見出し画像

本と音楽とねこと

女たちのサバイバル作戦

上野千鶴子,2013,女たちのサバイバル作戦,文藝春秋.(7.1.24)

働く女性は幸せか? 答えはイエス&ノー。疲弊する総合職、煮詰まる一般職、増える派遣社員。「雇均法」「自己責任」の呪いを解く。
働く女性は、以前より生きやすくなったでしょうか?
上野千鶴子さんの答えは「イエス&ノー」です。
バリキャリは、男性中心の職場のなかで体を壊したり家庭生活が破綻したりしがち。一般職は、社内でお局サマ扱いを受けて煮詰まる。ハケン社員は安いお給料のまま将来の保証もない。自由を手に職場進出を果たしたはずなのに、なぜなのか。それぞれ追いつめられた状況にあるのに、しかしなかなか手を取り合えない女性たち。誰の意図のもと、どのような経緯で女性たちがこのように“分断”されたのか。
そのひとつのキーワードが「ネオリベ改革」です。一般的にネオリベ政権とは小泉政権を指しますが、本書ではその傾向がすでに86年の雇用機会均等法からはじまっていたとします。女性というだけで、いっしょくたに差別されていたその昔。しかし、同法が、少数のエリート総合職と、マスの一般職に女性を分断したのです。その後の四半世紀のあいだに、雇均法が適用されない非正規社員が増加します。
そこには、「女性を活用したいが、保護はしない」自民党ネオリベ政権の意向、グローバル時代に「日本ならではのやり方」で対応しようとした経済界の要請などがありました。その過程で、働く女性自身のなかにも「勝敗優劣」「自己責任」が内面化されてゆきます。
家事や育児を背負いながら働かざるをえず、脱落したら「自己責任」。もはや「お局サマ」にすらなれない厳しい時代を生き抜くための必読書です。

 1990-2000年代のネオリベ言説はひどかった。

 職場でも、なんとかの一つ覚えのごとく、声高に「自己決定・自己責任」をのたまう御仁たちがいた。
 それまで、上役の意向を忖度するしかできなかった自分が、自分のことは自分で決められるようになった、自己主張をすることが許されるようになった、自分の能力と資質をじゅうぶんに生かせるようになった──気分になっただけなのだが──、こうした一種の解放感があったのであろう。

 もっとも滑稽だったのは、オヤジにパンツを売ったり、カラダを売ったりする女子高生を、「自己決定・自己責任」の名の下で擁護する連中が現れたことだった。
 さらに悪乗りして、「より良い性の商品化」を提唱する女性学参入者(ミニオヤジ)連中さえ現れた。

 バブル経済の崩壊以降、企業は基幹正社員採用を抑制し、「一般職」正社員をパートタイマー、派遣労働者、契約社員等に置き換えていった。
 政府も、労働者派遣法の改正により、派遣業種の拡大をはかることで、企業の減量経営を後押しした。

 企業の人件費抑制は、若者の生活を直撃した。

 山田昌弘さんの『パラサイト・シングルの時代』(1999)に向けられた批判、反論の一つは、若者がいつまで経っても親のすねをかじり続けて独立しようとしないのは、親元にいる方が贅沢できる──存分に貨幣と時間の資源を使えるからではなく、若者が、就職難、労働条件の悪化により、親同居を続けざるを得ないほど経済的に追い込まれているからだ、というものであった。(不況時に若者の親同居が増えることは欧米諸国でも確認されている。)

 就職氷河期世代のなかでもとくに割を食ったのが、非正規職にしか就けなかった新卒女性だった。

 「大学の入学式に仲良く同席する娘と母親」、これは2000年代に現れた「友だち親子」の完成形であったが、そこには、「一卵性母娘」における毒親問題──母親が娘の人生に過剰にコミットし、職業キャリア、婚姻両面での「成功」を期待する──がはらまれていた。

 彼(女)らの自傷と自罰の背後には、親の期待があります。もし期待という名の重荷を背負っていなかったら、彼女たちは自分を責める必要もなかったでしょう。その年齢になるまでは、けなげに親の期待に応えてきた子どもたちです。女の人生の選択肢が拡がり、娘たちにもチャンスが与えられたからこその期待です。過去にはなかった重荷です。この期待は均等法がもたらしたと言ってもよいかもしれません。
 ですが、女の子への期待にはねじれがあります。マリー・デュリュ=ベラが指摘するように、女の子が労働市場と結婚市場の両方に属していることは、前章で述べました。男の子であれば労働市場における達成だけでじゅうぶんなのに、女の子はそうはいきません。職業の上で成功しても、結婚と出産という「女としての幸せ」を手に入れなければ、いつまでもハンパ者扱いされます。他方、「女としての幸せ」を優先して労働市場から退出すればしたで、「せっかく教育をつけてやったのに」と親から繰り言を聞かされます。つまり女の子としての「成功」――親から見れば娘の子育ての「成功」――とは、「男並み」の達成に加えて、「女並み」の幸福、この両方が達成されないかぎり、じゅうぶんとは言えないのです。
 わたしはこれを娘の「二重負担」と呼んでいます。今どきの娘たちに「ごくろうさまね」と感じるのは、わたしたちの世代であればそのどちらかであればじゅうぶんだったのが――そのふたつが「両立不可能」であることが社会的に合意されていたからです――もはやその言い訳が通用しなくなったからです。
(pp.166-167)

