高校サッカー選手権も佳境に入りまして・・(今日はTV観戦が出来ました・・正月気分です(^^)v)。
準々決勝は東海勢同士の熱戦でした。 最後の最後で同点に持ち込むチームと、逃げ切れなかったチーム・・・。解説の方(前園さんだったようだが・・・)は、さかんに「伝統校の力」と強調されておりましたが、そんなモノだけで勝負が決まるワケありません。両チーム共に懸命に闘った結果に過ぎません。 (ついでに言うと、前園さん「今の高校生は、本当にシッカリしてますよ・・・」と述べられておりましたが、思わず「お前が、当時舞い上がって勘違いしてただけだろう!」とツッコミを入れたくなりましたが。。)
しかし、記憶を遡ること約40年、「伝統校:四日市中央工業高校」を全国デビューさせたのは、私が1年の時の東海地区予選決勝戦でした。その年まで愛三岐3県で1校のワクしかなく、開催県枠の三重名張高校を無難に倒しての四中工との決勝でした。はっきり言って三重県のサッカー事情など全く知らず、負ける事など想像もしてませんでした。
ゲーム開始早々、圧倒的な攻撃サッカーに圧倒され、終わってみれば3点か4点か取られての完敗でした。(前半早々、私はゴール前で滑りこみクリアしようとして足が届かず先制点を許したばかりか、己の左足首をぶち壊し、あまりの痛さに試合後も泣いておりました・・・全治4ヶ月でしたが練習は休ませてもらえませんでした。。。)
そして、その時「全国デビュー」した四中高のDFの要だった方と、現在同じチームで楽しくプレーさせて頂いております。川村さん、その節は、結果的に私が陰ながら協力したことをお忘れなく。。
加えて、翌年は愛知県で1校でしたが、決勝で「岡崎城西高の全国デビュー」に貢献しました。(西三河予選では完勝してたんですが・・)
その時も、県決勝戦の3日前にD社の池田グランドで練習マッチ中に母校OBの某氏に後ろから思い切り削られて、右足首を砕きながらも(コチラは全治2ヶ月で当然のように休みななし・・)、テーピングぐるぐる巻で出場、決勝点となるループシュートに5センチ足が届かず・・・、この時は痛みは感じなかったものの、試合後号泣しておりました。
ちなみに、その時の相手の中盤は「ノブさん」が仕切ってました。
数年前の刈高インタ-杯出場時、掲示坂に
三多摩 岩井先輩(本年も帰省された時は送迎バスご利用ください)の回顧録に、「一年の時は、四中工に敗れ、二年の時はJo高に敗れ・・・」→「エッ! 何で四中工?」と不思議に思い会社先輩の川村さんに聞いたら、上記の内容でした・・(静岡県以外は軽視されてたんですネ・・)
写真の、40年前に全国初出場でベスト4(←オ-ルPK戦勝ち・・勝負運激強)の四中工を率いた「川村主将」と2年連続県決勝で涙を呑んだ刈高を率いた快速DF(←当時のアナウンサ-がTVで言っとったらしい・・・)「松岡主将」の時を越えたツ-ショット・・・サッカーは人と人を繋ぐスポーツ何ですネ。。。
たぶん(きっと)、御二方とも、「高校時代」はそれなりの、「ワル」だったんでしょう・・・。
懐かしいですね。私は2年ともベンチでスコアーブックを書いていました。(自慢ではありませんが、2年ともベンチは私だけです。)部員全員で20人ぐらいしかいなかったような気がします。、(今では考えられない)
1年の時は、負けるとは思いませんでした。グランドは四日市のグランドだったと思います。帰りのバスずーっと下を向いていた気がします。あの時、始めて甲子園で負けたチームの選手が涙を流す気持ちが分かりました。
2年の時は予選では勝っていたいのですが・・・
未だに高校選手権が始まると昔のことを思い出しますね。(歳のためかも)
たぶん、嫌なコトは忘れてて、楽しかったコトが残っているからでしょうが・・・(足首砕かれた恨みは忘れとらんが・・・)
来ましたネ!四中工! 東北方面の「希望の光」を吹き飛ばしての決勝進出。。。世間を敵に廻して栄冠に輝けるコトを心から願っております。(ここで書けないコトは、後日「反省会」で言わせて下さい)