カープが初優勝する1975年の前年、1974年は最下位だったわけですよ。でもって森永さんが監督を退き、代わりにあのジョー・ルーツ氏が
就任したわけですが…あの年の暮れにカープはかつてない〝大改造〟に乗り出したんよね。当時の先発ローテの一角だった安仁屋、大石、白石さんを
放出、主軸候補に育ちつつあった渋谷、上垣内ら合わせて17人を放出。代わりに入ったのが鬼軍曹・大下の他は…だったが、彼らがシーズンに入る
といきなりブレイクした。キックの宮こと宮本幸、若生、三輪、渡辺弘…確かに若い芽は育ちつつあったが、彼らの想定外の活躍もあっての初優勝に
ホント驚いたモンです。大幅な血の入れ替えが奏功した珍しいケースで、今回の中日が来年、1975年のカープのようになるかもしれないなぁ、
可能性は0じゃないなぁ、と思うとね…まぁ、新井カープには中日の前に立ちふさがって欲しい気持ちはありますけど(^^)
わずか4日間で二遊間コンビ一気に“解体” チームの顔も放出…強権発動の中日大改革
15日に二塁の阿部、18日には遊撃の京田を相次ぎトレード
6年ぶりの最下位に終わった中日が、大改革に舵を切った。18日、遊撃の定位置を担ってきた京田陽太内野手のDeNA移籍が決定。15日には、二塁のレギュラー阿部寿樹内野手が楽天にトレードされ、衝撃が広がったばかりだった。わずか4日の間に、二遊間を一気に“放出”。低迷脱出へ待ったなしの状況で、“強権”を発揮している。
この10年間でAクラスはわずか1度。勝つ喜びを失った名古屋に再び活気を取り戻すには、荒療治が必要ということか。主力選手だろうと、選手会長だろうと、タブーはなし。立浪監督監督が描く“強いチーム”実現のため、立て続けにトレードを成立させた。
12球団ワーストの貧打が課題だったチームにとって、阿部は貴重な長距離砲のひとりだった。今季当初は外野での起用が考えられていたが、故障者が出たことで“元サヤ”の二塁に。133試合に出場し、内野陣を支えた。その一方で、右の大砲候補として期待される若手が出てきているのも事実で、世代交代の煽りを受ける形で右打者不足の楽天へ。岩手出身の阿部にとっては、地元東北に戻る格好となった。
選手会長の京田は打撃で苦悩…球団が示した新たな選択肢
さらに驚きは止まらない。1年目に新人王を獲得し、守備の負担が大きい遊撃のレギュラーを担ってきた京田まで球団を去ることに。近年は打撃で苦しんでいたとはいえ、怪我に強い体力と球界でも指折りな守備力は投手陣を助けてきた。
今季で選手会長3年目だったチームの顔のひとり。ただ、現役時代に同じ遊撃を担っていた立浪監督の厳しい及第点に達することはできず。悩みの中にいる背番号1に、球団はプロ野球人生の“新たな道”を提案することになった。
就任時、センターラインの重要性を語っていた指揮官。その中心を担う二遊間コンビが一気に白紙となったが、“勝算”があってこその決断には違いない。遊撃では今季、高卒2年目の土田龍空内野手が台頭。10月のドラフト会議では、指名した7人のうち実に4人を即戦力候補の内野手に充てた。さらに二塁では、来季高卒7年目となる大砲候補の石垣雅海内野手らも控える。
2023年、間違いなくチームは変わる。レギュラーだった2人がいなくなり、当然悲しむファンもいる。何倍もの喜びにして返すため、ミスタードラゴンズが断行した“解体”。作り直されていく新たな竜の姿に、多くの視線が注がれている。
ホプキンスとライトルもこの年に加入したんでしたっけ?
ホプキンスはそうですね、1975年と76年に在籍しています。75年の優勝を決めた試合で、9回にダメ押しの3ランを放ったのがホプキンスでした。
ライトルは77年からですね。目立ったタイトルこそ獲ってませんが、ほぼ毎年のように3割、20本塁打以上を記録、守備での強肩による捕殺刺殺は惚れ惚れしたもんです。走攻守の3拍子にバランスの取れた好選手でした。