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全館輻射熱冷暖房住宅システムの開発者・福地建装・代表取締役会長
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先生と呼ばれる勘違い…北斗市

2006年10月04日 18時25分46秒 | Weblog
学校の教員を先生と呼びますが違和感はありません。病院の医者をも先生と呼びますがこれも違和感もありません。弁護士をも先生と呼ぶのも違和感がないのですが…これは慣例、風習からくるものでは…ところが先生と言う呼び名はいたるところで使い分けられております。国会議員や都道府県議員、市町村議員を先生と呼んでいますが、落選すればただの人になり、いささか先生と呼ぶことに違和感を感じます。

教員、医者、弁護士を先生は呼ぶものだと言う観念が根付いてきましたが、それ以外の方々を先生と呼ぶときは、そのように呼ぶ方が、その時の雰囲気で使い分けているのが実状と思われます。つまり都合の善い時だけが先生なのです。
面と向かって先生と呼び、振り向いたときにはただの人…

心から先生と呼ぶ人にとって、その対象者は、常に畏敬の念を持っており、自分にとってとても尊敬し得る方であればこそ自然に「先生」と言う言葉が発せられるのでしょう。
私も講演の講師で出向きますと「先生」と呼ばれ「先生」と紹介されますが、会場を一歩でるとただのオジサンです。建築士として現場に赴きますと先生と呼ばれるときがあります。決して嬉しくはありません。彼らは使い分けている訳ですから…
ある建築士が顧客に先生と呼ばれなかったので、とても不機嫌だった言う話を聞いたことがあります。勘違いも甚だしいのでは…先生と呼ばれるに値しなかったのに…

先生とは「先ず」「生きている」とも意味します。また「先に」「生まれた」とも意味します。
文字から伺える事は決して尊敬されているからこそが「先生」では無いような気もします。
ところが「先生」と呼ばれ続けていますと、いつしか勘違いをし、先生と呼ばれるに相応しい偉人になったように思い込み、横柄で横暴になってしまう人も実際に存在いたします。

大学教授で先生と呼ばれ続け、現場の職人達を下々と見下げ、自分の描いた理屈どおりにいかいない場合、すべてそのような現場の施工技術のせいにする建築学者もいます。
このような人を心から尊敬できますか…

地域の方々から「大工さん」と心から慕われいる地域密着の工務店経営者がおります。
お金持ちではありませんが人からの頼み事は、いつも気持ち良く引き受けてくれます。
心豊かでいつも笑顔が溢れています。
先生と呼ばれなくともいい…金持ちでなくともいい…
関わる人達といつも笑顔で過ごせる方が素晴らしい人生なのではないでしょうか…

写真は10月4日の今朝の執務室でのスナップです。今日は当方の誕生日ですが、社員全員で大きな花束を贈ってくれました。
この年の誕生日は嬉しくありませんが皆の気持ちが嬉しいのです。
ありがとう!!!

ファースの家
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