ファチマの聖母の会・プロライフ

お母さんのお腹の中の赤ちゃんの命が守られるために!天主の創られた生命の美しさ・大切さを忘れないために!

十字架の道行 【公教要理】第四十二講 贖罪の玄義[歴史編]

2019年04月17日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第四十二講  贖罪の玄義・歴史編・その十・十字架の道行




「ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け、十字架に付けられ」
判決が下ってから、十字架に付けられるまでの間に「十字架の道行」という場面があります。私たちの主は十字架の道行を歩みだし給います。御自分の十字架を担いながら歩み給います。前回に見たように、ここに言う十字架は「Patibulum」という横の部分を担いながらということです。それから、行進が始まります。

【聖福音による十字架の道行きの記述】
聖福音には十字架の道行に関する記述は多くないのですが、二つの事が特に記されています。
第一、共観福音書において、要するに聖マテオ、聖マルコと聖ルカは同じことを記しています。シレネのシモンという人が私たちの主を助力するために動員されたという指摘があります。それから、聖ルカはもう一つの出来事を記しました。私たちの主は敬虔な婦人たちと出会い、彼女らを慰める場面です。
十字架の道行に関して、聖福音上では以上の二つの事しか記載がないということになります。要するにシレネのシモンと敬虔な婦人たちという二つの事です。

【聖伝による十字架の道行きの十四留】
とはいえ、聖伝によると十字架の道行について他に幾つかの出来事が伝わってきました。そういえば、聖伝を無視するわけにはいきません。なぜかというと、聖伝は啓示の源泉の一つだからです。従って聖伝が伝える教えは守るべき教えでもあります。十字架の道行に関して言えば聖伝によって伝わり、私たちの教会で行われる敬虔な修行の一つの中に織り込まれています。

この修行は特に聖金曜日に行うものです。「十字架の道行」という修行なのですけど「14留」から構成されています。つまり、ポンシオ・ピラトの「イエズスの死刑の宣告を受けたもう」という第一留から「イエズス墓に葬られ給う」という第十四留まで、この修行は綴られています。そしてこの十四留の内に、聖福音に記されている二つの出来事が出てきます。その上、これからご紹介していく別途の出来事も織り込まれており、公教会がこれらの出来事を大切に維持し続けてきました。


【私たちの主は十字架を担い給い(第二留)、倒れ給う(第三留)】
先ず、私たちの主は十字架を担い給い(第二留)、道行を歩みだし給います。過労で辛うじて進め給う挙句に、イエズスが始めて倒れ給います(第三留)。

「ついに十字架の重きに堪えずして、傾きかがみ、やがて大地に倒れ給う」。具体的に言うと、かなり心を打つような転倒だったのです。私たちの主はもうくたくたで疲れ切って、ついに大地にボーンと倒れてしまう転倒をします。また、担わせられる十字架に私たちの主が鎖なりで拘束されているので、ご自分の手で踏み止まることはできなかったのです。だから、きっと、ショックを弱めるすべもなく、頭が大地に激しくぶつかったことでしょう。


さらにいうと、十字架に鎖で拘束されるだけではなく、周りの番兵たちにも縄で繋がって拘束されていたはずです。だから転倒の際に、周辺の番兵たちは彼を虐める言い訳になります。彼を立ち直させるためであり、あるいは単に彼を鞭打つためであり、あるいはとにかく「進め!」と励まし、というかそれどころか虐待を受け給います。以上は、私たちの主の始めての転倒でした。


【聖母と出会い給う(第四留)】
この始めての転倒の後に次の出来事がありました。まだエルサレムを出ていないところなのですけど、ある交差点でもあった出来事でしょう。御自分の聖なる御母と出会い給います(第四留)。聖母マリア、いとも聖なる童貞は通りかかる行列を見つめられて、二人の盗賊者を御覧になった上に、ご自分の子、また同時に御自分の天主であるイエズスを見かけられました。

この光景を見て、どれほど聖母マリアの御心は苦しみの剣で貫かれただろうかは想像に難くありません。御自分の天主でもあった故にご自分の御子を完全に本当の意味でこの上なく愛していたイエズスを見かけて、聖母はどれほど苦しまれたでしょうか。目の前に御子がおられて、体が傷だらけで顔も醜くなってしまって、死刑の道具を御自分で担い給う様子、ゴルゴタの丘へ行き給う光景。

