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【Vol.8】エコと家族の絆

 先週、アンペアダウンを電力会社にお願いしました。

 5年前に電話したときは「一度設定を変えたら1年間は戻せませんよ。」と説得されてためらった事がありました。しかし、今回電話した時は「節電のご協力ですね!では三日後に伺います」と、説得どころか二つ返事で担当者が来て20分ほどで工事終了。

 3.11以前と以後ではこんなにも対応が違うのかと隔世の感を強めました。今週わが家では次女が、テレビやパソコンなど家電製品の使用後にコンセントを抜き待機電力をゼロにする節電部長に就任しました。

 この夏はエアコンを1部屋にして、そこに集まり、ノー・テレビ・ディを増やして、親子の会話が多くなり、家族の絆が深まったという報告ができるようになりたいと思います。

(Y.K)

【今週の家族川柳】

  老いた父 幸の花咲け 子の願い

  肩車 いつかはパパを 肩車

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【Vol.7】明日は父の日

 明日、6月19日(日)は父の日です。


 父の日の由来は諸説あるようですが、1909年、ワシントン州のソナラ・ドッド(ジョン・ブルース・ドッド夫人)という女性が、自分の通う教会で「母の日」の説教を聞いていて、「父の日」もあるべきだと考え、牧師に頼んで「父の日」を祝う礼拝をしてもらったことが始まりとされています。

 ソアラさんは母親の亡き後、自分と5人の兄を男手一つで育ててくれた父親を敬愛しており、父親の誕生月である6月の第3日曜日に礼拝をしてもらいました。これがもとで、6月の第3日曜日が「父の日」となりました。

 日本では、1950年ごろから広まり始め、一般的な行事になったのは1980年代とされています。母の日の行事はすでに1950年ごろから始まっていたようですので、父親に感謝する風潮になったのは、近年になってからのようです。ちょっと意外ですが、日本の高度成長期の父親は家の外では企業戦士として頑張っていたものの、家庭の中ではちょっと近寄りがたい存在だったのかもしれません。

 でも、最近では父親が子育てにも積極的に参加するようになり、父親の家庭での存在感も定着してきました。しかし、私も子どもを持つ親の立場で思うことは、父親の一番の喜びは、自分を父親として認めてほしい、感謝してほしい、プレゼントがほしい(笑)ということよりも、子ども達が自分自身の夢と希望をもって、人のため、国のため、世界のために生きてくれることだと感じています。

 私の父親はすでに他界していますが、自分もそんな生き方を通して父を誇れる人間になりたいと思うようになりました。

 普段、母親よりも接する機会がない父親かもしれませんし、すでに亡くされた方もおられると思いますが、是非、父親との思い出を思い返しながら、そんな決意の一日としていただければと思います。 (H.I)

【参考サイト】日本ファーザーズ・ディ委員会
http://www.fdc.gr.jp/index.html

【今週の家族川柳】

  「信じてる」 親の言葉で 子は育つ

  (携帯の)待ち受けは 妻の写真の 愛妻家

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【Vol.6】「ありがとう」の言葉の力を日々感じる生活を

 3年前、北京パラリンピックにおいて、車いすで2種目を制した伊藤智也選手が、金メダルの喜びを次のように語ったそうです。

「生きてきた人生の中で5番目にうれしい。子供が4人いるので」

 世界のアスリートが4年に一度の栄冠を目指して挑戦し、その最上段で首に掲げた金メダルよりも、わが子の誕生に比するものではなかった…

 一方で、わずか2歳で餓死。体重5kg。そんな報道(9日夕刊)を目にして、この対極ともいえる親の姿に愕然とさせられます。

 新しい生命の誕生は夫婦愛の結実です。

「生まれてきてありがとう」…この言葉が素直に口から出るとき、すでに「そばにいてくれてありがとう」の言葉が、わが子の寝顔をともに覗き込むパートナーに向けられていることでしょう。

「ありがとう」の言葉の力を日々感じる生活をめざしたいものですね。

(冨田辰夫)


【今週の家族川柳】

  団らんに 明日の元気の 糧がある

  お父さん 父の日前に そわそわし

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【Vol.5】被災地で誓い合った教師たちのプロミス

「みんな、上に行けー!と叫ぶ教師や子供たちの声が聞こえるようだった」

「小1の子どもに、この崖を登れとはとても言えない」

「助けてあげられなかった父母や教師たちの無念さを感じて、同じ教師として熱いものが込み上げてきた。」

 私は4月下旬、教師3人と東日本大震災で被災した、宮城県石巻市立大川小学校を訪ねました。上記は被災現場を慰問した教師たちの感想です。

 ここは、全校児童108人の内74人、教師も13人の内10人が死亡・行方不明になった所です。天皇皇后両陛下は、上空からご覧になった折、「ここで沢山の子どもたちが亡くなってかわいそうでしたね。」とお言葉を述べられました。

 学校正門前に設けられた献花台にてご冥福をお祈りしました。供えられたたくさんのお菓子やジュースを見ながら、もう食べることができない子供たちに思いを馳せるしかありませんでした。

 学校は本来、楽しい所、そして、時には防災の拠点となり、さらに街づくり、国づくりの拠点であるべきです。

以下は訪問した教師たちで誓い合った共通のプロミスです。

「大川小学校の災後を決して無駄にしない」。

そして、
「私たちは、担任している一人一人の子どもと命と魂の対話の時間を持ちます」。

(K)

【今週の家族川柳】

  支えあう 夫婦の姿 理想的

  言われたい 「あなたに出会えて よかったわ」

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