薄いピンク→無色

士大夫の志を立つるや、俊傑たらんと志し、寸陰を惜しんで努力するものだ(吉田松陰書簡)

今昔物語

2006-01-27 17:51:41 | Weblog
 昨日と今日、余は活発に活動してきた。昨日は神楽坂に行き、今日は下北沢へ行って来た。双方ともよい町である。特に後者は余の中で人気高騰中である。とある株のように下落はせんだろう。

 昨日、余は放課後に四ッ谷から神楽坂まで約30分歩いた。外濠・靖国通りを歩いてきた。並木は枯れ、所々に先日の雪が氷としてアスファルトに依存している。余はそれを見つけ次第踏みつぶしながら、時に滑りながら歩いた。この目的は何かと問われれば「行ったことのない喫茶店探し」と応える。余は元来喫茶店が好きだ。

 しばらく歩いていても喫茶店は見つからない。結局、神楽坂まで見つからなかった。途中、去年うけた統一試験会場であった東京理科大の朝鮮人参のような坂を無意味にも登って下った。余は去年自信満々でこの坂を下りたものである。

 神楽坂には上島珈琲店という傑作がある。そこに寄ろうとしたがふと左を見ると喫茶店が有るではないか。だが、看板を読んでも何と書いてあるかわからん。とにかく入ってみた。薄暗い店内、白壁、太い黒柱、洞窟のような入り口、古いマホガニーの机、上品なクラシック。雰囲気が非常によい。余はオ・レ・グラッセを頼んで司馬遼太郎の『花神』を取り出す。

 オ・レ・グラッセは大きいワイングラスに入れられ出てきた。余はこれを昨日初めて見たのである。茶色の苦い液体と白の甘い液体がどうにも混ざらいで分離されている。余はグラスを揺らして混ぜようと試みたが液体は反抗する。余はパレスチナを思い出した。オ・レ・グラッセは初めに苦み、そして甘みが広がり爽やかな苦みが少し残る。なかなか上品なものであった。

 横の席に3人の翁が話して居た。余はその話を例のごとく盗み聞きしていた。「あいつはバカだ」「メールでやりとりするなんてバカだ」などという会話が聞こえてくる。論題は堀右衛門事件のようだ。しかし、話が長い。1時間ほど同じ論題を話し続けている。余は飽きた。人間は器用な動物である。1時間の間で色々な論題を話すことができるだろう。

 帰り掛けに本屋に行きアマルティア・センの『人間の安全保障』を購った。これは『貧困の克服』の続編であり、余はこれを読んでいた。昨日かったものを今日読んでしまった。この2冊は「教育」の重要性を改めて教えてくれる本である。人間の安全保障にとどまらずエイズや女性の地位向上、核問題にも触れている。特に興味深いのが文明の衝突を軽く批判している所だ。
 
 先に述べたように、今日、余は下北沢を散策してきた。目的はない。この町は車の通りがまりなく落ち着いて歩くことができる町である。この町には「共存」という言葉が似合うだろう。様々な店と人が構え、歩いている。下北沢の区画は複雑であるが、ここを歩く際には区画を意識せずにゆるりと歩くことを楽しむとよいだろう。余は小1時間歩いていた。近々、また行くだろう。余の健脚と共にいけるものはおらぬか。

 下北沢から余の家まで新宿を介さねばならぬ。新宿を歩く人は好き勝手に歩く。人の間を縫ったり、人にぶつかりながら歩いたり、走ったり、立ち止まったり、ふらふらしたり。周りを気にせず歩くから困る。非情な目で見れば、人間は自分の好きなように行動する非情なものである。好きなものを食べ、頭をかき、つばをはき、鼻くそをほじり、しゃべり・・・しかし、このように非情な目で見る余が一番非情かもしれん。

 話がそれた。座興であった。

 JJ駅につくと女子高生が数人駆け込み乗車をしていた。駆け込みされた車両にはサラリーマンがおり、必然的に女子高生に彼は囲まれた。彼はうれしそうであった。単純な奴だ。余はスーパーに寄り、近道をして小さな公園を通った。真ん中にさしかかると余はくそガキが作った小さな落とし穴にはまってしまった。