義人のシメオンはかつて聖母マリアに「あなたの心も、剣で貫かれるでしょう」 と預言されたときに、聖母マリアはいずれ受け入れるべき苦しみについて覚悟を決められたのです。が、これほど重い苦しみになるなど想像できなかったに違いありません。

聖母マリアは御子と視線を交わされます。というのも、私たちの主はわざわざご自分の御母へ一目を向け給うからです。慈しみ深い眼差しだったに違いありません。また、御子の眼差しは「母上よ、あなたの苦しまれることを知っておりますよ。御母よ、あなたの苦しみを私の苦しみに合わせていただきとうございます」と語る眼差しだったでしょう。
というのも、聖母の苦しみをもって、私たちの主の御受難に聖母が参与されたと言えます。

また、これがまさに聖母を「共同受難(compassion)の聖母」と呼ばわる所以です。この敬称のラテン語の語源は « Cum - pati »で、「共に苦しむ」という意味なのです。その通り、聖母マリアはご自分の苦しみを私たちの主の御苦しみと共にしたのです。聖母に会い給うた時に、視線は御二人からの二つあったかもしれません。しかし苦しみは一つでした。あえて言えば、心を一つにしておられたのです。御愛は同じく一つでした。


【キレネのシモン】
私たちの主が始めての転倒から立ち直られて聖母にあい給ったその後は、どうでしょうか。番兵たちなどはイエズスが十字架を担うことに非常に苦労していることを見受けていました。そこで福音史家たちは、シレネのシモンの登場を記します。

因みに、福音史家たちがシレネのシモンの登場を記載したということは、その出来事の歴史性を強調するということです。確かに、聖マルコはこのシレネのシモンについて更に詳しく記載しています。彼が特定の人で、評判の人で、「アレクサンドロとルフォの父」 だと明記されています。要するに、御受難の証言者が本当にいたということです。だから、イエズスという人が存在しなかったとか、御受難はなかったとか言っている人々に対して、シレネのシモンという歴史上の人物が明記されているお陰で、イエズスの存在と御受難の歴史性が証明されていて、史実であることが証明されているということです。

シレネのシモンは「その時、田舎から出てきて」 いたけど、恐らく畑働きの途中で、食事を取るためか一服するためか、一旦家に帰るときに行進に出会ったのでしょう。彼は、たまたま通りかかった、何の関係もない可哀そうな一人だったわけです。数時間の労働が終わったところで、一服しただけの労働者の一人です。ところが、帰る途中に死刑の行進と出会いました。それは始めてのことでもなかったのです。十字架刑を宣告された受刑者は以前にも間違いなくいたからです。
しかしながら、今回に限って、異例のことでしたけど、シレネのシモンが動員されてしまいます。つまり、番兵たちに声をかけられて、「ここにいる強盗者を助けよ」という命令で動員されました。

恐怖で、間違いなく従ったと思われます。いや、それは当然のことでしょう。数人の恐ろしい番兵たちに囲まれて命令されたら、普通なら抵抗しようともしませんから。まあ、おそらく恐れて従ったと思われます。もしかしたら善意もあってのことだったかもしれません。福音史家たちはその心情に関して何も記載していないので、それは兎も角、シレネのシモンは少なくともその命令に従いました。

つまり、彼は私たちの主と共に、十字架を担うことになりました。シレネのシモンは主が十字架を担い給うのを助けました。この事実を思うと、非常に素晴らしい出来事です。というのも、私たちの主は人類のすべての罪、私たちの罪を担い給いに来たり給うたからです。だから、一人の人間でも十字架を担うことは相応しかったのです。要するに、この十字架は罪の報いなのですが、人類のすべての罪、私たちの罪の報いであります。従って、私たちも皆、私たちの主の十字架に参与すべきなのです。

言い換えると、私たちの主は、シレネのシモンを参与させたという出来事を用意し給うたことによって、私たち人間を皆お誘いになります。「皆一人一人も私の受難に参与せよ」。言い換えると、「皆、自分の十字架を担え」という意味がその出来事に織り込まれています。「私の後に従おうと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を背負って従え」 。それぞれ自分の十字架を背負うべきだということです。「私の後に従おうと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を背負って従え」 。そこで、私たちの主は十字架の一番重い部分を担い給ったのですが、一部だけは私たちに担わせようとなさいました。

