巷はガヤガヤと煩いが、私の仕事はやはり治療。そろそろ本業を頑張らねば!
ということで…
3月20日に開催された東洋はり医学会渋谷支部のメインテーマは切経。これについて本部研究部切経班の鈴木信子先生より講義があった。
その時にいただいた資料の中に、黄帝内経素問の皮部論篇第五十六(経脉の走行に従って皮の部を区別しこれを論じる)があった。
- 皮膚には十二の部があり、この機能を最善の状態に保っておかないと、大病に罹る恐れがある。
- 邪気が経脉状、すなわち皮膚上にある時に邪気を追い出すことができないと、それが各経脉に入り、六腑を侵すことになる。
なかでも「外因によるすべての病は必ず皮毛の部から始まる」とは、まさにアントワーヌ・ベシャンの細胞理論を彷彿させるもの。いや黄帝内経の方がはるかに早く書かれているので、「細胞理論は黄帝内経を彷彿させる」が正しいか…
- 邪気が皮毛に入る→体毛を逆立て毛穴が開く
- 邪気が経脉に入る→血絡は変色し盛り上がる。また臓腑の精気が虚すため、対応する経脉が陥凹する。
- 邪気が筋骨に入る→寒が強い時は筋引きつり骨が痛む。熱が高い時は筋が弛緩し骨髄が燃え、肉も焼けて痩せ、体毛が直立して死亡する
このように邪気の侵入経路についても詳述されており、今更ながら古典って面白い!
ベシャンで思い出したが、彼が細胞理論で言う「微生物は必ずしも疾病の原因にはならない」は現在において自明の理。しかしパスツールの言う細菌理論、つまり「病気はそれぞれ特定の微生物と関係し、微生物こそが第一の原因である」が一世を風靡した背景には、不安を煽り、薬剤を積極的に使用してもらう…といった、経済至上主義原理が働いた結果によるものともいう。現にパスツールは死に際に「私の細菌理論は間違っていた。細菌を取り巻く環境が病気を左右するのだ」と言っている。今回の原発事故もそうだが、いつの時代も資本主義経済を支える柱は虚構によるものが多い、ということは認識しておいた方がよいようである。
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