 余の方が単純な奴であったようだ。これまたしかり。

 

Civil War aginst Civil Law

2006-01-23 17:56:21 | Weblog
 昨日、バイトの関係で巣鴨に行って来た。巣鴨といえば何を思い浮かべるだろうか。爺さん、婆さん、プリンス氷川、地蔵。色々あるだろう。余が第一に思い浮かべるのが元気な翁と婆である。その次に思い浮かべるのがいわゆるスガモプリズン。巣鴨拘置所だ。

 巣鴨拘置所と聞いて何か思い浮かべる人はなかなかのものだ。ここはA級戦犯が処刑された場所だ。米軍が左右に並ぶ階段を13段上ると、首吊り輪があり、輪に首をかけると床が開き絞首される。

 さて、ここで巷でうわさのセンター試験や受験勉強だけでは補えない日本史の問題だ。センター試験の日本史は簡単すぎる。昨日の新聞に載っていたので説いてみたが100点だった。知識はあまり落ちていなかった。去年より図が増えたような気がする。また、近代史は少ない。


 問題「A級戦犯7人をすべて挙げよ(姓名とも漢字で)」




 ここで7人すべてを挙げ、7人すべての功罪について論じ始める学者思考の書生が居れば余と議論をせんではないか。余の持論を言ってしまえば、某大学の某堅物右翼名誉教授がご老体ながら叫び始めるのでやめとする。ここで電車の中でつり革公告をよく読んでいる人は分かるかも知れない。また余と同じ大学であれば尚更わかるかもしれない。

 さて、答えだ。東条英機、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、松井石根、武藤章、広田弘毅の7人である。ちなみに、彼らの顔が知りたければドキュメンタリイ活動写真『東京裁判』を観るといいだろう。ここで一人一人説明するつもりはないが、広田は同郷であり、近隣高校出身であり、生誕記念史跡が近辺にあるので愛着があり、広田がA級にされる必要はないと存ずる。話が長くなりそうなので次回にいじらしく延ばすとする。

 とまれ。

 バイト終了後に巣鴨甘味処で「田舎しるこ」を食してきた。甘過ぎなくよかった。しるこは甘すぎると胃がもたれ、口の中に不快感が残る。しるこはずずっといきたいものだ。また餅もまた美味い。絶妙な焦げ具合であった。口の中に入れて乱雑にかんでいるといつの間にか焦げの風味が口の中に広がってくる。そして漬け物とあついお茶で〆る。

 また帰りに名物の豆大福を買った。これが亦たよい。大福のあんこが塩甘いのである。これは何個でも食べられる作用であろう。余は計3つ食べた。また豆大福といえども豆が主張しすぎないのがよい。

 余は満足であった。

つくねん

2006-01-20 23:03:03 | Weblog
 晩、余はスーパー袋を手に帰路を歩いていた。前から主婦自転車に乗った女子高生が通りすぎていく。やはり冬にスカアトは寒いのか、スカアトの下にジャージを履いている。周りの目を気にしない、合理主義者がよくやっている。流行はしないが。

 ジャージは自転車に乗って余の後ろを通り過ぎ、方向転換してにやにやしながらまた前を颯爽と駆け抜けていく。意味が解せない。なぜジャージは引き返してきたのか。なぜ莞爾として駆け抜けなおしたのか。ジャージは通り過ぎたまま帰ってこない。真相を知りたし。

 釈然としない。余は小腹が好いたのでコンビニでピザまんを購入した。ピザまんはかまわないとして、東京のコンビニで売られている肉まんにはポン酢がつけられてこない。ここでソース党とポン酢党と何もつけない党で総選挙をするつもりはないが、余はポン酢党員だ。

 熱いうちにたべようと歩きながら食べる。何かが違う。ピザまんではなく普通の肉まんであったのだ。余はつくねんとした。あのチーズのとろみと肉との絡みを欲して止まないにもかかわらず、肉まんを押し付けてくるとは。余は善意無過失だ。

