私の研究日記(映画編)

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『そして、私たちは愛に帰る』(Theater)

2009-01-23 02:53:50 | さ行
監督 ファティ・アキン
脚本 ファティ・アキン
音楽 シャンテル
出演 バーキ・ダヴラク、トゥンジェル・クルティズ、ヌルギュル・イェシルチャイ、ハンナ・シグラ、
  ヌルセル・キョセ、パトリシア・ジオクロースカ
製作年 2007
製作国 ドイツ・トルコ
上映時間 122分

 シネスイッチ銀座にて鑑賞(2008年12月26日)



 「ハンブルクに住む大学教授のネジャットの老父アリはブレーメンで一人暮らしだったが、同郷の娼婦イェテルと暮らし始める。ところが、アリは誤って イェテルを死なせてしまう。ネジャットはイェテルが故郷トルコに残してきた娘アイテンに会うためにイスタンブールに向かう。そのアイテンは反政府活動家と して警察に追われ、出稼ぎでドイツへ渡った母を頼って偽造パスポートで出国し、ドイツ人学生ロッテと知りあう。」(『goo映画』から引用)

 ドイツで暮らすトルコ系移民の父と息子、ドイツで娼婦をするクルド人の母とトルコで政治活動をするその娘、ドイツ人の母と娘。この三組の親子を中心に、物語はたんたんと、かつ断片的に進んでいく。



 はじめは、この映画が一体何を描こうとしているのか、全く分からなかった。それを一変させたのが、「たとえ神を敵にしても息子を守る」というワンフレーズ。この言葉によって、私の頭の中で物語の各場面が意味づけされ、断片が一本の物語へと繋がっていった。なるほど!そういうことだったのか!と。

 この言葉が物語の構成上重要なことはもちろんだが、それ以上の意味がこの言葉にはある。この言葉が、敬謙とはいえないまでも、れっきとしたイスラム教徒の老人アリの言葉だからである。

 コーランや旧約聖書には、神の命令でわが子を生贄に差し出そうとするアブラハムの物語があるが、神への絶対的な服従が求められるイスラム教徒が、神よりも子供を選ぶと言っているのだから、「たとえ神を敵にしても息子を守る」という言葉の重みがどれほどのものか想像がつくだろう。独身の私には当然子供もいないので、十分理解できたかどうかは分からないが、子に対する親の狂おしいほどの愛情が伝わってくる言葉であるといえるだろう。とても印象に残る言葉だ。

 行間読みを強いられるようで、若干難しさを感じる映画だった。が、いつもすれ違ってばかりなのに、それでも親子の愛情は何よりも深い、というある意味当たり前の真理が見事に描き出されている。そうしたメッセージ性とインパクトのある作品だった。

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