 その母からの二重の期待、「二重負担」の重圧にあえぐ娘たちが、それに苦しんで香山さんの診察室や信田さんのカウンセリングルームを訪れる――なかには「上野保健室」を訪れる者も――のはふしぎではありません。母の犠牲と献身を身を以て知っている彼女たちは、母に対する憎しみや怒りの感情を封印していますが、その背後に母の支配と所有欲とをかぎとって、母の檻から逃れようと必死でもがいています。この「母と娘」の葛藤は、娘が母の投資の対象になったからこその歴史的な産物でした。
 それなら、とわたしは思ったものです。娘が母の作品になったとしたら、作品には「成功作」と「失敗作」があるにちがいない。母は「成功作」のほうを決して手放そうとしないだろうが、「失敗作」になってしまえば、母からさっさと逃げられるのではないだろうか、と。その疑問を信田さんにぶつけてみました。信田さんから返ってきたのは、予想した以上にこわい答でした。
 「母は『失敗作』のほうにたいしては本当に貶めつづけますね。そうすることで娘を自分の奴隷のようにし、手放さないというかたちで支配していく」と。
 つまり「成功作」でも「失敗作」でも、母は娘を一生手放さない、と。
 そしてそのどちらもが心のトラブルを抱えて信田さんのカウンセリングルームを訪れます。
 となるとわたしが日常接している「ふつうの女の子たち」は、そのどちらでもない「ハンパな作品」なのでしょう。そのハンパさゆえに、彼女たちはカツマーとカヤマーのあいだを揺れ動くのでしょう。
(pp.168-169)

 上野さんは要田洋江さんの研究を敷衍し、障がいをもった子どもが生まれたときの父親の(障がい児出生の)受容過程においては、否認、逃避、嗜癖の三つの反応があるとする。

 第三の反応は、嗜癖です。男性の逃避の先には、それに溺れるための嗜癖のメニューがいろいろ用意してあります。しかもその嗜癖の対象には、社会的承認すら与えられています。酒、女、ギャンブル、クスリ――それらに「はまる」ことは男らしさの証明とすら思われてきました。これらの嗜癖が、つらい現実からの一時の逃避であること、そしてその閾値がどんどん上がる中毒性を持つことは知られています。
 こういう例がありました。狭いマンションに郷里から要介護の老母を呼び寄せたサラリーマンの夫が、一日中夫の親と顔をつきあわせていなければならない妻の愚痴を帰宅のたびに聞かされるようになりました。それがイヤさに、しだいに家に帰るのが遅くなっていきました。最初は仕事が口実でしたが、やがて帰宅を延ばすためにいりびたった一杯飲み屋のおかみとできてしまい、しだいに家に帰らなくなってきました。自宅にはとりのこされた夫の母と妻とが、いがみあって暮らしているという地獄絵――この事態を招いたのは夫本人ですが、その現実と責任を否認し、逃避し、女に嗜癖するという絵に描いたようなプロセスを、この男性はたどったことになります。夫の母とともに家にとりのこされた妻こそ、いい面の皮でしょう。
 つまり否認、逃避、嗜癖の三つが男の得意技なのですが、なんと「男らしい」ことでしょう。
 そんな話を某所でしたときのことでした。聴衆の女性からこんな発言がありました。「もうひとつ、つけ加えることがあります」と言った彼女の観察に感心しました。それは「切れる」というもの。
 たしかに。追い詰められた男性が逆ギレすることはよくあります。秋葉原事件の加藤もそのひとりです。追い詰められた女性の攻撃性は、自分自身に向かい、男性の攻撃性は他者に向かう傾向がある――これも男女の非対称性のひとつです。
 こう書いていると「男という問題」の救いのなさに陰々滅々としてきます。これほど深刻な問題が注目されないのは、オヤジ・メディアあげての「否認」の効果ではないだろうか、と疑いたくなるくらいです。
 いずれにせよ問題がそこにあることはわかっており、その徴候はもはや隠しようもないほどに顕在化しているのですから、男性自身が問題に直面してもらうほかないのですけれど、彼らはいつまで「見たくない、聞きたくない、考えたくない」という「男らしい」態度をつづけるのでしょうか。
(pp197-199)