ここに登場してくるシレネのシモンは、私たちのために用意された模範に他なりません。つまり、人間なら皆やるべきことの模範がこの史実において知らされています。「私たちの主の後に従い、自分の十字架を背負うこと」。いや、さらに言うと「私たちの主と共に、十字架を背負う」という模範なのです。
シレネのシモンは私たちの主をちょっと助けます。それから、私たちの主が何とかひと息つかれると、シレネのシモンは離れて元の道に戻って逆方向へ去りました。
~~


【ヴェロニカという婦人が主の顔を拭く(第六留)】
それから、その時ぐらいだったか、そのもうちょっとあとの時だったか、道辺にいた一人の婦人が番兵たちの隙間に主を見かけました。多量に出血していた主を、ぼろぼろになっておられた私たちの主を、醜くなってしまった御顔を、その婦人が見かけました。青ざめた弱った真っ白になった御顔を見かけました。この婦人は「丘まで行けそうにない」と思いながら憐れみの感情であふれて、番兵たちの警備に挑み、突っ走りだして番兵たちの隙間を抜けて私たちの主のもとによってきます。その婦人は自分のベールを取り、私たちの主の御顔をその布で拭います(第六留)。



この御憐れみの行動は私たちの主に報いられます。というのも、その布にイエズスは御顔を写させ給うたからです。登場するその婦人は聖ヴェロニカと呼ばれています。「ヴェロニカ」という名前はギリシャ語から来ますが「ヴェラ・イコン」という語源で、「本物の御影(ごえい)」という意味です。要するに、聖ヴェロニカの名前は、自分のやった出来事から転じた名前ということです。つまり、私たちの主より給った御写しということから「聖ヴェロニカ」と呼ばれています。「私たちの主の本当の御顔の写し」を頂いた聖ヴェロニカです。

要するに、どれほど小さい愛徳の仕業でさえも、その愛徳の行動に対して、私たちの主は必ず報いを与え給うということです。聖福音においてご自分で何度も仰せになることです。それを実現するかのように十字架の道行の中の聖ヴェロニカは憐れみの行動の報いを確かに頂いたわけです。


【イエズスは再び倒れたもう(第七留)】
シレネのシモンの助力にもかかわらず、その一人の婦人の和らげにもかかわらず、十字架は非常に重く、主は長時間にわたって苦痛し続けられたので、「イエズスは二度(ふたたび)倒れたもう」(第七留)のです。主の二回目の転倒になります。一回目の転倒の時と同じように、二回目の際にも番兵たちに虐待され虐められたでしょう。なるべく早く立ちなおさせるために。もう、道行の最後まで、行かせなければならなかったのです。

ユダヤ人たちにとって、どうしても十字架上で死んでもらうべきだったのです。行く途中でどうしても死なせてはいけなかったのです。見せしめにするためだったからです。
で、何とか辛うじて私たちの主は立ち直り給います。御受難において、忍耐の徳という模範を示し給いました。町の門を潜り給い、エルサレムを去り給いました。


【イエズスはエルサレムの泣く婦人たちを慰める(第八留)】
その次は、石ころだらけの道だっただろうけれど、ゴルゴタの丘への険しい坂を上り給うところです。
その途中で、門を潜る前だったか後だったか福音には記載無しということで不明ですが、聖ルカによると、私たちの主は泣いている婦人たちに出会い給いました。要注意なのは、受刑者に対して、慈悲の心を同情の気持ちを示すことは厳禁の行為だったことです。だから、受刑者を見て、彼のために泣き出すなどは禁じられた行為でした。だから、この婦人たちは恐れずに泣き出すことを惜しまなかったといえます。私たちの主の運命を見て泣き出すわけです。

感嘆すべきことが起きます。私たちの主は、ご自分の状況を一切に考えないで、それらの婦人たちのために思いやり一杯で、エルサレムの婦人たちを慰め給いました。十字架の道行の中の第八留です。私たちの主は憐れみに溢れておられます。非常に苦しみ給ったことは確かなのですけど、私たちのために苦しみ給うのです。私たちの悲惨事である罪から私たちを救うために、解放するために苦しみ給いました。十字架の道行の途中で、私たちの罪の負担を和らげ給うことを特別に実現し給います。エルサレムの婦人たちを慰め給うことによって、実現し給います。「エルサレムの娘たちよ、私のために泣くことはない。むしろあなたちと、あなたたちの子らのために泣け。」 と仰せになりました。

