今の時代、歌ではなく〝踊りのついでにメロディーに乗せて何か喋ってる〟のばかりだし、やたらと人数ばかり多くて誰が誰やらさっぱりだし、
そもそも論としてかつてのような〝ヒット曲〟といえるものが無くなっているのだから、本来ならば「その年のヒット曲を聞きながら1年を振り
返りましょう」という趣旨の紅白などとうの昔に存在意義を失っていたのだ。それを「そろそろ終わって」とか何をトチ狂ったことを書いてやがる
かと、この記事の執筆者に文句のひとつも書きたくなる。
気を持たせるような書き方せず、ハッキリ「廃止」に踏み込め!それでこそコラムとして成り立つと思うがね…。
夏にやる「懐かしのメロディー」ならね、時代や世代を超えて懐かしく感じる曲が多いのだから、むしろ紅白より年末の風物詩としては猫は相応しい
のではないかと思う。まぁ、歌より踊り優先でしかない〝曲〟とやらを何十年か後にあの連中が再結成されて再び同じように歌い踊れるのか、想像する
だけでも不気味だが…テレビでやる以上は踊りも見せなきゃ嘘だろうしねぇ…
時代に追いつけない「紅白歌合戦」がそろそろ終わっていい理由 懐メロ&ジャニーズ路線も限界に〈dot.〉
ただ、かつてほど視聴率が取れなくなり、国民的番組としてのステイタスが下がってきたのも事実。はっきりいって、もう限界というか、そろそろ終わっていいと感じている人もいるのではないか。
それもある意味、仕方ない。紅白の寿命はすでに、尽きようとしているのだ。 その70余年もの歴史を振り返るとき、現在は第3期といえる。第1期はラジオのみでのスタート(1951年)から、怪物番組としてのかたちができあがる第8回(1957年)あたりまで。第9回(1958年)からは、大みそかの夜に2時間40分(のち、45分)紅白20数組ずつが登場して歌うというスタイルが確立して、日本の風物詩となった。
このスタイルは第39回(1988年)まで続き、視聴率は最高で80%台、悪くても50%台だった。これが第2期であり、いわば全盛期でもある。
しかし、第40回(1989年)に大きな改革が行われる。放送開始が19時台となり、二部制が導入された。音楽の好みの多様化や誰もが知るヒット曲の減少といったものへの対処でもあり、これを機に懐メロが増え、ひと組あたりの持ち時間も長くなっていく。また、本会場以外の場所からの中継や、本番当日のサプライズ出演、さらには巨大衣装対決やけん玉でのギネス記録挑戦といった歌とはあまり関係のないエンタメ要素も盛んに取り入れられるようになった。
この結果、その年の歌謡界で選ばれし者が集う真剣勝負という魅力は薄れたものの、延命にはつながったかもしれない。終盤に登場する歌手を若返らせるため、ベテランには第1部のトリを任せるという手法も編み出せた。前出の五木も昨年、第一部の大トリで歌ったのを区切りに、紅白を去ったわけだ。
「本紅白」などとも呼ばれる第二部の視聴率は、50%台から40%前後に低下。二部制導入後の第3期は、ゆるやかな衰退期でもある。そもそも、全盛期を知る世代には、最近の紅白は別物にすら思えるのではないか。そんな「別物紅白」が全盛期と同じくらい長く続いているのだから、そろそろ寿命が尽きても不思議ではない。
それでも、盛り返すチャンスはあった。いわゆるゼロ年代の半ばだ。
まず、第54回(2003年)において、危機感をあおられるような出来事が起きた。毎分視聴率で計4分間、TBSの格闘技中継に抜かれたのだ。相手は「ボブ・サップ対曙」戦。紅白で歌っていたのは、長渕剛だった。
長渕といえば、二部制導入2年目の第41回(1990年)に初出場。ベルリンの壁からの中継で16分間もマイクを独占して物議をかもした男だ。いわば「別物紅白」の象徴的存在が13年ぶりに戻ってきて、歴史的屈辱の当事者になったわけである。
さらに、翌年7月、NHKの芸能番組を担当していた元チーフプロデューサーが数年にわたって制作費などを着服していた不祥事が明るみに出た。これが世間の批判を招き、最終的には当時の会長が辞任する事態となった。
こうした流れもあいまって、この年の紅白(第55回)では改革的な試みが行われることに。毎年実施されている「紅白に出てほしい歌手」のアンケート結果を公表し、上位には出演交渉をすると宣言したのだ。
ちなみに、ベスト5には白組で氷川きよし、SMAP、北島三郎、五木ひろし、平井堅、紅組で天童よしみ、宇多田ヒカル、柴咲コウ、坂本冬美、浜崎あゆみが入った。このうち、辞退したのはSMAPと宇多田、柴咲で、6位以下ではサザンオールスターズ(白組6位)や松田聖子(紅組12位)、Mr.Children(白組12位)も辞退している。
