浄空法師説法研究

浄空法師の説法に学びながら、日本語に翻訳して紹介しています。

身の処し方の原則における古今の違いはどこにあるのか

2018-06-10 | 【修行の方法】


古今做人總原則差別在哪裡 / 身の処し方の原則における古今の違いはどこにあるのか

學佛的人知道,報應,善有善報,惡有惡報,人做不了主。真正學佛,就是希望在這一生當中自己能做主宰,這就沒有白來。改正我們的方向、道路,我們走更幸福的道路、更殊勝的道路,這就對了。
仏に学ぶ人は応報を知っています。善には善の報いがあり、悪には悪の報いがあります。人には制御できません。真に仏に学ぶこと、それはこの一生の中で自分を掌握することであり、そうなれば無駄にこの世に来たことにはなりません。私たちの方向、道を改めて、私たちがより幸せな道、より殊勝な道に進むこと。それで良いのです。

  這就要把老祖宗的東西找回來。老祖宗都講到了,只是現在人沒讀書,不知道,也沒聽老人講過。現在的老人是前一代的孩子,前一代孩子疏忽了,沒有認真讀聖賢書,這遭這個大難。
それにはご先祖様のものを取り戻さなければなりません。ご先祖様はすべてを説き明かしています。ただ今の人は書物を読みません。知らないのです。年寄りの話を聞いたこともありません。今の老人は一世代前の子どもです。一世代前の子どもは疎かにしました。真面目に聖賢の書物を読みませんでした。それでこの大難に遭っているのです。

可是總原則要能掌握到,古人做人,先想別人,後想自己,這個好。現在人是先想自己,不想別人,別人死活跟我沒關係。他不知道,別人死活跟我有大關係,這是真的,不是假的。
しかし大原則は掌握しなければなりません。古人の身の処し方は、先に人のことを考えて、後から自分のことを考えました。これは素晴らしいことです。今の人は、先に自分のことを考えて、人のことは考えません。人の生き死には自分とは関係ないと思っています。その人は知りません。人の生き死には自分と大いに関係があります。これは真実です。嘘ではありません。

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