ここの「子ら」という言葉は「罪」という意味で捉えれば良いのです。続いて、こう仰せになります。「〈うまずめ、子を生まなかった胎、飲ませなかった乳房は幸いだ〉という日が来る。その時、人々は山に向かい〈われわれの上に倒れよ〉、また丘に向かい〈我々を覆え〉と言うだろう。生木さえもそうされるなら、枯木はどうなることか。」

ここの「生木」はイエズスを指し、御自分に他なりません。「枯木」という時に、燃えやすい薪ということです。ということは、私たちの主は「生木」と言われる時に、御自分の無罪性を言われるのですが、「枯木」と言われる時に、罪を犯した霊魂のことを言われます。言い換えると「私、無罪である者がこういった目に合わせられるのなら、罪人はどういった目に合わせられるだろう」との意味です。暗に、人間の究極の行方について、最後の審判について語り給います。要するに、私たちの主は明白に罪の深刻さとその醜悪さについて啓示し給います。
以上、私たちの主がエルサレムの聖婦人たちを慰め給う場面をご紹介しました。


【イエズスは三度(みたび)倒れ給う(第九留)】
その後は、私たちの主は町を去り給います。ゴルゴタの丘への残りの道はわずかですが、登り坂なので非常に苦労が要る僅かの道のりなのです。
そこで、イエズスは三度(みたび)倒れ給う(第九留)。死刑の執行の場所まで、もう僅かしか残りません。立ち上がろうとしてもなかなかできず、残り道を半分御自分で歩き、半分引っ張られることになったでしょう。番兵たちなどは、転倒を利用して改めて私たちの主を虐めたりしました。
私たちの主は三度に取れ給って立ち上がり給うと、後はもう数歩で、死刑執行の場所に御到着です。
こうして、ゴルゴタの丘に御到着します。十字架の道行はそれで終了します。しかしながら、それから、大悲惨がはじまります。天主であり人でもある御方はその次に処刑されます。



参考文献・十字架の道行の祈り
■十字架の道行(みちゆき)の前の祈(いのり)
救い主イエズス・キリスト、主はわれらを罪よりあがなわんためにエルザレムにおいて残酷なる苦しみに遭い、恥辱を受け、十字架を担いてカルワリオに登り、衣をはがれてくぎ付けにせられ、二人の盗賊の間に挙げられて死し給えり。われ主のかく苦しみ給える地にもうで、御血(おんち)に染(そ)みたる道を歩みなば、鈍きわが心も主の愛の深きをさとりて感謝に堪えざるべし。また主の御苦難の原因なるおのが罪の重きを知りて、たれか痛悔の情(じょう)を起(おこ)さざるものあらん。われかかる幸いを得んと欲すれども能(あた)わざれば、かの地のかたみなるこの十字架の道を歩まんとす。されどわれもし聖寵(せいちょう)をこうむらずば、愛と痛悔との情を起す能わざるにより、願わくは御(おん)恵みをくだして、主の御(おん)苦しみをわが心に感ぜしめ、かつて聖母マリアおよび主の御跡(おんあと)を慕いし人々の心に充(み)ちあふれたる悲しみをば、わが心にもしみ透(とお)らせ給え。またわれをして今より深く罪を忌みきらいて全くこれを棄て、愛をもつて主の御慈愛に報い、主の御(おん)ために、苦難を甘んじ受くるを得しめ給え。なおこの十字架の道を、ふさわしき心もて行く人々に施さるる贖宥(しょくゆう)をわれにも、また煉獄(れんごく)に苦しむ霊魂にも、与え給わんことをひとえにこいねがい奉(たてまつ)る。

ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子(おんこ)の傷を、わが心に深く印し給え。


■第一留(りゅう) イエズス死刑の宣告を受け給う

ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、▲われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

 人々は主を捕えてカイファのもとに引き行き、あざけり、御顔(おんかお)につばきし、打ちたたき、次いでピラトの裁判にわたせり。ピラトは群衆の心を和らげんとて主を石の柱に縛りつけ、むち打ち、ついにいばらの冠を御頭(みかしら)に押しかぶせければ、傷つき血流れたり。されど群衆は少しもあわれと思わずして、なおも十字架に掛けよ、十字架に掛けよと大いに叫びたりしかば、ピラトもせん方(かた)なくて主に死罪をいいわたすにいたれり。

▲主イエズス・キリスト、主を死刑に処せしは、ピラトとユデア人(びと)とにあらず、ひつきようこれわれらの罪の業(わざ)なり。われら今(いま)罪を犯す毎(ごと)に、主に大いなる苦痛を加え、不当の宣告を受けさせ奉るなり。よりてわれらの罪の罰を赦し給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン。