ただ、この試みもむなしく、この年の視聴率はついに40%を切った。しかも、本番中には紅白衰退の原因を浮き彫りにするような発言が飛び出すことに。審査員のひとりだった橋田壽賀子が感想を聞かれ、こう語ったのである。
「私、今まで歌ってくださったの、1曲も知らないです。1曲も知らない、もういかに(自分が)時代遅れかわかりました」
タイミングとしては、56組中17組が歌い終わったところ。実際、その時点ではその年のヒット曲らしいヒット曲は河口恭吾の「桜」くらいだったし、誰もが知る懐メロも歌われていなかった。彼女自身は自虐ネタのつもりだったはずだが、かなりの人が橋田に共感したのではないか。「時代遅れ」というか、時代とズレていたのはむしろ紅白のほうだったのだ。
そんな状況を打開すべく、翌年の第56回に向けて、NHKはさらなる改革的試みを行った。「スキウタ~紅白みんなでアンケート~」である。戦後60年の歌を対象に、はがきや携帯電話、パソコン、データ放送を通じて「紅白で聴きたい曲」を投票してもらい、その結果を出場歌手や曲目の選考に反映させようとしたわけだ。
これはそれなりに注目されたが、大成功とまではいかなかった。まず、中間発表の段階で組織票疑惑が発生。たとえば、上位20曲に橋幸夫の持ち歌が3曲入ったりした。とはいえ、彼も一時代を築いた歌手だし、最終結果でも紅組22位に吉永小百合とのデュエット曲「いつでも夢を」白組68位に「潮来笠」が残っている。その気になって、着物を新調したともされるが、紅白には呼ばれず「もう二度と出ない」とぼやいた。
他にも、紅組上位20曲に2曲が入った中森明菜が落選するなど、アンケート結果がそれほど反映されていない印象がもたらされることに。しかも、これについてプロデューサーは「全部リクエスト曲にすると『あなたが選ぶスキウタトップ100』みたいになり、紅白でやる必要がなくなってしまう」と説明した。こうして、制作側の思惑もしくは事情と視聴者側の期待のあいだに「ズレ」があることも垣間見えてしまったのだ。
また「ズレ」といえば、こんなこともあった。司会者が発表された際、白組司会の山本耕史が「スキウタ」について質問され「何?スキウタって…」とリアクション。紅組司会の仲間由紀恵が「視聴者から聴きたい歌を選んでもらうアンケートですよね」とフォローしたのである。
このあたりのゆるさが紅白っぽいともいえるが、このゆるさが「スキウタ」のその後にも発揮された。NHKはこの試みを一度きりでやめてしまったのだ。
これはもったいなかった気もする。たとえば、この試みによって、第56回には渡辺美里が出場した。「スキウタ」の紅組25位に「My Revolution」が入ったことがきっかけだ。このように、世間の好みを探る意味ではけっこう有効だったわけだ。
さらに、数字のとれなくなった大物を切り捨てる言い訳にも使えたはずだし、何曲かを秘密にしておき、当日もしくは本番で発表すればサプライズにもなる。何より、視聴者の好みに寄り添おうとする姿勢が伝わることで、業界とのしがらみうんぬんという批判もかわせるし、世間の紅白への思い入れももっとつなぎとめられたのではないか。
そういう意味で、せめて3年、あるいは数年おきに3回くらいは続けてもよかった。やっているうちに、アンケートの取り方もうまくなっただろうし、こうした試みを一度きりでやめたことにはちょっとガッカリさせられたものだ。
そのかわり、紅白は別の方法で視聴者の好みに寄り添おうとした。ジャニーズの重用だ。比較的幅広く支持されているSMAPをメインにして成果を上げたことから、そこに匹敵する嵐に目をつけ、新たなメインにしたのである。
このジャニーズ路線も延命にはつながった。ただ、SMAPは2016年に解散。嵐も昨年、活動を休止した。そう、人に頼るやり方は相手次第でもあり、かなりおぼつかないのだ。それよりはコンテンツそのものを工夫したほうが長い目で見て得策だっただろう。
なお、紅白の衰退は時代の変化によるところも大きい。歌は世につれ世は歌につれ、という感じでもなくなった今、国民的歌番組を作ること自体、至難の業なのだ。審査員やゲストの顔ぶれにはまだ世相を感じるものの、肝心の歌をめぐる状況がこれでは気の毒にもなってしまう。
そんな怪物感を失いつつある紅白の姿は、今年引退した球界の怪物・松坂大輔にも通じるものだ。彼がいくら腕を振っても110キロ台の直球しか投げられなくなったように、紅白がいくら頑張っても取れる視聴率は絶頂時の半分でしかない。
紅白ファンを自認する筆者でも、そろそろお疲れさまと言いたくなる、というのは大げさだろうか。