中学生の読書感想文作成のお手伝いで読んだ本。「少年は戦場へ旅立った」あすなろ書房 ゲイリー・ポールセン著
主人公チャーリーゴダードは実在の人物。しかしフィクションだろう。なにしろ1861年アメリカの南北戦争の頃の話だ。
彼は21歳で老人のような生活を送っていた。若者らしい楽しさを感じることも、友人と遊ぶこともなく、彼女をつくり結婚を夢見ることもなかった。それどころか戦争で敵から奪った銃リボルバーを頭に向けて自殺する衝動に駆られていた。悲しいことに、彼はこれまでの楽しかったことを必死で思い出そうとしていたのだ。
1861年チャーリーは15歳だった。18歳と年をいつわり入隊した。貧しい家庭では彼が働く必要があった。母親は止めたが彼はそう思っていた。150年前も今も何も変わっていない。
誰も戦争で自分が死ぬなんて思わない。
南北戦争はアメリカでリンカーン大統領の時代に行われた。奴隷解放のための戦争だ。
チャーリーの時代の戦争とは違う戦術だが、多くの死者が出ることは同じだ。
チャーリーの時代の戦争手段。
砲弾が飛び交う中で待機する。ライフル銃で近づいてきた相手を銃撃する。さらに相手が近づくと、銃剣を銃の先に装着し手の届く範囲の相手を刺し殺す。自分を守るために相手を刺すしかない。
『頭の中は真っ白だった。チャーリーは狂ったように、自分に近づいてくるものすべてを攻撃した。切り裂き、たたきのめし、突き刺し、切りきざんだ。ずっとさけびどおしだった。恐怖のさけびは、やがて怒りのさけびへ、そして、ついには狂暴な喜びのさけびへと変わっていった。おれは戦う喜び、勝つ喜び、殺す喜び、生きるために殺す喜びだった。』
壮絶な文体だ。
そのあと医療テントでチャーリーは風をさえぎるため死体でブロックを積み重ねるように兵士達の体で風をよけて眠った。もう何も感じなかったのだろう。
戦争は少年の心を奪った。いや人間らしい心が残っていると自分の命が危ないのだ。
心はそこにいらないものだ。理性は邪魔者だ。
最初の戦闘でチャーリーは死体の山の中で流血の海で地獄をみて涙を流し、尿をもらし、気分が悪くて吐いた。逃げ出すのなら今だ、そんなことさえ考えていた。しかし最後の戦いゲティスバーグでは、もう人の心は持っていなかった。「兵士の心」と変わっていた。
現代のアメリカでも国外では戦争を続けている。貧しい高校生へ、入隊のすすめがある。祖国を守るために兵役につく。兵役が終わると大学に進学することもできる。そう宣伝されているようだ。チャーリーのように若者が、貧しいものが戦場へかり出されるのは何も変わってはいない。
今アメリカはリクルートがうまくいかない。如何にアメリカ兵士の死者を少なくし戦争に勝つか、それが大きな課題のようだ。今やアメリカはビデオ戦争に軍需産業は発展した。ビデオ画面を見る。ボタンを押す。画面では誘導された地点での爆破を確認する。
全てがコンピュータ通り。
数千人が死亡しても御覧の通りアメリカ兵はひとりも死なないのだ。
そんなことはないのだろうが。3分考えたら分かることだ。
チャーリーは戦争から死なずに帰ってきた。『あまりにも多くのものを見、あまりにも多くのことを知ってしまったのだ。彼は疲れていた。そして、こわれていた。歩くときは杖を手ばなすことができず。人工血管をつけていた。彼には分かっていたのだ。もう長くはないと。』
少年は戦場へ旅立った。8年後チャーリーゴダード23歳で亡くなった。
そんな話だ。
著者の解説ではPTSDについて述べたかったようだ。
PTSDの歴史的考察も少し述べている。
戦争神経症と19世紀の末頃には呼ばれていた。
この本を高校で教師が読み聞かせていると不良少年が真面目に話を聞くようになると解説に書かれていた。
戦争は死者が出る。生き残るも地獄だ。
主人公チャーリーゴダードは実在の人物。しかしフィクションだろう。なにしろ1861年アメリカの南北戦争の頃の話だ。
