くことは難く、

  十四、よい友を得ることは難く、

  十五、道を学んでさとりに入ることは難く、

  十六、外界の環境に動かされないことは難く、

  十七、相手の能力を知って、教えを説くことは難く、

  十八、心をいつも平らかに保つことは難く、

  十九、是非をあげつらわないことは難く、

  二十、よい手段を学び知ることは難い。


 十一、悪人と善人の特質はそれぞれ違っている。悪人の特質は、罪を知らず、それをやめようとせず、罪を知らされるのをいやがる。善人の特質は、善悪を知り、悪であることを知ればすぐやめ、悪を知らせてくれる人に感謝する。

 このように、善人と悪人とは違っている。

 愚かな人とは自分に示された他人の親切に感謝できない人である。

 一方賢い人とは常に感謝の気持ちを持ち、直接自分に親切にしてくれた人だけではなく、すべての人に対して思いやりの心を持つことによって、感謝の気持ちを表そうとする人である。
仏教聖典 (通りがけ)
2015-05-17 13:44:34
第一章 因縁 

 第三節 ささえあって

 三、この世の中には、三つの誤った見方がある。もしこれらの見方に従ってゆくと、この世のすべてのことが否定されることになる。

 一つには、ある人は、人間がこの世で経験するどのようなことも、すべて運命であると主張する。二つには、ある人は、それはすべて神の御業(みわざ)であるという。三つには、またあるひとは、すべて因も縁もないものであるという。

 もしも、すべてが運命によって定まっているならば、この世においては、善いことをするのも、悪いことをするのも、みな運命であり、幸・不幸もすべて運命となって、運命のほかには何ものも存在しないことになる。

 したがって、人びとに、これはしなければならない、これはしてはならないという希望も努力もなくなり、世の中の進歩も改良もないことになる。

 次に、神の御業であるという説も、最後の因も縁もないとする説も、同じ非難が浴びせられ、悪を離れ、善をなそうという意志も努力も意味もすべてなくなってしまう。

 だから、この三つの見方はみな誤っている。どんなことも縁によって生じ、縁によって滅びるものである。

「閣議決定は違憲立法である」 (通りがけ)
2015-05-18 23:46:03
「自転車運転講習は14歳未満は対象外、13歳未満の児童、幼児又は70歳以上の高齢者の場合、自転車が通行可能な歩道の標識が無い歩道でも通行することができるようです。」
さゆふらっとまうんどのブログsayuflatmound.com/?p=11910
>すいすい 2015年5月18日 8:34 PM に投稿
>こういった記事を書くのであれば、きちんと調べてから(ネットで検索したソースを使うのではなく、警察などに問い合わせをして正式な回答をもらって)書くべきだと思います。

この投稿をした「すいすい」とやらが、まさしくフリーメーソンスパイ田布施政府の工作員エージェントですね。

「警察などに問い合わせをして」という見え透いた誤誘導がその証拠です。施行された法律の内容を警察などに問い合わせる必要などまったくありません。「警察など」にではなく国会に問い合わせなければならないのです。

実は憲法によりすべての法律は行政府内の官僚が立法して施行することを禁じています。立法は唯一の立法機関である国会のみがこれを行い、内容を審議のうえ国会で承認された法律のみが施行されます。

すなわち戦後政府がたびたび行ってきて現在の安倍政府にいたってさかんに乱発している官僚立法と閣議決定にのみ基づく新法の施行はすべて違憲立法そのものです。最高裁判所の違憲立法審査権発動は全く必要ありません。

そもそも唯一の立法機関である国会で立法審議されていないのだから、これら閣議決定での法律施行はすべて最初から審査する必要のない憲法手続き違反の明々白々な違憲立法です。これはまさに行政府公務員による憲法違反行政であり、国会審議抜きで施行して行政執行すれば直ちに憲法99条違反刑法内乱罪現行犯有罪となります。
「安倍憲法違反内乱罪外患罪犯罪者政府」 (通りがけ)
2015-05-20 10:05:19
@日本、「状況によっては北朝鮮に軍事攻撃を行う」

