
昨日(前々記事)に続き、「赤プリ」のお話です。
私は横浜生まれの、横浜育ちのハマっ子。
大学こそ東京へ通ったものの、学校も職場もずっと横浜でした。
横浜で普段は満足していても、東京はやはり「晴れ」の場所です。
結婚式を「赤プリ」こと「赤坂プリンスホテル」、
現在の「グランドプリンスホテル赤坂」で、と決まった時は、
何やら晴れがましくて、舞い上がりました。
あの頃は、インターコンチや、グランドハイアットといった外資系ホテルがなく、
「赤プリ」は、バブルな東京の街に燦然と輝いていたのです(笑)
それが今見ると……
う~ん。
やっぱり、ちょっと物足りない……
人間って贅沢です。
私たちが式を挙げた別館のロビーなんて、閑散としたものです。
あの時は、何組も何組も、豪華な衣装のカップルが行き交い、
招待客やら、ホテルマンやらで、ごった返していたなんて、嘘のよう。
丹下健三氏設計の新館も、今見ると、ごく普通のホテルです。
当時は、「クリスタル・パレス」で名を馳せていたのに……。
プロ野球のドラフト会議は、ここを会場にして、毎年、全国中継されたものです。
ふと、夫が「定礎」の文字に気付きました。
昭和58年3月……
「入社式が《クリスタル・パレス》だったんだよね。
昭和58年4月入社だから、あの時は、まだ、できたばっかりだったんだな……」
まぶしそうに、クリスタル・パレスを見上げていました。
夫は、それとは知らず、
ここ「赤プリ」から、社会人としての第一歩を踏み出したわけです。
そういえば、あの頃、会社の本社は赤坂でした。
私たちが、結婚式の打ちあわせに、「赤プリ」へ行く際は、
夫が愛車・スポーツタイプの「カローラFXGT」を駆って、連れて行ってくれました。
首都高を降りて、赤坂見附の交差点が見えると、
私は、胸がきゅんきゅんしたものです。
「東京」をスマートに走り、いかにも夫は、物慣れているように見えました。
「私の婚約者ってカッコイイ!」と、二十代半ばの私は胸をときめかせたものです。
あ~、バカですね~、恥ずかしいですね~、笑ってやってくださいね!
「あの頃、カッコ良かったよ~」と、夫を褒めると、
奴め、何と言ったと思います?
「釉も、いつも、良い《おベベ》を着ていたよね~」
はあ?「可愛い」とか、なんか、その類で返すはずでは……
まさか、「おベベ」(服)を褒められるとは……
ふん!あの頃は、ユニクロも、H&Mもなかったの!
「ファスト・ファッション」なんて言葉もなかったんだから……
今、着ている服とは、どうせ桁が違いますよ~だっ!!!
ファッションの世界ばかりではありません。
「赤プリ」の周りの企業名も、昔とは様変わり。
あの頃は、聞いたこともなかった名前ばかりが、目につきます。
世の中は激変しました。
だいたい、「赤プリ」がなくなっちゃうなんて、思いもしませんでした。
時代の流れに、ついていけない……
そんな風に感じる、この頃です。
だからこそ、こんなご時世だからこそ、
人との縁は、いっそう、大事にしたいと思います。
結婚23周年、まだまだ、これから。
ますます年齢を重ね、世間の波に飲み込まれそうになった時、
二人で手を取り合って、乗り切っていけますように。
変わりゆく「赤プリ」を眺めながら、そんなことを考えました。











そしてご結婚記念日だったんですね、おめでとうございます
赤プリっていうと、レコード大賞とか芸能人の結婚式を思い浮かべます。
釉さんはこちらで挙げられたんですね、素敵だわ~♪
赤プリ自体はお呼ばれで行ったくらいでレストランとのご縁はありませんが
お隣の赤坂エクセルホテルの14Fのお店から赤プリの壁面のクリスマスツリーを眺めてのお食事くらい‥^^;
優しくてカッコイイご主人と、可愛くて守ってあげたくなっちゃうような釉さん
いつまでも素敵な時間が続きますように~
最後のお写真の白無垢姿は釉さんかな?
