翻 身 Fanshen

いつの日か『翻身』を遂げる事を夢見て
歩き続ける想いの旅。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

百年も二百年も生きれる人間にあらず。悟れ君

2005年05月27日 | 映画・音楽・読書

気がついたら最後の記事から2週間余りが経過していた。
特に大忙しだったわけでもなく、相変わらずのリハビリ暇人には変わりないのだが。
愛しい甥・姪のお世話やらケガの温泉療法(家族旅行)を試してみたり、6月からの仕事復帰にそなえ試験的に一般社会に溶け込んでみたり(ショッピング)で夜は毎日バッタンキューだったのだ。

それでも、毎日出会う新しい瞬間で想うことも色々あった。
相変わらずネガティブに考え事もしたりしたが何故かブログに向かう気にならなかった。
良く言えば想ったことが言葉や文章になって出てこない、悪く言えば話の「オチ」がつかない。

ブログが仕事だったら「ブログの5月病」というのが一番近い表現なのか?
PCに向かうのもブログに記事を残すのも全て私の自由。
しかしながら面白いものでブログを離れれば離れる程に夏休みの宿題を最終日まで残している様な、落着かない心持になるのだ。
そこで重い腰を上げてPCに向かってみた。

さて長い前置き(言い訳)が終わった所でいざ本題。

今月号のサライ『漱石特集』は面白い。
手紙好きの漱石が友人、家族に宛てた手紙の一部が掲載されている。
中でも、共に才能を認め合った親友の正岡子規とのやり取りが興味深かった。
漱石23歳の時、自身の悶々とした想いを綴った手紙を子規に送った。
表題は、その際の子規の返信の一部だ。

この二人の手紙は、両者が文豪だと思うとさぞかし立派な賢い二人のやり取りにも感じられるが、現代の23歳の男子二人の何気ない会話に置き換えてみると。

漱石「俺、最近さぁ~なんかやる気しないんだよね。毎日がマジ面倒って言うかさー。自殺なんかも考えるけどそんな勇気ないし。意気地がないっていうかさー中途半場だよなオレ」

子規「この世の中何が起こるかわからないからさーそう長く生きられるわけじゃないし。地球の歴史からみたら俺達の一生なんて点じゃん?それを長いって言うのは小さい男だよお前は。だからって短いって思うのも視野狭いし。んなこと気付けよ」

若干無理があるかもだが、この次期の漱石と子規はまだ無名だったコトを思えば、極々一般の若者としてこんな風だったのかなぁなんて想像してみると少し笑えたりもする。
どの時代にも「迷える若者」は存在するのだな・・・なんて思ったりして。
(子規は実際肺病を患っており自身の「生や死」に対しては漱石のそれより根は深かったのかもしれないが)

私にも仕事や人生に対する考え方が共感できてお互いに認め合える親友が豪州に居る。
漱石と子規の書簡とは比べ物にならないが、ふと彼女にまた手紙を書いてみようと思った。
取り留めのないラブレターを。

コメント   この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« どっち | トップ | 痛い視線 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

映画・音楽・読書」カテゴリの最新記事