日本の中谷防衛大臣が、集団的自衛権を行使し、状況によっては北朝鮮のミサイル基地を攻撃することが可能だと語りました。

ロイター通信によりますと、中谷大臣は19日火曜、異例の表明として、北朝鮮がアメリカをミサイル攻撃した場合、日本は北朝鮮を攻撃することが可能だと述べています。
日本の報道各社が、中谷大臣の話として報じたところによりますと、このミサイル攻撃は大惨事になると思われる為、その結果を考慮し、日本は北朝鮮に対するあらゆる軍事作戦に入る用意があるということです。
日本政府は最近、戦後初めて日本の自衛隊を国外での戦闘に派遣する許可を与える法案を可決しました。
中国と韓国はこれ以前に、日本の自衛隊が近い将来、海外での戦闘行為に参加できるようになることについて警告を発しており、日本に対し、性急な決定により地域の平和と安全を危機に陥れないよう警告しています。
これ以前に、世界で物議を醸した日本とアメリカの軍事関係の拡大に注目し、この表明は中国や韓国を初めとする各国の懸念を引き起こしています。
両国は日本に対し、地域の不安定を誘う行動に注意するよう求めました。
国連のパン事務総長も19日、韓国・ソウルで「日本は、適切な措置により近隣諸国との関係改善を追求すべきだ」と警告しています。
韓国の英字新聞コリア・タイムズも19日、日本を批判し、「日本は、北朝鮮に関する問題について韓国やアメリカと連携すべきであり、利己的な行動をとったり、無断で北朝鮮に対する措置を講じることはできない」と報じました。
日本は、北朝鮮とは正式な国交がなく、今年の3月には、北朝鮮に対する制裁をさらに2年延長することを発表しています。
_________________

「閣議決定は違憲立法である」

先に閣議決定した集団的自衛権の行使を早速やろうという安倍憲法違反内乱罪外患罪犯罪者政府ですね。

実は憲法によりすべての法律は行政府内の官僚が立法して施行することを禁じています。立法は国権の最高機関で唯一の立法機関である国会のみがこれを行い、内容を審議のうえ国会で承認制定された法律のみが国会の下部機関である行政府によって施行されます。

「日本国憲法第41条 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。」

すなわち戦後政府が中曽根以来たびたび行ってきて現在の安倍政府にいたってさかんに乱発している官僚立法と閣議決定にのみ基づく新法の制定はすべて違憲立法そのものです。最高裁判所の違憲立法審査権発動は全く必要ありません。

そもそも唯一の立法機関である国会で立法審議制定されていないのだから、これら閣議決定での法律施行はすべて最初から憲法が規定する制定手続き違反の明々白々な違憲立法です。

これはまさに国権の最高機関国会の下部機関たる行政府公務員による憲法違反行政であり、かように国会審議抜きで施行して行政執行すれば直ちに最高裁審査不要で直接刑吏の手に下され、憲法99条違反刑法内乱罪現行犯有罪となります。
@「GHQコード」3S+WarGuiltyInformation (通りがけ)
2015-05-21 09:18:18
1.「日本国憲法(仏教)とGHQコード(一神教カルトフリーメーソン)」

saigaijyouhou.com/?no=6558

安倍はそもそも日本国憲法も漢字が多すぎて読めないだろ。中学生までの必修だけど。
志位もポツダム宣言より憲法41条について安倍に読めるかどうか質問しろよ。

>「閣議決定は違憲立法である」
先に閣議決定した集団的自衛権を早速行使しようという安倍憲法違反内乱罪外患罪犯罪者政府ですね。

実は憲法によりすべての法律は行政府内の官僚が立法して施行することを禁じています。立法は唯一の立法機関である国会のみがこれを行い、内容を審議のうえ国会で承認された法律のみが施行されます。

「日本国憲法第41条 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。」

すなわち戦後「GHQコード」3S+WarGuiltyInformationフリーメーソン一神教カルトスパイ政府が中曽根以来たびたび行ってきて、現在の安倍政府にいたってさかんに乱発している官僚立法と閣議決定にのみ基づく新法の施行はすべて違憲立法そのものです。最高裁判所の違憲立法審査権発動は全く必要ありません。

そもそも唯一の立法機関である国会で立法されていないのだから、これら閣議決定での法律施行はすべて最初から憲法手続き違反であり、最高裁が審査する必要のない明々白々な現行犯違憲立法です。これはまさに行政府公務員による憲法違反行政であり、国会審議抜きで施行して行政執行すれば直ちに憲法99条違反刑法内乱罪現行犯有罪となります。

これはまさに国権の最高機関国会の下部機関たる行政府公務員による憲法違反行政であり、かように国会審議抜きで施行して行政執行すれば直ちに最高裁審査不要で直接刑吏の手に下され、憲法99条違反刑法内乱罪現行犯有罪となります。


