【礼節は最後の砦】
【司会者】:很多家長和老師看到湯池小鎮,看到您老的這些教誨,他們很受感動。但是也會提出疑問,如果傳統的這些經典這麼好,為什麼不給它放到課本裡面去?放到學校裡去讓孩子們都學。
多くの保護者や教師は湯池鎮を見て、老法師の教えを見て感動しました。しかしそれでも疑問が出て来ます。もし伝統の経典がこれほど良いのであれば、なぜそれを教科書に載せないのでしょうか?学校に置いて子どもたちに学ばせるべきです。
【浄空法師】:這是國家政策的問題,就是我們現在主管教育的這些官員,他們沒有意識到。他為什麼沒有意識到?因為他沒有學過。
これは国の政策の問題です。つまり今教育を管轄している役人たちが認識していないということです。なぜ彼らは認識していないのでしょう?学んだことがないからです。
【司会者】:他不知道好處。
良さを知りません。
【浄空法師】:他丟掉了,就是丟掉了三、四代了。不但他不曉得,他父母也不曉得,他祖父母也不曉得,又沒有人跟他講,跟他講了他又不相信,他半信半疑,所以問題就出在這裡。真正相信的人少,太少了。
その人は失っています。つまり三、四世代失われています。その人が知らないばかりか、その人の両親も知らず、祖父母も知りません。その人に話す人は誰もいない上に、話しても信じません。半信半疑です。問題はそこから出ています。本当に信じる人は極少数です。
【司会者】:您看現在很多人,他做孩子的時候,他不會做子女,也不會做學生;成家之後,丈夫不像丈夫,太太不像太太;做了父母又不會對待子女;在單位裡面不會當下級,做領導的也不會,這些身分大家好像都不太會做。中國老祖宗教給我們五倫八,這五倫正是對應這些。
今の多くの人は、子どもの頃に子どもらしくなく、また学生らしくありません。所帯を持った後では、夫は夫らしくなく、妻は妻らしくありません。親になっても、親らしく子どもに接することができません。会社の中でも部下として働けず、上司らしく働くこともできません。これらの役割を、皆あまりよくできていないようです。中国のご先祖様は五倫・八徳【注1, 2】を教えていますが、この五倫はちょうどこれらに対応しています。
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【注1】 五倫(ごりん)・・・・父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信。(『孟子』滕文香上)
【注2】 八徳(はっとく)
①忠孝仁愛、信義和平
*中華民国政府はこの「八徳」を国訓としている。
②仁義礼智、忠信孝悌
*日本では「八徳」というとこちらを指すようである。
仁(慈愛)、義(正義)、礼(礼節)、智(智慧)、
忠(忠義)、信(信義)、孝(孝行)、悌(年長者に従順に仕える)
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【浄空法師】:沒錯,而且特別細的就是禮節。
その通りです。しかも特に細かいのが礼節です。
【司会者】:禮節。
礼節。
【浄空法師】:不錯,你看中國《詩》、《書》、《易》、《禮》、《春秋》,這是從前人必須要讀的。禮就是我們日常生活規範。現在沒有了,現在誰講這個東西,認為這是落伍的。但是它是中國五千年來,國家社會長治久安最重要的一個環節,這個東西丟掉了就沒救了,禮失,天下就大亂了。最高的是道,道沒有了,他有;沒有了,有仁;仁沒有了,有義;義沒有了,有禮;禮沒有了,天下大亂。
その通りです。中国の『詩経』、『書経』、『易経』、『礼記』、『春秋』、これは昔の人の必須の読み物でした。礼は私たちの日常生活の規範です。今はなくなりました。今は誰がこれを重んじているでしょうか。これは時代遅れだと思っています。しかしこれは中国五千年来、国家社会の長期的な安定の最も重要な部分であり、これを失えば救いはありません。礼を失えば、天下は大いに乱れます。最も高いものは道です。道がなくなれば徳があります。徳がなくなれば仁があります。仁がなくなれば義があります。義がなくなれば礼があります。礼がなくなれば、天下は大いに乱れます。