●(主祷文) 天にましますわれらの父よ、願わくは御名(みな)の尊まれんことを、御国(みくに)の来らんことを、御旨(みむね)の天に行わるるごとく地にも行われんことを。▲われらの日用(にちよう)の糧を、今日(こんにち)われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪(あく)より救い給え。アーメン。

●(天使祝詞) めでたし、聖寵(せいちょう)充ち満てる(みちみてる)マリア、主(しゅ)御身(おんみ)と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内(ごたいない)の御子(おんこ)イエズスも祝せられ給う。▲天主の御母(おんはは)聖マリア、罪人(つみびと)なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。

●(栄唱) 願わくは、聖父(ちち)と聖子(こ)と聖霊とに栄えあらんことを。▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。(読み方: 「聖父」=「ちち」、「聖子」=「こ」、「聖霊」=「せいれい」)

主われらをあわれみ給え。▲われらをあわれみ給え。
願わくは死せる信者の霊魂、天主の御(おん)あわれみによりて安らかに憩わんことを。▲アーメン。

ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子(おんこ)の傷を、われらの心に深く印し給え。



■第二留 イエズス十字架を担い給う
ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、▲われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

人々は主を外に引き出(い)だし、荒木(あらき)もて作れる十字架をかしこくも主の肩に打ち掛くるや、主は御身の傷をもいとい給わず、すこしも拒み給う御気色(みけしき)なく、引き寄せてこれを担い、柔和にして、堪忍深き御姿(みすがた)にてかれらの後(あと)より歩ませ給う。

▲主イエズス・キリスト、主は十字架を担い給うべきにあらず。罪人(つみびと)なるわれらこそ、十字架を担うべき者にはあるなれ。さればわれらは主の御旨(みむね)によりて、罪を償(つぐの)うがために、この世の苦難を受くべき者なれば、主を鑑(かが)みとして、柔和堪忍をもつてこれに耐えしめ給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン。

●(主祷文) 天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを。▲われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。

●(天使祝詞) めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。▲天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。

●(栄唱) 願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。

主われらをあわれみ給え。▲われらをあわれみ給え。
願わくは死せる信者の霊魂、天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。▲アーメン。

ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子(おんこ)の傷を、われらの心に深く印し給え。


■第三留 イエズス始めて倒れ給う
ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、▲われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

主はすでにむち打たれ、いばらの冠に刺(さし)貫かれ給えるほどに、傷あとただれ破れ、あけの血に染(そ)みて歩み給いければ、衰弱のあまり足下(あしもと)よろめき、ついに十字架の重きに堪えずして、傾きかがみ、やがて大地(だいち)に倒れ給う。

▲主イエズス・キリスト、主を倒しまいらせしは一(いつ)にわれらなり。われら罪に陥りたるによりて、主はかかる苦難を受け給うなれば、われら深くこれを悲しみ奉る。この御苦難の功力(くりき)によりて、われらを罪より救い給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン。

●(主祷文) 天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを。▲われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。

●(天使祝詞) めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。▲天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。

●(栄唱) 願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。

主われらをあわれみ給え。▲われらをあわれみ給え。
願わくは死せる信者の霊魂、天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。▲アーメン。

ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子の傷を、われらの心に深く印し給え。


■第四留 イエズス聖母にあい給う
ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、▲われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

聖母マリアは御子(おんこ)が死罪の宣告を受け給いしを聞き、急ぎ行き給うほどに、途(みち)にてあい給えり。あわれ天使の御(おん)告げありし昔には似るべくもあらず、あけの血に染(そ)み目も当てられぬ主の御姿(みすがた)を見て深く悲しみ給えども是非(ぜひ)なし。御子の御苦難(ごくなん)に御(おん)みずからの悲しみを添えて、われらのために御父(おんちち)天主に献げ給う。

▲主イエズス・キリスト、聖母マリアの御心(みこころ)を悲しませまいらせしは、一(いつ)に罪人(つみびと)なるわれらなり。主は限りなく慈悲深くましませば、幸いにわれらの罪を赦し給え。また主と御母(おんはは)との御心(みこころ)を慰め奉るために、われらに力を尽さしめ給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン。

●(主祷文) 天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを。▲われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。

●(天使祝詞) めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。▲天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。

