浄空法師説法研究

浄空法師の説法に学びながら、日本語に翻訳して紹介しています。

自分の境地を高める、唯一の頼りは戒律である

2014-09-06 | 【仏陀の教育】


提升自己的境界,唯一的依靠是戒律 自分の境地を高める、唯一の頼りは戒律である
文摘恭錄—淨土大經解演義(第三OO集)2011/2/24 檔名:02-039-0300

「《涅槃經卅一》云:戒亦一切善法梯橙」。梯是樓梯,上樓要用樓梯,橙在此地也是樓梯的意思,墊腳的,我們今天講台階,一階比一階高。階是什麼?是一切善法的樓梯,一切善法是登樓,你要登樓你必須要有樓梯。換句話說,我們要提升自己的境界,唯一的依靠就是戒律。離開戒律你用什麼方法提升境界?《華嚴經》上告訴我們,菩薩是五十二個階級,十信、十住、十行、十迴向、十地,五十個,上面還有等覺、妙覺,五十二個階級。這五十二個階級憑什麼上去?全憑戒律。這個話早年章嘉大師教我的,因為我學佛,是從學術進去的,換句話說,從解門,不是從行門。跟方老師研究哲學,把佛經當作哲學來看待,所以沒有行門。
《涅槃經卅一》云:戒亦一切善法梯橙」(『涅槃経』三十一に云ふ。戒は亦た一切善法の梯橙なり)。「」は階段です。上にあがるには階段を使わなければなりません。「」はここではやはり階段の意味です。足で踏むものです。私たちが今日言うところの段階です。一段一段高くなります。「階」とは何でしょう?一切の善法の階段です。一切の善法は高殿に登るためのものです。高殿に登るためには階段がなければなりません。言い換えれば、私たちは自分の境地を高めたければ、唯一の頼りは戒律なのです。戒律を離れて、あなたは何の方法で境地を高めるのでしょうか?『華厳経』に説かれています。菩薩は五十二位の階級があります。十信、十住、十行、十廻向、十地の五十。上には更に等覚、妙覚があり、五十二位の階級です。この五十二位の階級は何によって上にあがるのでしょうか?すべて戒律によります。この話はかつて章嘉大師が私に教えて下さったことです。私は仏法の学習は学術から入りました。言い換えれば、「解門」(経文を解釈する門)からであり、「行門」(実際に修行する門)から入ったのではありません。方老師について哲学を研究し、仏経を哲学と見なしていたのです。ですから「行門」ではありません。

章嘉大師著急,但是也沒有辦法直接叫我從戒律上進修,在當時那個狀態下,我不會接受的,而且我認為什麼?那是迷信。同時對於戒律產生很嚴重的誤解,戒律是什麼?戒律是生活規範,釋迦牟尼佛定的,那是三千年前古印度人的生活規範,我們學佛還得回到三千年前,還要去做印度人,這講不通!你看我一套歪理。所以章嘉大師就很困難,但是他有善巧方便,我每次去看他,他老人家一定,我離開的時候他會送我到門口,送我到門口他會講一句話,「戒律很重要」。就這一句話,這句話我聽了大概幾十遍,所以印象特深。你看輕描淡寫,很輕的,大概別人都聽不到,他送我出門,我跟他靠得很近。
章嘉大師は気をもんでいました。しかし私に直接戒律から修めさせることもできませんでした。当時の状況では、私は受け入れられませんでした。しかも私はどう思っていたでしょうか?それは迷信だと思っていました。同時に戒律に対する重大な誤解がありました。戒律は何だと思っていたでしょうか?戒律は生活の規範であり、釈迦牟尼仏が定めたものですが、それは三千年前の古代インド人の生活規範です。私たちが仏法を学ぶのに、三千年前に戻ってインド人のようにしなければならないというのは、話が通りません!私には(このような)間違った理屈がありました。ですから章嘉大師は困難でした。しかし大師には善巧方便がありました。毎回大師にお会いして、私がおいとまする時、大師は必ず私を玄関まで送って下さいました。私を玄関まで送ると、「戒律は重要です」と一言話されました。この一言だけです。この言葉はおそらく数十回も聞きました。ですから特に深い印象があります。あっさりと、とても軽く話され、他の人には聞こえません。大師が私を送って玄関を出る時、私と大師はとても近くにいました。

所以他往生了,他往生是特別建了一個火化爐,不是跟一般人一起,特別建造的一個火化爐,甘珠活佛主持他的葬禮。火化之後,我們就在火葬場,他火葬場是特別的地方,不是一般的火葬場,是一個寺廟後面的院子。搭了帳篷,甘珠活佛他們在帳篷住了大概十天,我在帳篷住三天,那時候我還有工作請了三天假,守靈守三天。守三天當中我天天想,我跟章嘉大師三年,他教了我些什麼?印象最深刻的,教我「戒律很重要」。
大師が往生されると、特別に火葬炉を建てました。一般の人と一緒ではありません。特別に火葬炉を建てて、甘珠活仏が大師の葬儀を取り仕切りました。火葬した後、私たちは火葬場にいました。大師の火葬場は特別な場所で、普通の火葬場ではありません。寺院の後ろの中庭です。テントを建てて、甘珠活仏たちは約十日間泊まりました。私はテントに三日間泊まりました。その頃私は仕事をしていて、三日間休暇をとっていました。三日間お通夜をしました。三日間私は毎日考えていました。私が章嘉大師について三年、大師は私に何を教えて下さったのでしょうか?最も印象深いのは、私に「戒律は重要です」と教えて下さったことでした。

我就認真思考,為什麼他要說這句話說這麼多遍?他沒有勉強我。我終於想通了,世間法跟出世間法不一樣,世間法的禮,我原先把它當世間法看,看錯了,世間法的禮三代就不相同,夏商周。它是什麼?隨著時代、隨著人的生活習慣而修訂的。好像國家的憲法隔幾年要修訂一次,不修訂不適用,社會產生變化了。佛這是出世間法,是要超越六道輪迴、超越十法界的,它不能變,它一變就出不去,就超不出去。我就在這個基礎上,肯定了戒律是聖賢法,你要想做聖人、賢人,一定要這麼幹法,它不是普通東西,它不能變更的,所以才肯定了戒律是不能變更的。
私は真剣に考えました。なぜ大師はこの言葉を何度も話されたのでしょうか?大師は私に無理強いはしませんでした。私はようやく分かりました。「世間の法」と「出世間の法」(世間を超越する法)は異なります。それまで私は仏法を世間の法として見ていました。見間違えていました。世間の法の礼は三代で変わってしまいます。夏、商、周。世間の礼とは何でしょうか?時代に従い、人の生活習慣に従って改定されるものです。ちょうど国家の憲法が数年に一度改定され、改定しなければ適用できなくなるようなものです。社会には変化が生じます。仏のものは出世間の法であり、六道輪廻を超越し、十法界を超越するものです。それを変えることはできません。それを一たび変えれば出られなくなります。超越できなくなります。私はこれを基にして、戒律は聖賢の法だということを認めました。あなたが聖人、賢人になりたければ、必ずこの方法でなければなりません。それは普通のものではありません。それは変更することはできません。戒律は変えることが出来ないということを、ようやく認めたのです。


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