【司会者】:禮是最後的底線。
礼は最後の砦なのですね。
【浄空法師】:最後的底線。
最後の砦です。
【司会者】:在父子之間、夫妻之間、君臣,君臣就是領導和下級。
親子の間、夫婦の間、君臣というのは指導者と部下です。
【浄空法師】:領導、被領導。
指導者と、指導される人です。
【司会者】:就是普通的一個小單位也是這樣的。
普通の小さな会社でもそうです。
【浄空法師】:不錯。
その通りです。
【司会者】:在兄弟之間、在朋友之間,都可以用禮來做一個維持。
兄弟の間、友人の間は、すべて礼によって維持することができます。
【浄空法師】:不錯,非常重要。
その通りです。非常に重要です。
【司会者】:如果要是沒有了這個禮,這五種關係就全都亂了。
もしこの礼がなくなれば、この五種類の関係はすべて乱れます。
【浄空法師】:對,沒有,就都亂了,沒錯,叫亂倫。
そうです。すべて乱れます。その通りです。乱倫(らんりん)と言います。
【司会者】:一個家庭亂了,社會就亂了。
一つの家庭が乱れれば、社会が乱れます。
【浄空法師】:社會亂了,國家就亂了。現在是世界亂了,世界亂了,你就想想,那什麼結果?那就是世界要從頭再來。
社会が乱れれば、国家が乱れます。今は世界が乱れています。世界が乱れれば、考えてみて下さい、それはどんな結果になるでしょうか?それはつまり、世界は初めからやり直さなければならないということです。
【司会者】:重新建立一個秩序。
新しく秩序を打ち立てる。
【浄空法師】:對,不錯,就是整個毀滅,重新再來,不就是這麼回事情嗎?所以這叫世界末日。許多宗教裡頭都講世界末日。
そうです。その通りです。つまりすべて壊滅して新たにやり直す。そういうことではありませんか?これを世界の終末と言うのです。多くの宗教では世界の終末を説いています。
【司会者】:讓大眾明白這個意思,明白這個危險。
大衆にこの意味、この危機を知らせなければなりません。
【浄空法師】:對,不錯。最重要的還是提升自己的靈性,提升自己的道,這個比什麼都重要。不能跟社會一般大眾去學習,那就壞了。
そうです。その通りです。最も重要なのは、やはり自己の霊性を高め、自己の道徳を高めることです。これが何よりも重要です。社会の一般大衆に学ぶことはできません。それでは悪くなってしまいます。
【卓越した人材を育成するには】
【司会者】:有報導講,溫家寶總理在視察大學的時候曾經感嘆,這個時代為什麼沒有大師了,這麼缺乏大師?其實衡量一個國家強弱,文明程度、發達程度,是看它各行各業大師的水準、素養和數量,而不是看你多有錢,你這國家軍事實力如何如何,不是看這個。有人看過您的講座之後,看您的教誨之後,有人就記起來,就是這個問題好像在三、四十年代,印光大師他老人家也曾經講過這個話,今天的社會之所以沒有大師,以後會沒有,是因為沒有培養大師的母親,大師的媽媽(母親)沒有了,所以自然就沒有大師了,確實是這樣的嗎?
ある報道では、温家宝総理が大学を視察された際に、この時代には大家(卓越した人材)がいないのかと嘆息されたそうです。実のところ、ある国の強弱、文明の程度、発達の度合いを判断するのは、各業界の大家の水準、素養、(人材の)数を見るのであって、お金を持っているとか軍事力がどうこうといったことを見るのではありません。老法師の講座を聞き、教誨を聞いた後で、ある人は気づかされます。つまりこの問題は1930~1940年代に、印光大師【注】もこの話をされたことがあるようです。今日の社会には大家(卓越した人材)がおらず、今後はいなくなるだろうと。それは大家を育てる母親がいないからで、母親がいなければ自然に大家もいなくなるということです。確かにこのようではありませんか?