●(栄唱) 願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。

主われらをあわれみ給え。▲われらをあわれみ給え。
願わくは死せる信者の霊魂、天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。▲アーメン。

ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子の傷を、われらの心に深く印し給え。


■第五留 イエズス、シレネのシモンの助力(じょりょく)を受け給う

ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、▲われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

主はかく歩み行き給うほどに、御気力(おんきりょく)次第に衰えてすでに危うく見え給えり。されど来りて助けまいらする者もなく、かえつてさまざまにののしりたたきたりければ、今ははや堪え難くして沈み入り給わんとす。人々は折しもそこに来合わせたるシレネのシモンに、強いて十字架を助け担わせ、なおも主を駆りて歩ませ奉れリ。

▲主イエズス・キリスト、主の十字架を担いて、力弱り給いしは、これ全くわれらの罪の重きが故なり。われらこそシモンに代りて十字架を担うべき者なれば、今より一切の苦難を、主の十字架の分としてわれらに受けしめ給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン。

●(主祷文) 天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを。▲われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。

●(天使祝詞) めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。▲天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。

●(栄唱) 願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。

主われらをあわれみ給え。▲われらをあわれみ給え。
願わくは死せる信者の霊魂、天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。▲アーメン。

ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子の傷を、われらの心に深く印し給え。


■第六留 イエズス御顔(おんかお)を布に写させ給う
ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、▲われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

主はなお歩み行き給うほどに、御体(おんからだ)も御顔(おんかお)もあけの血に染(そ)み給えども人々は少しもあわれまず、ますます荒立ち騒ぎたり。この時ヴェロニカという女群衆のうちより走り出(い)で、主に布を献げければ、主は御(おん)みずから御顔(おんかお)を拭い、尊き御(おん)面影をその布に写して返し授け給えり。

▲主イエズス・キリスト、われらの霊魂に聖寵を添え給え。十字架の苦難によりて、われらに御功徳(おんくどく)を移し給え。われら弱き者なれども、ヴェロニカにならい、世のあざけりを顧みず、専ら主を崇(あが)め奉るを得んことを、ひたすら願い奉る。アーメン。

●(主祷文) 天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを。▲われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。

●(天使祝詞) めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。▲天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。

●(栄唱) 願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。

主われらをあわれみ給え。▲われらをあわれみ給え。
願わくは死せる信者の霊魂、天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。▲アーメン。

ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子の傷を、われらの心に深く印し給え。


■第七留 イエズス二度(ふたたび)倒れ給う
ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、▲われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

主の御力(おんちから)は血と共に減り、今は御足(みあし)も進みかね、息たえだえにてうつぶせに倒れ給いぬ。ユデア人(びと)らはなおもあわれまずして打ちたたき、棄物(すてもの)の如く扱いつつ強いて歩ませ奉れリ。

▲主イエズス・キリスト、われら御血(おんち)の跡を慕いて、深く愛し奉る。主の二度(ふたたび)倒れ給いしは、われらの悲しむ時に当りて、頼もしき心を失わせじとなり。天に昇る道は十字架の道にて、すなわち苦しみの道なれば、御苦難(ごくなん)の功力(くりき)により、われらをして雄々しき心をもつて、歩ましめ給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン。

●(主祷文) 天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを。▲われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。

●(天使祝詞) めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。▲天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。

●(栄唱) 願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。

主われらをあわれみ給え。▲われらをあわれみ給え。
願わくは死せる信者の霊魂、天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。▲アーメン。

ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子の傷を、われらの心に深く印し給え。


■第八留 イエズス、エルザレムの婦人を慰め給う
ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、▲われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

この時(とき)主の後よりあまたの人々慕い来り、なかにもエルザレムの婦人は涙にむせびて道すがら泣きければ、主はかれらを顧み、御(おん)苦しみを忘れて、慰め宣(のたま)わく『エルザレムの婦人よ、わがために泣くなかれ、なんじらとなんじらの子孫とのために悲しむべし。生木(なまき)すらかくの如くなれば、まして枯木(かれき)はいかにぞや』と。

▲主イエズス・キリスト、主は罪なくして苦しみを受け給えり。われらは罪をもつて聖寵を失い、あたかも枯木の如くなれば、必ず地獄の火に燃やさるべき者なり。さればわれらに、おのが罪と人々の罪とのために泣き、痛悔(つうかい)の涙を注がしめ給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン。

●(主祷文) 天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを。▲われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。

