神社の世紀

 神社空間のブログ

神社とは何か(5)

2012年08月13日 23時56分43秒 | 神社一般

★「神社とは何か(4)つづき

 井上による神社批判の徹底したラジカルさは、それはそれで評価できるが、神社とは何かを考える際、私が問題にしたいのはもっと普通の神社のイメージである。 

 例えばこんな紀行文の一節があったとする。 

「今でも山里に住む人たちから厚く信仰されているその神社の神域に足を踏み入れると、巨杉がそびえ立つ境内はまことに神気がこもっていて、その先に荘厳な社殿が並んでいる様子は西行でなくても「かたじけなさに 涙こぼるる」という気分にさせられる。」 

 これは私が作ったものだが、空気や水が澄んだ山里にこんな神社が鎮座しているというのは、日本人が神社に対していだく理想のイメージの一つであるとともに、普遍的な神社のそれと言っても良いだろう(この文章そのものと言って良いような神社というのも実在するが。)。 

 あるいは、「そんなイメージはあまりにもロマンチックすぎやしないか。」と言われかもしれない。しかし神社とロマン派のつながりというと、三島由紀夫や保田與重郎の例をはじめ枚挙にいとまがない。神社のイメージは元々どこかしらロマンチックなのである。総じて「神社とは何か」という問題に答えようとする場合、こうして理想化された神社のイメージの震源はどこにあるのかとか、神社とロマン派とのつながりはどうして生じるのかとか、風致が優れた神社を訪れた際の感動はどうして生まれるのか、等々という問題に本気で取り組む必要がある。そうでなければ神社批判にならないのだ。これに対し、「神社」という語は律令用語として使われだしたものであるから云々というような井上の議論はあまりにも形式的である。その内容は今後の神道史・神社史研究に影響を与えるかもしれないが、だからといってアカデミズムの世界を越えてそれが社会の通念になるほど一般化するとは思えない。就中、そこには「場所性」が欠けているのである。

 だが、場所についての議論に移る前にもう一つだけ、触れておきたいことがある。 

 これまで井上の神社理解にさんざ反駁を加えてきた私だが、だからといって井上が批判した福山敏男の提唱する「日本に固有の宗教施設である神社は、弥生時代やそれ以前の時代にさかのぼる農耕儀礼のなかから自然発生的に成立したもので、当初は社殿なく神籬や磐座を祀っていたが、やがて仮設の社殿が祀られるようになり、ついには現在のように常設の社殿を設けるようになった。」というような神社の起源説にも満足しているわけではない。 

 思うに「磐座・神籬」→ ・・・ →「常設社殿」というのは神社の歴史としてはもちろんこの順番だったろうが、福山がこれを考えた時には「常設社殿」の代替物を過去に求めて、「常設社殿」→ ・・・ →「磐座・神籬」と時系列を逆にさかのぼっていったと思う。その場合、思考の起点はあくまでも「常設社殿」にあり、そういう意味でこれは「神社の歴史」というより、「常設社殿発生までの前史」という性質のものなのだ。ちなみに福山は宗教史家ではなく建築史家だったから、こうした発想をしたのも無理からぬことである。

 
飯石神社

かつての神社には現在のような常設社殿の設けがなく、代わりに
磐座・神籬のような自然物を祀っていたというのは神社史の常識である
しかしそれが現在のように広く一般に受け容れられたのは、
飯石神社の事例によるところが大きかったのではないか


飯石神社々殿

この神社は出雲国飯石郡の式内社だが、拝殿だけで本殿がなく
代わりに二重の瑞垣で囲われた石を神体として祀っている
かつての神社は本殿の代わりに岩石などを祀っていたということを
これほど分かりやすく示した事例が他にあろうか

当社の神体は神道考古学の創始者である大場磐雄の『まつり』にも、
扉の写真で紹介されている(上のそれと同じようなアングルの写真)

『まつり』は一般向きの書物として多くの読者を獲得したと思われるので、
それだけ当社の神体が一般の目に触れる機会も増えたはずだ 

 もしも神社という宗教施設が社殿だけから成り立っているのなら、これはこれでも良いかもしれない。しかし実際の神社は社殿だけで成り立っている訳ではない。普通は社殿の前には参道が延びているのであり、また社殿の背後には多くの樹木が生えていて、所謂、鎮守の森を形成しているのである。これはいつの時代から始まったのかは分からないが、全国どこの神社でもだいたいそうで、参道があり、社殿があって、その背後は森になっているというのは神社の定型的なフォーマットとなっている。中近世に創建されたような比較的新しい神社でもそうであるし、住宅地にある神社でもそうである。住宅地の中にある箱庭のような小さな神社でも、しばしば参道のスペースが削られないで残っているのを見かけると感心してしまう。

住宅地の中にある小さな神社の例

この小さな神社の前には、社殿の敷地の
何倍もスペースをとっている参道がある

この参道は、すぐ横を並行して市道が通っているため、
アプローチとしてあまり意味がないが、
それでもやはり神社には参道が必要なのだろうか

 それにしてもこれはどうしてなのだろうか。理屈で考えるなら神がいる社殿さえあれ良いはずなのに、地形的な制約や、鎮座しているな場所が街中である等の理由がない場合、ほとんどの神社は社殿だけではなく参道と社殿背後の森をそなえている。とくに社殿背後の森は寺院にはほとんど見られないもので、明らかに神社とくゆうの事象である。また参道は神社だけでなく寺院にも見られるが、これも神社の場合、格式が高くなると参道を広げたり長く延ばしたり、石灯籠をたくさん並べたりして立派にする傾向がある。これに対し、寺院の場合は格式が高くなると建築物や庭園などは立派にするが、神社ほど参道にこだわることはないと思う。したがって神社の成立について考える場合、常設社殿の成立ではなく、「社殿・参道・背後の森」からなるこうしたフォーマットがどのようにして成立したかが問題にされなければならないのだが、福山の説ではその説明がつかないのだ。


春日大社参道に見られる石灯籠群

このように参道に多くの石灯籠を並べているのは
ほとんどの場合、神社であって寺院ではない。何故?

 そこで神社とは「場所」であるという見地から、こういったことに答えてみたい。

 

 

神社とは何か(6)」につづく