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【注】 印光大師(1861-1940)・・・・釈印光。法名を聖量、字を印光、自称・常慚愧僧。浄土宗第十三代祖師。俗姓は趙、名は丹桂、字は紹伊、号は子任。陜西省郃陽(現・合陽)孟庄郷赤城東村の人。大師は仏教の中でも特に浄土宗の振興に偉大な功労をされ、中国の近代仏教に最も深い影響をもたらした人物の一人である。大師は仏教徒の中で威光と人望が高く、近代の高僧・虚雲、太虚、諦閑等と交友があり、弘一大師は師として仰いでいる。当代浄土宗信徒における地位は今日に至るまで及ぶ者はいない。(「百度百科」より抜粋して翻訳)
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【浄空法師】:不錯,是的,培養大師級比什麼都重要。但是那個大師級是怎麼培養的?是從《弟子規》開始培養的,你這個人得有大師的根,有它的基礎。如果說中國傳統文化裡頭這四個根,如果都有,你就具備大師的條件了。怎樣培養?就是中國古人講的「十載寒窗,一舉成名」,你得要十年工夫,你好好去讀書,十年專攻一門,你不能學多,多就學雜了,就亂了。所以中國學問跟外國不一樣,外國是要廣學多聞,那是什麼?知識。中國人不是的,中國人是智慧,智慧是從清淨心來的,所以他只准你學一門,一門學完了重頭再來。
その通りです。そうです。大家クラスの人材を育成するのは何よりも重要です。しかしその大家クラスの人材は、どのように育成したのでしょうか?『弟子規』から育成を始めたのです。その人には大家の根があります。その基礎があります。もし中国の伝統文化の中の四つの基礎がすべてあるなら、大家の条件を具えているということです。どのように育成するのでしょう?それは中国の古人の言う「十載寒窗,一挙成名」(長年刻苦して勉学に励み、一挙に名をあげる)です。十年の功を積まなければなりません。しっかり勉強して、十年間一科目だけを専攻することです。多くを学んではなりません。多く学べば複雑になり、混乱します。ですから中国の学問は外国とは違います。外国ではあれこれ広く学びます。それは何でしょう?知識です。中国人はそうではありません。中国人は智慧です。智慧は清浄心(清らかな心)から生じます。ですから一科目だけ学ぶことを許され、一科目を学び終えたら最初からもう一度学ぶのです。
我是二00六年我在巴黎聯合國辦活動,辦完之後我就到英國去看劍橋,因為上次去的時候我看牛津,沒有看劍橋,所以這次特別去看劍橋。看了之後我就深深感覺到,這個世界上沒有大師級的老師,所以水平一落千丈。我回來就想,湯池交掉,找幾個志同道合,我們閉關,關起門來念十年書,四個根紮好,紮好四個根。我們人也不要多,十個人,頂多不要超過二十個人,為什麼?生活容易維護,閉關的形式。每個人專攻一樣,不限制,儒釋道都可以,你學佛經也行,你學四書五經也可以,你學《老子》、《莊子》也可以,一門,一個人專攻一門。
私は2006年にパリの国連で活動した後、イギリスのケンブリッジに行きました。前回はオックスフォードを見てケンブリッジを見られなかったので、今回は特にケンブリッジを見に行きました。見終わった後で、私はこの世界には大家クラスの教師はいないのだと深く感じました。だから水準が急激に落ちているのです。私は戻ってから、湯池を引き渡して、志を同じくする者と門を閉ざすことを考えました。門を閉ざして十年書を学び、四つの基礎を築くことです。人は多くは要りません。十人、多くても二十人を超えてはなりません。なぜでしょう?門を閉ざす形式は、生活を維持しやすいからです。各人が一科目を専攻します。制限はなく、儒教・仏教・道教何でも良いのです。仏経を学んでも良いですし、四書五経を学んでも良いし、『老子』、『荘子』を学んでも良いのです。一人が一科目を専攻します。
所以麥大維教授,這是劍橋的漢學家,跟我談過這個問題,他就很想叫我到倫敦去辦一個書院「大乘佛學」,這個書院就屬於劍橋大學的。因為英國大學它是書院制,大概劍橋跟牛津至少都有五十個書院。所以他想叫我搞一個屬於他們學校的。我說我很感謝,感謝你瞧得起我,我說可是我不能去。他說為什麼?我說你們學校的制度框架一架給我,我就一籌莫展,我也教不好。他說那你怎麼教法?我說我沒有方法,我的方法是中國老祖宗五千年傳下來的老辦法。他說什麼辦法?我說你是漢學家,你念過《三字經》嗎?他說念過。《三字經》前面八句話,「人之初,性本善;性相近,習相遠;苟不教,性乃遷;教之道,貴以專」。