彼は21歳で老人のような生活を送っていた。若者らしい楽しさを感じることも、友人と遊ぶこともなく、彼女をつくり結婚を夢見ることもなかった。それどころか戦争で敵から奪った銃リボルバーを頭に向けて自殺する衝動に駆られていた。悲しいことに、彼はこれまでの楽しかったことを必死で思い出そうとしていたのだ。
1861年チャーリーは15歳だった。18歳と年をいつわり入隊した。貧しい家庭では彼が働く必要があった。母親は止めたが彼はそう思っていた。150年前も今も何も変わっていない。
誰も戦争で自分が死ぬなんて思わない。
南北戦争はアメリカでリンカーン大統領の時代に行われた。奴隷解放のための戦争だ。
チャーリーの時代の戦争とは違う戦術だが、多くの死者が出ることは同じだ。
チャーリーの時代の戦争手段。
砲弾が飛び交う中で待機する。ライフル銃で近づいてきた相手を銃撃する。さらに相手が近づくと、銃剣を銃の先に装着し手の届く範囲の相手を刺し殺す。自分を守るために相手を刺すしかない。
『頭の中は真っ白だった。チャーリーは狂ったように、自分に近づいてくるものすべてを攻撃した。切り裂き、たたきのめし、突き刺し、切りきざんだ。ずっとさけびどおしだった。恐怖のさけびは、やがて怒りのさけびへ、そして、ついには狂暴な喜びのさけびへと変わっていった。おれは戦う喜び、勝つ喜び、殺す喜び、生きるために殺す喜びだった。』
壮絶な文体だ。
そのあと医療テントでチャーリーは風をさえぎるため死体でブロックを積み重ねるように兵士達の体で風をよけて眠った。もう何も感じなかったのだろう。
戦争は少年の心を奪った。いや人間らしい心が残っていると自分の命が危ないのだ。
心はそこにいらないものだ。理性は邪魔者だ。
最初の戦闘でチャーリーは死体の山の中で流血の海で地獄をみて涙を流し、尿をもらし、気分が悪くて吐いた。逃げ出すのなら今だ、そんなことさえ考えていた。しかし最後の戦いゲティスバーグでは、もう人の心は持っていなかった。「兵士の心」と変わっていた。
現代のアメリカでも国外では戦争を続けている。貧しい高校生へ、入隊のすすめがある。祖国を守るために兵役につく。兵役が終わると大学に進学することもできる。そう宣伝されているようだ。チャーリーのように若者が、貧しいものが戦場へかり出されるのは何も変わってはいない。
今アメリカはリクルートがうまくいかない。如何にアメリカ兵士の死者を少なくし戦争に勝つか、それが大きな課題のようだ。今やアメリカはビデオ戦争に軍需産業は発展した。ビデオ画面を見る。ボタンを押す。画面では誘導された地点での爆破を確認する。
全てがコンピュータ通り。
数千人が死亡しても御覧の通りアメリカ兵はひとりも死なないのだ。
そんなことはないのだろうが。3分考えたら分かることだ。
チャーリーは戦争から死なずに帰ってきた。『あまりにも多くのものを見、あまりにも多くのことを知ってしまったのだ。彼は疲れていた。そして、こわれていた。歩くときは杖を手ばなすことができず。人工血管をつけていた。彼には分かっていたのだ。もう長くはないと。』
少年は戦場へ旅立った。8年後チャーリーゴダード23歳で亡くなった。
そんな話だ。
著者の解説ではPTSDについて述べたかったようだ。
PTSDの歴史的考察も少し述べている。
戦争神経症と19世紀の末頃には呼ばれていた。
この本を高校で教師が読み聞かせていると不良少年が真面目に話を聞くようになると解説に書かれていた。
戦争は死者が出る。生き残るも地獄だ。
高校生用にあえてこのような描写にしたのでしょうね。
指定図書中学生用には難しいという指摘は,その通りですね。
個人的にはユング派には思い入れはなかったのですけど(図書館で原書を読んで,文法を無視した無茶苦茶なドイツ語に頭を抱えました),最近はネオコンの覚えが目出度すぎて多忙を極めすぎていたのではと思っていました。
アニメというか,映像化されれば,原作の1割以下の内容になるというのが常識ですから,期待する方が私はおかしいのではと考えています。ミヒャエル・エンデも晩年はカネ儲けに走り,駄作のハリウッドへ身売りしてましたし。