浄空法師説法研究

浄空法師の説法に学びながら、日本語に翻訳して紹介しています。

戒律は六道・十法界の超越を助ける

2012-09-25 | 【修行の方法】


戒律幫助超越六道十法界 / 戒律は六道・十法界の超越を助ける
文摘恭錄—大方廣佛華嚴經(第二一OO集)2010/2/5 檔名:12-17-2100

特別是行法,行法是什麼?戒律,一般知識分子,我自己就是很明顯的例子,我對於戒律尊重,但是我不守它。我年輕時候有一個錯誤觀念,認為戒律是生活規範,佛經上的戒律是什­麼人的生活規範?是古印度人,不是現代人。我們學過中國文化,中國三代的禮,禮是生活規範。三代的禮不一樣,有新,有革。新就是有新的東西收進去,舊的東西有很多刪除。
・・・特に行法です。行法とは何でしょうか?戒律です。一般の知識人は、――私自身がとても良い例ですが――私は戒律を尊重しましたが、それを守ろうとしませんでした。私は若い頃に、ある誤った観念を持っていました。戒律とは生活の規範です。仏典の戒律は誰の生活規範でしょうか?古代のインド人です。現代人ではありません。私たちは中国の文化、中国三代の礼を学びました。礼は生活の規範です。三代の礼は同じではありません。新しいもの、変革したものがあります。新しい規範には新しい要素が取り入れられ、古いものの多くは削除されます。

就­好像法律條文一樣,過幾年條文不適用,重新修改,改訂,這是一種進步的現象。戒律記載的都是釋迦牟尼佛當時的生活狀況,古印度,我們要學佛,學他的經典,經典裡面的理論,­也就是那個時候講的,學它的哲學,佛經哲學。對生活規範,我們就重視他們古時候那個時代,讀這些戒律,就看到當時那個生活狀況。我們現在不必學,我們不必學印度人,更不必­學古印度人,我們是現代人,所以對於戒律有這種嚴重錯誤思想,這個錯誤思想很難改變,成見很深。
それは法律の条文のように、数年経って条文が適用できなくなれば、新たに改訂されます。これは一つの進歩の現象です。戒律の記載はすべて釈迦牟尼仏の当時の生活状況であり、古代インドのことです。私たちは仏法を学ぶ際に経典を学びます。経典の理論に学びます。それもその当時に語られたものであり、その哲学を学んでいるのです。仏経哲学です。生活の規範については、私たちはその時代を重んじて、それらの戒律を読めば、当時の生活状況を学ぶことができます。しかし私たちは今学ぶ必要はないのではないか。私たちはインド人に学ぶ必要はないのではないか。更には古代のインド人に学ぶ必要などないのではないか。私たちは現代人だからです。 このような戒律に対する重大な誤解がありました。この誤った考えを改めるのは困難でした。先入観が強かったのです。

幫我改變這個錯誤觀念的是章嘉大師,三年的時間,不容易,他非常有耐心。他­知道我這個成見很深,很不容易放下。他用善巧方便,我們每個星期見一次面,每一個星期他給我兩個鐘頭的時間,我向他請教經典上一些問題。他每一次送我,老人很客氣,對我們­年輕人非常愛護,都送我到門口。他會輕輕的說一句話,「戒律很重要」,你看就這麼一句簡單的話,「戒律很重要」。所以這句話,我聽了幾十遍,聽了耳熟。
私の誤った観念を改めて下さったのは章嘉大師(注1)です。三年かかりました。簡単なことではありません。大師はとても根気があります。大師は私の先入観がとても強く、放下するのは容易ではないことを知っていました。大師は「善巧方便」(注2)を使われました。私たちは毎週一回会いました。毎週大師は二時間の時間を割いて下さり、私は大師に経典の問題などを質問しました。大師は毎回私を見送って下さいました。大師は礼儀正しく、私たち若者をとても大切にされ、いつも門まで見送って下さいました。大師はそっとひと言、「戒律は重要です」と言われました。どうでしょう、これほど簡単な言葉です。「戒律は重要です」。ですからこの言葉は、私は何十回も聴いて、すっかり聴き慣れていました。