●(天使祝詞) めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。▲天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。

●(栄唱) 願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。

主われらをあわれみ給え。▲われらをあわれみ給え。
願わくは死せる信者の霊魂、天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。▲アーメン。

ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子の傷を、われらの心に深く印し給え。


■第九留 イエズス三度(みたび)倒れ給う
ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、▲われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

主はカルワリオの上にいたりてまた倒れ給う。そは人々がかかる苦難を無益になさんことを思い給い、御心(みこころ)細(ぼそ)きあまり、深く悲しみ給えばなり。されど主はいずこまでも人々を助けんとて苦難を耐え忍び給う。

▲主イエズス・キリスト、主は何故(なにゆえ)に幾度(いくたび)も倒れ給いしぞ。これ全くわれら幾度(いくたび)も罪を犯し、たとい痛悔を起(おこ)すとも、また重ねて罪に陥るが故なり。主は三度(みたび)の後(のち)は倒れ給わず。さればわれらをして、主の御功力(おんくりき)によりて、この後(のち)再び罪を犯さざらしめ給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン。

●(主祷文) 天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを。▲われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。

●(天使祝詞) めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。▲天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。

●(栄唱) 願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。

主われらをあわれみ給え。▲われらをあわれみ給え。
願わくは死せる信者の霊魂、天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。▲アーメン。

ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子の傷を、われらの心に深く印し給え。


■第十留 イエズス衣をはがれ給う
ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

ユデア人(びと)らはカルワリオにおいて主の御衣(おんころも)をはぎまいらせたり。その時御衣は御傷(おんきず)に付着して痛さに堪え給うべくもあらず、御頭(みかしら)のいばらの冠(かんむり)もさわりなりとて取り除(の)けしを、またもとの如く押しかむらせまいらせたり。そはいと苦しきことなれども、群衆の前にはだをさらさせ給いしは、なおこれにまさりて苦しげに見えさせ給う。

▲主イエズス・キリスト、御心(みこころ)に適(かな)わざることわれらにあらば、御衣(おんころも)の如く脱がしめ給え。わけても高慢、じやいん、どんよくなどの悪しき心を除き、聖寵の衣を着せ給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン。

●(主祷文) 天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを。▲われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。

●(天使祝詞) めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。▲天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。

●(栄唱) 願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。

主われらをあわれみ給え。▲われらをあわれみ給え。
願わくは死せる信者の霊魂、天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。▲アーメン。

ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子の傷を、われらの心に深く印し給え。


■第十一留 イエズス十字架にくぎ付けにせられ給う
ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

主はすでにくぎ付けにせられんと十字架の上に倒れ、御(おん)みずから御手足(おんてあし)を延ばし給いたるを、ユデア人(びと)らは荒々しくその御手足にくぎを押しあて、かなづちにて打ち付けたり。この時(とき)主の御(おん)苦しみはいかばかりなりしぞ。御肉(おんにく)は破れ、御血(おんち)は流れて御力(おんちから)尽き、なお御(おん)渇きは堪え給うべくもあらず。さるをユデア人らは少しも心せず、十字架を押し立て、根下(ねもと)を突き固めて立ち去りけり。聖母は始終これを見て涙にむせび、十字架のもとに留(とど)まり給う。

▲主イエズス・キリスト、主はわれらのために、十字架にくぎ付けにせられ給えり。さればわれらもまた、主と共に十字架に付けられんことを望む。たといいかなる苦しみに遭うとも、主を離れざるよう御(おん)恵みをくだし給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン。

●(主祷文) 天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを。▲われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。

●(天使祝詞) めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。▲天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。

●(栄唱) 願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。

主われらをあわれみ給え。▲われらをあわれみ給え。
願わくは死せる信者の霊魂、天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。▲アーメン。

ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子の傷を、われらの心に深く印し給え。


■第十二留 イエズス十字架の上に死し給う

ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

主は二人の盗賊の間に挙げられ給いしが、人々のために御父(おんちち)天主に向いて『かれらはそのなす所を知らざるによりて赦し給え』と宣(のたま)えり。一人の盗賊はこれを聞きて『願わくは御国(みくに)にいたらん時われを思い給え』と申したりければ、主は『今日(きょう)なんじ、われと共に楽園にあらん』と宣えり。また十字架のもとに聖母(せいぼ)及び御弟子(みでし)の立てるを見給いて、御母(おんはは)に向い『女よ、御身の子ここにあり』と、また聖ヨハネに向いては『なんじの母ここにあり』と宣い、やがて『事(こと)終りぬ』と宣いて、息(いき)終(た)えさせ給えリ。その時、日はなお高かりしが、世界にわかに夜の如く暗くなりぬ。