 余はコンビニの親父を憎まん。三十半ばで似合わないにもかかわらず茶髪に染め上げている、河豚のような親父を。この事件のおかげで豚汁を作りすぎた。豚汁はトンジルなのかブタジルなのか。再び釈然とせん。

WAIT(THE WISPER SONG) / YING YANG TWINS

2006-01-16 19:00:23 | Weblog
 久しぶりに連日投稿をする。最近、週に1回か2回かしか投稿しない理由は忙しいからでは決してない。我が輩は別段忙しくない。普通に食事し、普通に寝ている。なかなか投稿しない理由は書くことがないことが挙げられる。特別に書くことがない。日常の出来事は言うと面白くないし、日記を晒すことは嫌だ。投稿が少ないためゆっくりコメントしてくれれば難有い。

 今日新宿駅でデニムのミニスカートに紫色の綿の入ったジャンパアを着ていた季節はずれの色気のある女性を目撃した。確かに彼女は色気があると思う。しかし、我が輩の色っぽい人の順位に食い込むことはないだろう。

 色っぽい人と言われて誰を思い浮かべるだろうか。宮下順子、藤村志保、大空真弓、夏目雅子、秋吉久美子、伊藤美咲、イ・ウンジュ、イ・ビョンホン、ペさん、館ひろし、根津陣八、藤木直人などと思い浮かべるだろう。しかし、彼らも我が輩の順位に寸の差で入らないだろう。

 話はそれるが韓流四天王(日本ではペ・ヨンジュン、ウォンビン、チャン・ドンゴン、イ・ビョンホン)の中で誰が一番良いか。我が輩はイを推す。なぜならばイは憎いからだ。悲しげな目、怒りの目、楽しそうな目・・・様々な目で訴えてくる。そのような意味でイだろう。

 とまれ。

 我が輩が色っぽいと思う人は万里昌代、市川雷蔵、マーヴィン・ゲイだ。

 万里昌代は『婦系図』という1962年の大映の三隅研治が監督した映画に準主役として出ている女優だ。ちなみに満州人だ。彼女は鼻がスッと通り、目がつり上がり気味で、青白い。百聞は一見に如かずだ。今から古き良きビデオを貸し出ししているレンタルショップに行くべきだろう。

 市川雷蔵は過去にイケメンランクで語ったため割愛させていだたく。

 マーヴィン・ゲイは容姿が色っぽいのではなく声が色っぽい。特に1971年の彼の歌でSEXUAL HEALINGというものがある。このイントロ部分でマーヴィンが"WAKE UP,WAKE UP,WAKE UP"とささやくのだが非常に色気がある。また1973年にダイアナ・ロスと共に出した曲でSTOP,LOOK,LISTEN(TO YOUR HEART)があるが、ここでのマーヴィンが出す、尻すぼみの歌い方もまた色っぽい。ジミクリ(ジミー・クリフ)やアル・グリーンがいいという人もいるがシンガーではマーヴィンだろう。

 クラブでマーヴィンをかけても古いのであまり客には理解されず我が輩一人で喜んでいる次第である。マーヴィンはあまりアルバムを出していないのですぐ手に入るだろう。
 
 色気はただ接触したり、露出したりするだけで出るものではないだろう。しかし、難しいものだろうな。

ミルキー

2006-01-15 23:43:20 | Weblog
 過去の記事「いやはや」で何が原因なのか気になったため追求していた。牛乳パンはまず却下。なぜならば、兄貴が同じものを前日に食べていて何もなかったからだ。次に、レーズンサンドも却下。なぜならば、これも兄貴が翌日に食べて何もなかったし、我が輩も翌日に食べて何もなかったからだ。最後に、牛乳。これがなかなか濃厚だ。いろいろな意味で。しかし、我が輩は牛乳が大好きだから牛乳を非難する気はない。