素敵だわ~
釉さんのご結婚当時、私も東京に住んでいたので、当時仲良くしていた男の子に首都高をドライブしてもらい、胸をきゅんきゅんさせていましたよ(笑)
そして、あの頃、プリンスホテルっていうのは、私達にとって、ちょっと特別な感じがありましたよね。
赤プリはその代表格だと思いますけど、苗場プリンスとか、ユーミンの歌と共に憧れましたよ~
私は赤プリはお食事をした程度であまりご縁がなかったのですが、高輪プリンスホテルには懐かしい思いがあります。
こんな不況になって、今も続いているのかどうかわからないのですが、
プリンスは西武系列なので、日本全国の西武百貨店のお得意客を高輪プリンスホテルに招待し、
一年に一度、「高輪会」と銘打って、ホテルを2日間貸切状態にし、大宴会場に世界各国の宝飾品やブランドなどを集め、お買物させるという催しがあったんです。
もちろん、宿泊・食事は全部高輪プリンスホテルで自由にできますし、交通費もすべて、かかる一切の費用は西武百貨店持ちです。
私はここで初めて、エルメスのケリーバッグというものを見ました。高校生のときだったかな~。あの頃は、西武ピサしか正式な代理店がなかったんです。
芸能人も来ていたし、アンティークの宝飾品のオークションに英国王室ゆかりのものや、有名なアーティストの使っていたものが出ていたりして、華やかで面白かったです。
あの頃は時代のせいもあって、それが特別なことだという感覚がなかったのですが、高輪プリンスの落ち着いた庭園や、高級感あふれるプール、洗練されたサービスと美食、いま思い出しても、本当に素晴らしかったです。
あの頃、日本は輝いていましたよね
バブルでしたよ~
白無垢の角隠しでお嫁入り すらっとした姿。
赤坂プリンスホテルで結婚式お挙げになったのね~
プリンス系列ホテル…
赤坂プリンスにはご縁が無かったわ
東京プリンス 池袋 品川プリンスも泊まったけどビジネスホテル並みでした。
今年4月は芝公園のプリンス・パークタワーホテルに泊まりました。
28階の女性専用フロアは エレベーターも専用客室も広く 設備も 眺めも素晴らしかったです。そのあとに海老蔵さんの結婚式がありました。
蒲郡のプリンスホテルも古い格式ある建物で海の眺めがよかったです。
お蔭で元気にしております♪
これからも、二人仲良く、元気で過ごせることを願うばかりです。
そうそう!赤プリっていうと、あの頃は芸能人御用達みたいな感じでした(笑)
でも、それは新館のクリスタル・パレスの話で
一般人は旧館か別館が普通♪
よっし~☆さんのように、東京は詳しくないのですが、
私の人生の中であの時代は唯一赤坂に通いました。
遠い昔の夢みたい(笑)
はい、白無垢が私です♪
若かったから、ほっぺがぱッつんぱっつんでした(笑)
それは一部の上得意のお客様相手なのでしょうね!
でも、あの頃は、そういうイベントがあっても、今ほどわぁわぁ言わなかった感じがします。
今は何でも騒ぎすぎっって思うのは私だけかしら????
赤プリも、独自のイベントがあったようです。
庶民の私は関係ないけれど~~~~(笑)
ところで、あの首都高を走るドライブの胸キュンキュン感、
おわかりいただけて嬉しいです!
あれは青春でした!
都内をスイスイ走れるって、かっこ良かったんですよね。
東京慣れしているだけじゃなくて、運転もうまいってことでしょ♪
それだけで小娘はハートマーク
車は大事なデートの必須アイテムでしたよね!
若者よ、愛車を持とう!きっと景気もアップするぞっ!
今回のトリアノンはじめ、閉館が決まっているとはいえ、
さすが「赤プリ」!
接客は洗練されており、さすがでした。
あ~、結局、外資の前に敗れ去ったんだと思うと、何だか切ないな~
白無垢に包まれて、胸をドキドキさせた日から、23年……
これからも夫と2人、元気で仲良く暮らしていければと願うばかりです。
ringoさんは、よくご存知ですね♪
私はお泊まりは成田プリンスくらいしかなくて……
蒲郡プリンス!!!
私、一度、行ってみたいホテルなんです。
若き日からの愛読書・谷崎の『細雪』に出てくるんですよね~~~
チャンスがあれば、ぜひにと狙っています(笑)
それと、住み分けが今よりきっちりしていました
高輪会もごく一部の上得意の客しか参加できないわけですが、
西武百貨店が各店の外商に入っている客から、さらに買い上げ高、職業、信用度などで、お誘いをかける客を選別するわけです。
どんなお金持ちでも、ただで宿泊して食べてホテルライフを楽しんで、あげくなにも買わずに帰る…という不届きなお客もいるんだって
客側にもやはりマナーというか、それなりの振る舞いが求められたわけです。他人に迷惑をかけたり、小さい子どもを連れていって騒がせたり、とかは決して許されなかった時代なわけです。
だからそういうことをしないであろう客を連れていく
百貨店側も経費がそうとうかかるわけだから、常識のない客をまちがって連れていくと困ったことになり、外商員の出世にもかかわってくるわけですよ。
なので、ほとんどの客にはそういう会があることを知らされないわけです。
今なら、チラシかなんか作って、誰彼構わず配って、参加料を取って、客を募集するという感じでしょう?