他老人家往生,過世­了,他過世是火化,單獨給他做一個火化爐。我在他火化爐旁邊搭一個帳篷,那不是我一個人,好幾個,甘珠活佛在一起,我在帳篷裡面住了三天,我認真去回憶,我這三年,老師教­了我些什麼?我學了些什麼?這個念頭一起,立刻就想到戒律很重要,就想到這一句。輕描淡寫,次數太多,就產生作用。認真思惟這樁事情,老人家這個話一定很有深意,不是隨便­說說。
大師が往生され、お亡くなりになり、火葬されました。大師の為に特別に火葬炉を造りました。私は火葬炉の隣にテントを張りました。私だけではなく、何人もいました。甘珠活仏も一緒でした。私はテントに三日間泊まり、真剣に回想しました。この三年で、老師は私に何を教えて下さったのか。私は何を学んだのか。そう考えた時、すぐに「戒律は重要です」という言葉を思い出しました。このひと言です。気軽に何度も繰り返し話されたのが、効いたのです。この事を真面目に考えてみますと、大師のこの言葉には間違いなく深意があったのです。何となく話されたのではありません。

所以想了很久,想通了,我們世間的禮,法,制度,都會常常改變,這是世間法。那佛是出世間法,它不是世間法,它是要我們超越六道,超越十法界。那戒律是幫助我們超越­六道,超越十法界,這個不能變,一變了,那十法界就不能超越,不能超出,六道就不能超出。我想到這個道理,愈想這道理,能站得住腳,所以對於戒律就改變態度,認真去看它。­愈看,覺得愈有道理。當然我們持戒律,遵守戒律,遵守戒律的原理原則。實際上在運用,那是活的。
ですから長い間考えて、ようやく合点がいきました。世間の礼、法、制度はすべて頻繁に改変されます。これが世間の法です。仏陀が説かれたのは出世間の法であり、世間の法ではありません。それは私たちに六道を超越させ、十法界(注3)を超越させるものです。戒律は私たちに六道を超越させ、十法界を超越させる助けとなるものです。これは変えることはできません。変えてしまえば、十法界を超越することはできません。超越できなければ、六道を超えることはできません。私はこの道理に思い至りました。この道理を考えるほど、足元を見つめ直すことができます。そうして戒律に対する態度を改め、真面目に捉えるようになりました。考えれば考えるほど、道理があると思います。当然私たちは戒律を守り、戒律を遵守します。戒律を守ることは原理原則です。実際上の運用、それは臨機応変です。

<脚注>
1.章嘉大師(1890~1957)・・・・第十九世、章嘉呼図克図。本名は羅森班殿・丹畢蓉梅といい、一般には章嘉大師、章嘉活佛と称される。呼図克図(ホトクト)はモンゴル語であり、漢訳すると「明心見性,生死自主」(悟りを開いた生死自在の聖者)の意味である。チベット仏教中国内モンゴル地区の最高活仏(生き仏)。
達頼喇嘛(ダライラマ)、班禅額爾徳尼(パンチェン・オルドニ)、哲布尊丹巴呼図克図(ジェプツンダンバ・ホトクト)と同じくチベット仏教四大指導者の一人。(「維基百科」より抜粋して翻訳)

2.善巧方便(ぜんこうほうべん)・・・・仏菩薩が衆生を救うにあたって、相手の素質や性格に応じた方法を巧みに用いて教化すること。機に応じて、いろいろの手段をとること。

3.十法界(じっぽっかい)・・・・(=十界)悟りの世界を四つ(四聖法界)、迷いの世界を六つ(六道)に分けた仏教の世界観。
  【悟界】(四聖法界)
   ・仏界、菩薩界、縁覚(えんがく)界、声聞(しょうもん)界。
  【迷界】(六道輪廻)
   ・天上界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界。


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