 我が輩は様々な牛乳を飲んできた。飲み屋でたまに牛乳だけを頼んだりする。東京のスーパーで売っている牛乳は普通なものばかりだ。やはり地方のがうまい。そのため、少し高くても小さめの地方の牛乳を飲んだりする。

 色々とのんでうまいのは西日本で売られている「みどり牛乳」と「デカ」だ。前者はオーソドックスだが安い上にすっきりしている。後味があまりない牛乳とでも言おうか。後者はとにかく濃い。しかし、なぜ「デカ」なのだろうか。何もデカくない。

 最近、急上昇してきた牛乳がある。それは毎週土曜日の3時57分くらいにJJまでトラックで売りに来る北海道直送牛乳だ。濃いがとても後味がすっきりしている。あとは値段が200円からあと20円ほど下がれば殿堂入りだろう。現段階ではマスターピースである。

 織田信長は山羊の乳を飲んでいたようだ。当時は動物の乳というものは全くのまれなかったらしい。ちなみに、豚肉も江戸~幕末まではタブーだったようだ。宗教的タブーではなく家康が豚肉を嫌いだったかららしい。しかし、渋沢栄一は豚汁が好物で皆に嫌がられながらも食っていたらしい。

 牛乳やコーヒーなど同じように見られるものでも飲み比べるとなかなか楽しいものだ。おすすめする牛乳のみかたは、高い位置から牛乳を泡立つようにそそぐと甘みが増す。

いやはや

2006-01-11 22:16:49 | Weblog
 余は朝食にコーンフレーク、牛乳パン、レーズンサンドを食した。鼻の下のひげを剃り、イソフラボンが入った化粧水で乾燥肌を潤し、歯磨きをして学校に向かった。埼京線にもかかわらず、職人のようにすいている車両を狙って乗車する。しかし、何かがおかしい。胃が釈然としない。時間がたつにつれて吐き気を催してくる。しかし、こういうときに限って運がついていないものだ。埼京線は電車づまりでかなり遅く運転していた。走った方が早いであろう。

 中央線に乗り換える際に気分をよくするために深呼吸したが都会の空気は気持ちよくない。仕方がないので中央線に乗り込むが、ますます吐き気を催してくる。しかも、横の人がネックウォーマーをニット帽のようにかぶっていた。意味がわからない。駅につき、吐いたほうが気持ちよいだろうと思い、駅のトイレにいくが個室は満席。仕方がない学校に行くか。

 憲法の授業に出る。気分が悪いので集中できない。結局判例をひとつノートに書いただけで終わってしまった。英語の授業を切り抜け、昼飯を食うが、あまりおいしく感じない。ますます気分が悪くなってくる。後にひとつ授業が控えていたが早退する。

 早く帰って寝たい。そのような願望を持ち、そそくさと帰ろうとするが、埼京線に足枷をくらってしまう。当駅始発だ。イスに座って、気持ち悪くならないように背むしになって本を読む。途中から鸚鵡のようにうるさい女子が二人横に座ってきた。煩い。その上、横の女子のブーツが足にあたっている。

JJ駅について商店街を歩いていると、チャリンチャリンと鳴らして暴れ馬が後ろから駆けていく。自転車だ。わずらわしい。その上、子どもがちょろちょろと邪魔くさい。今日は菓子を見ても美人を見ても何の魅力を感じない。胃は相変わらず悪い。火縄銃の火薬をつめるときに火薬が筒につまっているかのように、胃が途中でふさがれているようだ。

 家に帰って即行で薬を飲んで寝る。なかなか寝れないのでQ氏から貰ったプーさんのぬいぐるみで遊ぶ。ニット帽をかぶせたり、頭を触ったり。いつの間にか寝ていたのでおきたら、プー氏が胸の上に寝ていた。

 マウナケア山のマグマが下から上にあがっている。余はトイレに入って火山を豪快に噴火させる。豪傑だった。

 最近、憂国をさけぶ団体がいるが、余によってみれば憂我である。明日はどうなっているだろうか。コーンフレーク、牛乳パン、レーズンサンドどれが原因なのか。疑いにかかる。