それだと優雅な催しにはなりにくいですよね。
外資の前に敗れ去った…。その通りなのが悲しい~。
あの頃、首都高走っておいて、ほんとによかったと思います
いた事でしょうね。その場所が消えてしまうなんて皆さん、辛いお気持ちだと思います。
私が一番最初に赤プリに行った小学生か中学の時にはもちろん、この丹下さんの建物は無く、その後、隣接して高層の建物を建てると聞いて驚いたものです。木立の中の今の旧館のあの雰囲気が大好きだったので最初は反対でした。建物が建ち、その後だんだん見慣れて来たせいか、弁慶橋とも中々合うものだと思うようにもなりました。丹下さんの建物の都庁や新宿パークタワーなどとよく似ているように思います。
先日、日本初の超高層ビル「霞ヶ関ビル」が
42歳になったという記事を書きましたが、世界貿易センタービルや京王プラザホテルなど初期の高層ビルが軒並み老朽化の時代を迎えたように思います。でも赤プリはその次の世代の建物ですよね。とても勿体無いと思います。丹下さんは天国から嘆いていらっしゃるのでは・・と思います。米国の陰謀説まで出ていますね。
私が若い頃の赤坂と今の赤坂は本当に違ってきてしまいました。ホテルニュージャパンが火事で燃え、ビートルズが泊まったヒルトンは移転し、日枝神社もエスカレーターが出来てしまい
様変わりしました。TBS会館もMUGENも
無くなり、私の青春の思い出の場所やお店は殆ど消えてしまいました。東急ホテルがそのままなのが唯一の救いです。
返コメにも書きましたが、赤プリは無くなっても釉さんご夫妻の大切な思い出は永遠に残ると
思います。私の中でも、赤プリの夜のプールで泳いだ思い出はいつまでも消えないと思います。
先日、釉さんの母校の大学の学園祭に行きました。最初から行くつもりでは無く、偶然通りかかったので部外者なのに入ってしまいました。正門は新築の建物の工事中でした。大好きだった図書館の建物に再会出来て嬉しく思いました。記事にしたら見てくださいね♪
高輪会のようなおハイソな世界とは縁がないのですが
おっしゃることはわかるような気がします。
以前は、もっと世の中が全体に節度を持っていたような気がするのです。
それはバブルの頃も同じ。
何でもかんでも欲しがったりせず、あの人はあの人、私は私、
そんな風に自然と律することができたような気がします。
それは、たぶん、高度成長期、バブルと続く、経済への自信―時々こけたこともあるけど――それが世の中を支えていたからでしょう。
経済力への自信は、いろいろな意味での矜持につながるし
自分も頑張ればよいのだという活力ももたらせてくれますし……
バブル以後、長い長い低迷の時代に突入、
私を含め、みんなが閉塞感の中でもがいているような気がします。
私なんて、呑気に暮らしているのに、これですから、皆さまのご苦労はいかがばかりかと……
今や、バブルを知らない世代が
結婚、出産という人生の一番楽しい時、青春期を過ごしているんですものね。
いろいろなことが変わっていくのは仕方がないけれど、
かつて日本人が持っていた節度や矜持はなくしたくないものです。
あの焼跡も長く放置され、さまざまな都市伝説の生まれた頃でした。
julyさんは、それ以前からご存知なわけですから、
お気持ちもひとしお複雑におなりでしょう。
「トリアノン」さんのお話によると、旧・李王家邸は採光を考えたお屋敷だったそうです。
それが、今では横に新館・別館がそびえることになり、生地にこだわったカーテンをかけるなどして
光を工夫しているのだとか。
新館が窓の向こうにそびえているのがレース越しに透けて見え、それはかえって美しく見えました。
それだけに、勿体ないですよね……
そうですか、米国の陰謀説までありますか……(笑)
私は丹下氏を非難する記事を読みました
私自身は、正直、旧館を除いたホテル部分のインテリアを始め内部の雰囲気では、
もはや外資には太刀打ちできないなというのが、久々に訪ねた感想でした。
新館もマンション形式のホテルとなっているようですが、
私でも、あんな四半世紀も前の高層ビルに長期滞在するのは、怖い気がします。
時代の先駆けであることのむずかしさを感じます。
もしかしたら、私たちの社会が想像以上にものすごいスピードで動き、
あっという間に、先端と言われた人たちのセンスを凌駕してしまったのかもしれません。
結局、普遍性の問題なのでしょうね。
時代を生き残る力、そのあたりがポイントでしょう。
今でもなお、旧館での結婚式が人気を集めていることからもうかがえます。
「トリアノン」は私はとっても好きですが、果たしてバブルを知らない世代にあのお料理が受け入れられるかもまた難しいところでしょう。
バブル以後、正統派、本格派フレンチと言うのは、ちょっと敬遠されているように思えるからです。
勝手なことを書き連ねました。
長々とおつきあいいただき、ありがとうございました。