マンション管理のお勉強日記+スピリチュアルなブログ:飯田史彦教授 江原啓之氏 坂本政道氏等の精神世界の書籍を読んで

先立った最愛の彼女といつか必ず逢いたい…彼女が枕元に置いて逝った江原啓之氏の書籍…Spiritualな世界の存在を信じて

真言宗 長江寺 住職 荻原玄明氏の語る-迷える死者と供養-

2008年01月03日 02時23分21秒 | ★書籍で探訪|長江寺住職 荻原玄明氏
初詣で真言宗のお寺に行ったこともあり、
久し振りに、真言宗 長江寺 住職 荻原玄明著
「『死者の霊魂とどうつきあうか』死者からの教え」ハート出版を読みました。

荻原玄明氏は、迷える霊について、
「・・・毎晩霊視の中で、死者たちが今も生きていて意識を送ってくるのを
見させていただいています。」

「死後何十年たっていようが、浮ばれないそれらの死者たちは、かつて地上界に
あった時の鬱々とした執着に、今もなおそのままとらわれています。」

「この人たちは生前、人間が肉体だけのものと思って生きてしまった人々です。」

「そして今困っているのです。」

「肉体ばかりが人間ではなく、もう一つの永遠のもの、すなわち魂が厳然と
わが身のうちにあることを、この世を生ている間にきちんと勉強しておかない
と、みんな哀れな死者になってしまいます。」

とおっしゃっています。

江原啓之氏もまったく同じ言い方をされていますよね。
肉体と魂について、知っている,理解しているのとそうでないのとでは、
死後に迷う云々について、ちょっと、極端過ぎる言い方じゃないかなぁと
思っていましたが、荻原玄明氏も、かなりキツイ言い方をしています。

荻原玄明氏は、
「死者が迷いの世界から意識を送ってくれば、それは悪い作用となって現れます。」
「この世の人間たちはこの作用に対してはまったくの無力です。」
「どうしたらその作用から脱出できるのか見当もつきませんし、いろいろ努力
してもさっぱり効果がありません。ただ怯え、嫌い、恐れるだけです。」

「そこで、キリスト教の国々では大昔からこうした死者からの恐ろしい意識作用
を人格化して、悪魔とかサタンとか呼んで敵対視して来たわけですが、しかし、
実はそんな得体の知れないものではなく、すべて、死後に自分の死をさとれない、
つまり、自分の死に気づかないままでいる哀れな『人間』だったのです。」
と語っています。

う~ん、そういう見方もあるのですね。

荻原玄明氏は、
家族の精神的な病は、先祖の供養や先祖を大切にしていないところから来るとか、
死者は供養されるのを望んでいる,何か現世に生きる子孫に訴えかけたいことが
あると心の病を身内に引き起こさせるような話をよくされています。

ですから、特に先祖供養についてはきちんとするようにとおっしゃっておられる
人物です。

荻原玄明氏は、
「・・・こうした死者たちに話しかけ、説いて聞かせて、既に肉体を失い魂だけ
となって生きているのを納得させるという、そういう仕事を私は日夜続けています。」

「これが私の『霊視』というものであり『供養』というものです。」
とおっしゃっています。

そして、
「死者たちはこの説得をちゃんと理解してくれます。そして長い間の迷いから
覚めて還えるべき安らかな所へと還って行ってくれます。」

「この世から去ればその結果もこの世に現れ、子孫たちの苦しみは見事に氷解
して行きます。」と語っています。


しかし、荻原玄明氏にお会いできない多くの人は、
このような事態(先祖が迷っている等)からどうやって抜け出だせばよい
のでしょうか?

荻原玄明氏は、
「・・・憑依を解いて成佛していただくには、何といっても子孫である私たち
人間の生きざま・心がその土台として正しく整備されていなくてはなりません。」

「私の術一つで手品のように成佛するのではなく、
子孫であるあなた方が先亡の方々を成佛しているとかしていないかということを
離れて、漏れなく思いやってあげることです。」
とおっしゃっています。

確かにそうです。
見てもらって、
成佛していたら、もう済んだではないですよね。

よくよく読んでいましたら、
先祖の霊というよりも、「先立った魂=先亡」の方々がこの世に何かしらの未練や
遺した者へ何か伝えたいときに、身内に何かが起こる(荻原玄明氏は精神病を引き
起こすと説いています)ということをおっしゃっているようです。


荻原玄明氏は、心強い言葉を本書に記しています。

「まだ生きている気でいる人たちは、身体が無くて思うことが何も果たせないと
いうまことに中途半端な形のまま、ストレスの塊みたいになって地上界をさま
よっています。助けてあげなければ可哀想です。縁のあるあなたなら間違いなく
助けてあげられます。」と。

・・・

江原啓之氏の天国からの手紙のTV番組を見ていましたら、
けっこう、「パンが欲しい」とか「アイスクリームを供えて欲しい」など
生前好きだったものを伝えてきたりするのを聞きます。

それは、死者のこの世への一つの未練・執着なのかもしれませんね。
でも、別の角度から見れば、「そういうことを言える(伝えてくる)んだから、
私(亡くなった本人)なんだよ」という信号でもあると思います。

・・・

あと、お迎えが来るとき、
お父さんのおかあさんが来た(連れに来た)とか
お父さんの母方のおばあちゃんが迎えに来たとか
江原さんが言われているのを見て、
「縁の深い人が迎えに来る」
ということがよく分かりますよね。

これを見てても、「身内」というのは死後もとても深い繋がりなんだなぁ
と感じます。

ですから、
振り返ってみますと、
葬儀のとき、親族の列に入れて頂き、
火葬場からお寺まで彼女の遺骨を持たせて頂き、

亡き彼女のお父さんへ、婚約指輪と結婚指輪を受け取って頂き、
亡き彼女のお母さんは指輪を贈ったことを喜んで頂けた聞き、

それなら「身内と同じく、私が逝くべき時には、亡き彼女は絶対に
迎えに来てくれる!」と思いました。

・・・

少なくとも江原啓之氏の書籍を読んでいた彼女は、この世に想いはあっても
死後、死んだことが分からないということはないでしょう。

今夜も語りかけて寝ようと思います。
でも、私も中途半端なことを語りかけているので、亡き彼女も困っている
でしょうね。

「逝くべきところへ行って、楽しく暮していなよ」
「色々、仕事みたいなのがあるからぼちぼち頑張ってね」
「でも、僕のことを忘れちゃ駄目だよ」
「忘れないと先へ進めないところまで行ったら・・・ちょっと待っててよ・・・」
「死ぬときって恐いと思う。その瞬間を考えるだけでドキドキするので、
恐いので迎えに来てよ」
というようなことをよく言っています。
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