 今日は狂腑の一日だった。

 

 



 

およげshigeoくん

2006-01-08 00:42:35 | Weblog
 今日はハイチ料理屋で新年会の幹事をしてきた。幹事というよりはむしろ裏方であった。裏方という仕事もなかなか性にあっているのだろうか。今日はそのお店でDJをしたのだが、個人的にはあまり意味がなかった気がする。

 来てくれた皆は自然と話が盛り上がっていた。しかし、俺は立ったり座ったり激しく運動していて、何気に高等技術を披露しても数人しか気づいていない。「およげたいやきくん」「昴」「サボテンの花」をかけてもあまりウケず。山田○が出演していたジンジャエールのCM曲の「Ai No Corrida」をかけても一人しかわからず。

 なぜここまで言うかというとわざわざ機材を持ち込んできたことが大きい。そこまでやったのに個人的に物足りなかった感がある。釈然としない。まあ皆が楽しめたからそれで幹事は万歳だ。

 読者には「今日はめずらしく前向きじゃないな」と思っているだろうがそれは早合点だ。ボランティ精神たっぷりでキリスト教的ヒューマニズムに基づき、幹事を簡単にやりこなしてしまう自分をほめている。幹事をするには迅速さと計画性が必要だろう。

 また新たな企画を計画中だ。

甘く見るな

2006-01-05 23:20:12 | Weblog
 今日授業でシャトルランをした。空気の悪い体育館で酸素が多く必要になる運動はのどに悪くカゼの原因のひとつでもある。しかし、俺は今でも健康だ。一度、気管支炎にかかりながら高校の体育のラグビーをやりたかったのでやったら悪化した覚えがある。

 なかなかシャトルランはキツかった。しかし、俺の体力は高校当時よりもさほど落ちていないことに感嘆し、なかなかの者だなと自覚した。シャトルランは平均以上行った。教師によれば心拍数が200を越えるといいらしい。しかし、俺は160から190をさまよい200を越えることはなかった。もう少しがんばれたような気がする・・・・

 しかし、「もう少し行けるだろう。がんばれ。」と思い聞かせながら走っていたが体が追いついていかない。そこで俺は走りながら考えた。

 「精神と肉体は分離している。精神肉体分離論だ。

 シャトルラン以外でも事例はある。例えば、昼ご飯をたらふく食ったあとの授業で寝まいと思っていても自然と恍惚としている者がいるだろう。あと10分で起きると思い二度ねすると2時間寝てしまう者もいるだろう。精神と肉体は分離している。

 俺はまだ老体ではない。悪しからず。 

余は世に生き、誉をもらう。

2006-01-04 21:56:21 | Weblog
 平成18年、明けまして。30日から長曽我部元親が統治した土地の一部で、仙石秀久が秀吉よりもらった土地で、十河存保・一存親子が肩を切らせて歩いていた土地にある祖母の家に行っていた。そのため更新が遅れた。

 この数日間に二冊の本を読んだ。それはスティーブンソンの名著『宝島』とヴェンヌの『十五年漂流記』だ。どちらも冒険小説であり傑作であった。前者は大人が童心に帰るのに最適の本であろう。後者は映画を見ているようであった。これ以上の形容詞は億万とある中で見あたらないだろう。

 漱石の『草枕』を新幹線の中で読んでいたが余のか弱い目が疲れてきたので、ふと灰色の雲を眺めていた。雲を見ているとなかなかおもしろいものである。余は何かを眺めている時はぼーっとしているのではなく眺められているものを何かにたとえてみているのである。

 雲には様々な形態がある。集団となり縦横に大きいもの、細長く虚弱なもの、消えかけているもの、塊からひとつだけ突出しているもの、塊と付かず離れずのもの、飛行機というヤンキーに分断されたもの・・・・雲は人の世を表しているようだ。

 余は何にあたるのか。天才よりも奇才でありたい余は何にあたるのか。今年も俺は俺である。