デビッド・マクミューレン教授(Prof David McMullen)はケンブリッジの漢学研究者ですが、私とこの問題を話したことがあります。彼は私をロンドンに招いて「大乗仏学」という書院(講学所)を開きたいと考えました。その書院はケンブリッジのものです。イギリスの大学は書院制なので、だいたいケンブリッジとオックスフォードには少なくとも五十の書院があります。ですから彼は私を招いて彼らの学校を任せようと考えました。私は感謝しました。私を尊重して頂いたことに感謝しました。しかし私は行かれないと言いました。彼は「なぜですか?」と言うので、私は、「あなた方の学校制度の枠組みでは、手の打ちようがなく、私も教えようがありません」と言いました。彼は、「それならあなたはどのように教えるのですか?」と言いました。私は、「私には方法はありません。私の方法は中国のご先祖様が五千年伝えてきた昔からの方法です」と言いました。彼は「どんな方法ですか」と言いました。私は、「あなたは漢学者ですが、『三字経』は読んだことがありますか?」というと、彼は読んだことがあると言いました。『三字経』の最初の八句は、「人之初,性本善;性相近,習相遠;苟不教,性乃遷;教之道,貴以専」(人は生まれたばかりの頃、その本性はもともと善である。本性は似通っていても、後天的な学習によって遠く隔たってしまう。教え導くことをしなければ、本性も変わってしまう。教学の道は、専一にすることを重んじる)です。
【司会者】:教之道,貴以專。
「教之道,貴以専」(教学の道は、専一にすることを重んじる)。
【浄空法師】:對,所以我說十年,學生,我說我招學生不一定要大學畢業,但是我有兩個條件:第一個條件,儒釋道這三個根他做到了,這頭一個條件,他有行,他成聖成賢的條件具足;第二個,他能夠看文言文,就行了,這兩個條件,就行了。
そうです。ですから私は十年と言っています。私が募集する学生は大卒とは限りません。しかし二つの条件があります。第一の条件は、儒教・仏教・道教の三つの基礎を実行できることです。これが第一の条件です。その人に徳行があること。聖賢になる条件を具えていることです。二つ目は、文語文が読めることです。この二つの条件があれば良いのです。
【司会者】:古文看得懂。
古文を読んで理解できること。
【浄空法師】:我們中國古東西你必須自己有能力去閱讀,我說我只要這兩個條件,我就收他。然後進來之後,他專攻一門。我怎麼個教法?我提供一些古時候的這些註解、註疏,讓他去研究,他每天給我做半個小時報告,平均一天半個小時,實際上他可能一個星期做兩次報告,也就是一次兩個小時,兩次四個小時,我們這樣來學東西。我們同學在一塊聽。聽,你看,我沒有學的,別人學的,我也懂了,我聽了,我自己專攻這一門,可以吸收別人東西來解釋我這一門東西。所以我們這樣學習,大家在一塊學習,每個人是老師,每個人是學生,這樣互相在一塊。
中国の古いものを自分で閲読する能力がなければなりません。私は、この二つの条件があれば受け入れると言いました。来た後では一つの科目を専攻します。私はどのように教えるでしょう?私は昔の註解、注疏を提供して、学生に研究させます。学生は毎日私に三十分報告します。平均で一日に三十分です。実際には一週間に二回報告をして、つまり一回に二時間、二回で四時間の報告を行います。このように学びます。学生たちは一緒に聞きます。聞けば、自分が学んでいないもの、人が学んだものを自分も理解することができます。自分はこの一科目を専攻しているなら、人の研究を吸収することで、自分の研究を解釈することができます。ですから私たちはこのように学習します。皆で一緒に学習します。どの人も先生であり、どの人も学生です。そのように一緒に行います。
他說那你一部東西講完之後,譬如說《論語》,專攻《論語》的,他說那你《論語》一個星期四個小時報告,四個月就講完了。沒錯,四個月講完之後,第二遍重來,二遍講完了講三遍,一年講三遍,十年講三十遍,他心是定的。這樣學習,大概我們一般講,三年到四年,佛法裡面講,他得三昧,他就得論語三昧。這三昧是什麼?得清淨心、得定。五、六年他就開悟,他一開悟了,不但他所學的東西通達,沒有學的東西,一接觸就通達。所以中國人是講戒定慧,跟外國人的方法不一樣。
彼は、「例えば『論語』を専攻した人は、『論語』について一週間に四時間の報告をすれば、四か月で終わってしまう」と言いました。その通りです。四か月で報告が終わったら、もう一度二回目の報告をします。二回終わったら三回報告します。一年に三回すれば、十年で三十回です。その人の心は定まります。このように学習すれば、一般的に三、四年で、仏法で言う三昧【注】を得ます。その学生は論語三昧を得ます。三昧とは何でしょう?清浄心(清らかな心)を得て、定(じょう=禅定)を得ることです。五、六年すれば開悟します。一たび開悟すれば、その人は学んだものに通達するだけでなく、学んだことのないものにも、一たび接触すればすぐに通達します。ですから中国人は戒・定・慧(戒律・禅定・智慧)を重んじます。外国人の方法とは違います。
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【注】 三昧(ざんまい/さんまい)・・・・心を一つの対象に集中して動揺しない状態。
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【司会者】:您所講的三昧,頭一個階段這個三昧,這個人得了三昧,他會有什麼表現?