2.「国連敵国条項」

【社説】「自衛隊の活動域さらに詰めよ」2015/05/21(日本経済新聞)http://s.nikkei.com/1PxiRi9
<引用>  安倍晋三首相と野党代表による党首討論が約1年ぶりに開かれ、安保法制を巡る国会攻防が始まった。日本の針路にかかわる重大な局面である。専門用語を振りかざさず、与野党は有権者にわかりやすい論戦を心がけてもらいたい。・・・後半国会では党首たちが繰り返し真剣勝負を展開することを期待する。
<終了> ameblo.jp/heiwabokenosanbutsu/entry-12029132182.html

NHKはじめ日本マスコミはすべて発足からしてイスラエルモサドアメリカCIAの戦争プロパガンダスパイ組織であるから、最も重要な国連敵国条項問題を決して報道せず、日本国憲法上日本国の君主に定められた日本国主権者国民を、電磁波悪用メディアを中心に用いて「GHQコード」3S+WarGuiltyInformationにて徹底的に欺き騙している。

日本は国連敵国である。

安保同盟国アメリカでさえ、日本が他国に対して戦争行為すなわち憲法9条に言う「国際紛争解決を目的とした手段としての武力(軍事力)行使」を行った瞬間に、在日米軍が日本に対して軍事攻撃できるのである。

何故なら国際法上日本は世界のいかなる他国とも軍事同盟を結べない国連敵国だから、日米安保条約という二国間軍事密約を国連安保理事会が認めない限り、民生転用不可能な純然攻撃兵器オスプレイを購入したり核兵器を保有したりすれば、世界中の国が宣戦布告無しでアメリカではなく日本を軍事攻撃できる状況は1945年以来変わらず、また日米安保条約においてアメリカは日本を軍事攻撃から守る義務を一切持たないのである。

>らっきーデタラメ放送局★第152回『安全保障って誰の安全?』
https://www.youtube.com/watch?v=TXlT9zGDN2A


3.「GHQコード」

この一神教カルトフリーメーソン悪魔スパイマスコミは1945年からひたすらGHQコードにのみ従って、仏心伝来大和民族日本国民仏教徒に対し情報隠蔽報道を今日まで徹頭徹尾続けている。

すなわち戦後日本政府はフリーメーソン吉田茂が米軍基地内で単独調印密約した日米安保条約により、日本国憲法を守らずただGHQコードにのみ従う、純然たるフリーメーソン悪魔カルトスパイ憲法9条違反外患罪憲法99条違反内乱罪棄民テロ政府となったのである。

GHQコードによって
(1)広島長崎の原爆被爆者医療情報はすべてABCCによって隠蔽弾圧された。
(2)フリーメーソン悪魔戦争犯罪者アメリカが極東軍事裁判を開いて、フリーメーソン戦争犯罪者ヒロヒトとフリーメーソンスパイ軍人官僚を無罪とし、忠君孝親大和魂日本人を冤罪で全員死刑にして口封じした。これがヒロヒトが行った226大和魂全員死刑冤罪裁定同様アメリカが行った冤罪死刑裁判である。
(3)焚書坑儒を行って歴史の捏造を謀った。
(4)NHKテレビ局・大新聞社出版社・宮内庁はじめ霞ヶ関全省庁・検察・自衛隊をつくり、3S政策とWarGuiltyInformation教育を開始した。
(5)・・・続きは後刻、
悪魔の正体とショックドクトリンをすべて曝いた世界一賢い日本人 (通りがけ)
2015-05-26 19:16:23
故佐宗邦皇 氏。

中世ヨーロッパ十字軍から世界史の表に登場したユダヤフリーメーソン悪魔カルトの戦争略奪陰謀史を、第二次大戦から911に至るまですべてイスラエル悪魔王国首謀ショックドクトリンであったという真実を詳細明白に明らかにした地球最高の知能日本人故佐宗邦皇 氏の講演記録youtubeでごらんください。彼が神津恭介に並ぶ世界一の頭脳で突き止めた唯一無二の真実です。(ただし911映像捏造はまだこの講演時には究明できていませんが、真犯人はすべて特定できています)

故佐宗邦皇 氏「ケネディ暗殺の真相」
https://www.youtube.com/watch?v=MpRorwLBm_E

佐宗邦皇氏暗殺後~311についてはこちらが正確に纏めてあります。

311の犯人~アメリカ政府は事前に東北大地震を知っていた
https://www.youtube.com/watch?v=wMxqowjooQw


いずれも90分程度の長い動画ですが、この2つを視聴することで明治から平成までの悪魔支配ショックドクトリンがすべて明瞭にわかる、正しい温故知新となります。

(これらの動画は、「未来への化学」リンク集  にあります)
yyy1496.web.fc2.com/sub14.html
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「先祖伝来大和魂大和民族の国からフリーメーソン放送局NHKを棄却消滅すべし」

