万葉の 秋にも見むか 稚児の列
梅士 Baishi
秋分の日、津屋崎浜に参道を貫く宮地嶽神社の秋祭り
だった。
かつて、その浜のお旅所をちらと見かけたことがあっ
たが、御神幸をしっかりと見たのは初めてだった。
津屋崎は万葉歌にも歌われた夕日の美しい遠浅の浜で
ある。
ヒラメやイカの海産物は有名である。
かつては、朝鮮半島との貿易や製塩で豊かな財をなし
た都でもあった。
白村江の戦いに随行した額田王も立ち寄られた浜では
なかっただろうか。
神功皇后ゆかりの宮地嶽神社のしめ縄は出雲大社のよ
うに巨大で豊である。
じつに由緒のある聖域であると言いたいのである。
他にも、宗像大社や東郷神社も同じ海域をにらむ万葉
時代からの大社である。
聖域・宮地嶽神社の秋の大祭は、格式の高さをうかが
わせる。
しかし、筥崎宮の放生会ほどには人は集まらなくなっ
た。
惜しいことである。
三韓征伐の神功皇后の心意気を忘れてはいないか。
祭りの最終日は、御旅所を引き払って、お上りの行列に
なる。
牛車の牛がまちかねてモーモーと唸っていた。
浜の鳥居をくぐって、いよいよ神代の行列が整列して進
み始めた。
牛車の行列は筥崎宮や大宰府でもみない古の行列である。
稚児姿が如何にも秋祭りのうれしさを感じさせる。
子供にとっては、一生の宝である。
現代は激動の時代であり、戦争の危機を招きかねない
国際紛争が
噴出してやまない緊迫した国際情勢の中にある。
国際紛争の原因は、欧米の植民地支配がえぐり取った
アジア、アフリカ、南米における傷の痛みであり、貧困
である。
日本もまた、その痛みを一国で背負った国である。
未だに植民地同然の「国家的地域」の状態である。
国家とは、支配地域、国民、政府のほかに、独立国家
としての主権がなければならない。
ところが、「日本国憲法」はその主権を放棄している
のである。
なんとも卑屈な「国家的地域」に没落したのである。
日本国憲法の廃棄を宣言するまでは、日本は半植民地
である。
なぜ、こうした卑屈が正義としてまかり通るのか。
許し難いことである。
寛容の問題ではない。
大人の分別の問題でもない。
冷静な対処という問題でもない。
そんなことは、独立してから言うべきことである。
日本独立革命を起こそうではないか。
アジアの盟主として立ち上がるべきである。
日本軍を再興するべきである。
円安を恥とせよ。
円をアジアの基軸通貨とするべきである。
日本の責任である。
立憲女王国・神聖九州やまとのくに
幸福実現党応援隊・ 梅士党