老法師の仰る三昧というのは、三昧を得た最初の段階では、その人に何が現れるのでしょうか?
【浄空法師】:得三昧,他定了。
三昧を得ると、その人は定まります。
【司会者】:心定下來了。
心が定まってくる。
【浄空法師】:他心得定了,定就得清淨心,煩惱就少了,智慧就長。我們講到開悟,那叫大徹大悟。
その人は心に定を得ます。定まれば清浄心を得て、煩悩が少なくなり、智慧が増長します。開悟に言及しましたが、それは大徹大悟(悟道に徹し真理を大悟する)と言います。
【司会者】:這個人在生活中,比方說他是您的學生,在這裡面學習,他會有什麼表現,他跟一般人。
その人は生活において、例えばその人が老法師の学生だとしますと、その人には何が現れるのでしょうか?その人と一般の人とは・・・。
【浄空法師】:他一切貫通了,沒有學過的東西,你只要問他,他一接觸,他立刻就給你解釋。
その人は一切に通じます。学んでいないことでも、あなたがその人に質問して、一たび接触すればすぐに説明することができます。
【司会者】:能達到這麼神奇的程度。
そこまで不思議な境地に達することができる。
【浄空法師】:不錯,確實如此。所以這才叫大師級。
その通りです。確かにそうです。これでようやく大家クラスと言えます。
【司会者】:什麼學科、什麼行業,拿過來就可以講,講的還都對。
どんな学科でも、どんな業界でも、持って行けば講釈することができて、説くところもすべて正しい。
【浄空法師】:惠能大師不就是這樣的嗎?他沒念過書,你無論是世間學問、佛法的學問,你念給他聽,他給你講解。
慧能大師【注】はそのようではありませんか?彼は書物を読んだことがありませんでしたが、世間の学問であろうと仏法の学問であろうと、あなたが読んで聞かせると、彼はあなたに講釈することができます。
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【注】 慧能大師(えのうだいし、638-713)・・・・范陽(北京市)の盧氏出身の禅僧。諡(おくりな)は大鑑禅師。中国禅宗(南宗)の第六祖。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%A7%E8%83%BD
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【司会者】:世間各行各業的學科很多!
世間には様々な業種の学科がたくさんあります!
【浄空法師】:是!什麼都,為什麼?你離不開自性,你見了性。
そうです!何でもすべてです。なぜでしょう?自性【注】から離れず、自性を見極めたからです。
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【注】 自性(じしょう)・・・・私たちが本来備えている真の性質のこと。真如法性(しんにょほっしょう)。
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【司会者】:他通了。
慧能大師は通じていた。
【浄空法師】:沒錯,什麼都通了。
その通りです。何にでも通じていました。
【司会者】:就是各行各業那些專家們有疑難有疑問,都可以來請教他,他就告訴你答案。
つまり様々な業種の専門家たちに判断し難い事や疑問があるなら、慧能大師に教えを請えば、解答してくれるのですね。
【浄空法師】:不錯。人人做得到,就是昨天跟你講的,把妄想分別執著拿掉,就行了。
その通りです。誰にでもできます。つまり昨日あなたに話したように、妄想・分別・執着を捨てれば良いのです。
【司会者】:很簡單,不神祕。
とても簡単で、神秘的ではありません。
【浄空法師】:不錯,是,一點祕密沒有。
その通りです。何の秘密もありません。
>>>我々の子孫は如何にして心の拠り所を得るのか06/10につづく・・・。
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