>地デジと携帯スマホWifi両方解約すれば年20万~30万節約
saigaijyouhou.com/?no=6278

地デジはNHKに受信料年6~7万、つけっぱなしに近いのでテレビ電気代年6~7万円あわせて年10万円以上口座から自動的に抜き盗られている。
携帯スマホWifiは年18万以上口座から自動的に抜き盗られている。

それだけではない。

これらはいずれも電子レンジの周波数のマイクロ波を発生するので、こどもにこのマイクロ波を浴びせると白血病を発生させて成壮年に達する前に早逝してしまう。

こどもが早逝すれば納税者がいなくなり国が滅びる。
ゆえにイギリスでは8年前から16歳未満のこどもは携帯スマホを持ってはいけないし、家の中で12歳未満のこどもにマイクロ波被曝をゼロにするよう政府がすべての国民に対して勧告規制している。
ロシアではもっと厳重に、18歳未満のこどもに家の中でマイクロ波を被曝させることを政府が全国民に禁じている。これは被曝させれば親が逮捕されると言うこと。マイクロ波発生装置は電磁波レベルで言えばミニ原発クラスの有害危険物である。

このように、どの国も国の将来を担う子どもたちがこどものうちに危険な電磁波を浴びて早逝しないよう、政府が責任を持って有害な危険物を家庭内から除去し、こどもが健やかに成人できるように国家権力を用いてこどもという国の宝を守っている。

ところが戦後日本政府がやっていることは、総務省が管理する危険な原発レベル電磁波発生装置を、カラーテレビのコマーシャル(ポケモン痙攣映像と危険等価)で視聴者保護者を騙して国民の家庭内に大量に送り込んで、政府自らが日本人のこどもを全員放射能に準ずる危険な電磁波であるマイクロ波で病気にさせて成人するまえに早逝させようと、他の省庁も一体となったあらゆる国家権力を用いて家庭内でこどもを無差別被曝させようとしている。

何故日本だけ国が自国民のこどもを被曝させるのか?理由は簡単で、戦後日本政府は日本人が作った政府ではないからである。

戦後日本に上陸したアメリカ軍GHQのマッカーサーというユダヤ人フリーメーソンが日本に占領軍治外法権で作ったものを以下に列挙する。
テレビ局・新聞社・霞ヶ関の全省庁・検察・自衛隊。
つまり立法府の国会を除く行政司法マスコミ(第四権)はすべて1945年にできたときからユダヤ人フリーメーソンの忠実なスパイである。日本人ではない。

そして似非日本人小泉純一郎劇場詐欺師が政権を詐取して以来選挙制度が破壊され、唯一の砦であった国会(立法)もフリーメーソンスパイに憲法違反の治外法権で占拠されてしまった。

この結果現在の日本政府は頭のてっぺんからつま先まで全身全霊フリーメーソンスパイ政府であり、日本政府が行うことはすべてが日本国憲法最高法規違反の内乱罪外患罪棄民戦争犯罪政治に他ならないのである。

このすべての憲法違反政治をフリーメーソンは何を使って達成したか?カラーテレビである。

だから逆に、カラーテレビの本丸であるフリーメーソンスパイ放送局NHKを日本国憲法違反内乱罪外患罪で断罪解体すれば、ただそれだけで直ちに日本国は立憲法治国家として国内のフリーメーソンスパイを主権者国民の力で国外追放排除することができ、唯一無二の戦争永久放棄平和憲法を不退転の忘己利他菩薩先祖伝来大和魂で堅持する、この世に真の地球平和を打ち建てる大和民族独立国家となれるのである。
イスラエル悪魔王国国営憲法9条違反がイイ管財憲法99条違反内乱罪放送局NHK (通りがけ)
2015-05-27 17:33:36
>イスラエルがガザを空爆
>イスラエル!この人殺し!
http://www.presstv.com/Detail/2015/05/27/413018/gaza-israel-attack-hamas-islamic-jihad

そのイスラエルに国連創設以来特に小泉劇場詐欺師内閣以降は年間3兆円以上もの武器購入費を治外法権イスラエル大使館を通じて違法に送金しつづけているのが、フリーメーソン政府国営鬼畜外道悪魔カルト公務員放送局受信料詐取NHKそのものである。

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