▲主イエズス・キリスト、主の死し給える時に当り、地は震(ふる)い、日は暗み、墓は開け、死人はよみがえり、岩は裂く。われらこれを思いて心にいたく感ずる所なくんば、きわめてかたくななる者なり。これによりて、今よりわれら再び罪を犯さず、主と共に、この世に死するを得しめ給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン。

●(主祷文) 天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを。▲われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。

●(天使祝詞) めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。▲天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。

●(栄唱) 願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。

主われらをあわれみ給え。▲われらをあわれみ給え。
願わくは死せる信者の霊魂、天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。▲アーメン。

ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子の傷を、われらの心に深く印し給え。


■第十三留 イエズス十字架よりおろされ給う
ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

主はすでに息絶えさせ給いしかば、御体(おんからだ)は十字架よりおろされ給えり。聖母マリアは御(おん)なきがらを抱(いだ)き給い、その御色(おんいろ)ざし、御顔(おんかお)、御手足(おんてあし)、および御脇腹(おんわきばら)の傷を見て、絶えいるばかり嘆き給う。

▲主イエズス・キリスト、かくも聖母を嘆かせまつりしは、すなわちわれらなり。ああ罪人(つみびと)なるわれら、いまさらに悔み悲しみ奉る。聖母はわれらのためにいつも母たり給えば、われらはいつも子となりて、忠実を尽すを得しめ給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン。

●(主祷文) 天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを。▲われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。

●(天使祝詞) めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。▲天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。

●(栄唱) 願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。

主われらをあわれみ給え。▲われらをあわれみ給え。
願わくは死せる信者の霊魂、天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。▲アーメン。

ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子の傷を、われらの心に深く印し給え。


■第十四留 イエズス墓に葬られ給う
ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

時にニコデモとヨゼフはピラトの許しを得て、主の御体(おんからだ)を葬らんと御母(おんはは)よりこれを受け、清らかなる布にて包み、新しき墓に葬り奉れリ。

▲主イエズス・キリスト、われらの罪を御墓(おんはか)に隠し給え。われら心のうちに、主を受け奉り、今よりこの世の楽しみに死し、天国において、主を讃美するを得しめ給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン。

●(主祷文) 天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを。▲われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。

●(天使祝詞) めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。▲天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。

●(栄唱) 願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。

主われらをあわれみ給え。▲われらをあわれみ給え。
願わくは死せる信者の霊魂、天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。▲アーメン。

ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子の傷を、われらの心に深く印し給え。


■十字架の道行の後(のち)の祈り
唯一の希望にして世の救いと栄えなる十字架を崇め奉る。願わくは熱心なる者はこれによりてますます聖寵を加えられ、罪人もこれによりてその罪を赦されんことを。▲救霊の源にまします三位一体(さんいいったい)の天主、願わくはすべての霊をして、主をほめたたえしめ給え。われらに十字架の勝利を与え給いしによりて、その報いをも得しめ給え。アーメン。

ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、▲われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

悲しみを極めませる聖母、われらのために祈り給え。▲キリストの御約束(おんやくそく)にわれらを適(かな)わしめ給え。

主よ、われらの主イエズス・キリストは主の一族なるわれらのために悪人の手にわたされ、十字架の苦しみを受くるをいとい給わざりき。▲願わくは、主のこの一族を顧み給え。

主イエズス・キリスト、活ける天主の御子(おんこ)、主は世をあがなわんがために十字架にくぎ付けにせられ、かつわれらの罪の赦されんために御血を流し給えり。▲願わくは、われらをして死後喜びて、天国に入(い)るを得しめ給え。

主イエズス・キリスト、主の御苦難(ごくなん)の時に当りて、苦しみの剣(つるぎ)は御母(おんはは)なる童貞聖マリアの尊き御心(みこころ)を貫きたり。▲願わくは、聖母われらのために取り次ぎ、今も臨終の時も、いつも主の御(おん)あわれみを、われらのために求め給わんことをこいねがい奉る。アーメン。

われらのためにむち打たれ、十字架を担い、これにくぎ付けにせられ給いしわれらの主イエズス・キリスト、われらを祝し給わんことを願い奉る。▲アーメン。





コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。