 高階層、専門職従事の女性にみられる根深い夫依存、子ども依存について。

 キャリアウーマンの妻は夫に、職場で不利になるかもしれないような育児参加をのぞんでいません。だから保育園から熱を出した子どもを引き取りに来るようにという緊急の電話がかかると、「なぜいつもわたしばかりが」という思いを呑みこみながら、会社を早退します。夫にあなたが迎えに行きなさい、とは要求しません。たとえ要求しても夫が「オレは無理だ」と答えたら、引き下がります。なぜなら自分の職業より、夫の職業の方が優位にあり、自分の職業上の不利を引き受けるほうがその逆より合理的な選択だ、と思っているからです。高給の専門職同士、たとえば医師や弁護士のカップルでも、事情は同じです。
 エリート女の泣き所、がここにあります。麓さんも、海老原さんも、竹信さんも指摘しない、女の自縄自縛です。それはエリート女は自分の夫がエリートでないことを許せない、ということです。えーっ、わたしはそうじゃないわよ、という声がただちに聞こえそうです。はい、どんな傾向にも例外はあります。が、データが冷徹に示すのは、エリートはエリート同士で結婚すること、女性の場合はことにその傾向が強いこと、その逆は少ないことです。だから海老原さんのアドバイス、「自分も家事労働をしてくれる男を見つけなさい」、は効果がないのです。
 エリート女のもうひとつの泣き所は、夫だけでなく子どももエリートでないことが許せないことです。この傾向は子どもが学齢期に入ったあとにかえって強くなります。仕事と育児、どちらを優先するか、というディレンマは、育児のなかに教育が入ってくると、より深刻になります。このディレンマについては、本田由紀さんが『「家庭教育」の隘路』(勁草書房、二〇〇八年)というこわしい本でより詳細に論じていますから、読んでみてください。
(pp.308-309)

 夫も子どもも別の人格、別の人生を歩むほかはないと思い切ることができれば良いのだろうが、そこが、なかなかそうはいかない、ジェンダー平等のもっとも難しいところなのだろう。

 わたしが教育現場で見たのは、受験競争の「勝ち組」女子たちにネオリベ意識がとことん内面化されている現実でした。それは自分で自分を責めて傷つけるしかないところにまで、身体化されたといっていいほどの意識でした。自分の弱さを責めて孤立していく若い女性たちを見て、これでは他人とつながれない、われとわが身を壊し、心を病んでいくだけだ――と暗澹としたものです。
(p.237)

 こうしたネオリベに毒された心性から脱却するのもまた難しいことなのだろうが、男女ともに、いつからでも職業上のキャリアと人生とを仕切り直せる、やり直せる機会が保障されれば、そうした生きづらさも緩和されることだろう。

 そのための処方箋だってとっくに提示されています。まず採用時の新卒一括採用を廃止する、コース別人事管理制度も廃止、年功序列給与体系を改め能力給にし、公正な査定評価のもとに人事を流動化し、転退職が不利にならず、地位と俸給、年齢、性別が関与しない人事システムを作る、家族給を個人給に変え、世帯単位の企業の福利厚生を廃止する(その分は社会保障に代替する)、定年制を廃止する、ライフステージとニーズに対応した多様な働き方を許容する、それによって賃金差別をつけない──とまあ、なんと現状から遠いことでしょう。改革のためには企業の組織構造と人事制度を根本から変えなければならず、これまでの企業行動の慣性からして、道遠しと言わざるをえません。ただし第十章で述べたように、差別的企業が従来の雇用慣行を温存したまま現状維持でいるあいだに、革新的企業(その多くは外資系でしょうが)に国際競争で敗北していく可能性があることは覚えておきましょう。
(pp.317-318)

 いまだに新規学卒者一括採用人事に固執し、同一価値労働同一賃金の原則も実現しようとしない、旧態依然としたガラパゴス企業には怒りさえ覚える。

 自己責任原理、母の呪縛、二重役割(期待)、雇用・賃金差別、仕事と出産・育児等々、女性の生きづらさの根源にあるものは数多いが、まずはそれらの正体を見極めることからはじめざるを得ないだろう。
 本書はそのための格好の手引きとなるはずだ。

目次
ネオリベ/ナショナリズム/ジェンダー
雇用機会均等法とは何だったか?
労働のビッグバン
ネオリベと少子化
ネオリベとジェンダー
ネオリベが女にもたらした効果―カツマーとカヤマーのあいだ
オス負け犬はどこへ行ったのか?
ネオリベ・バックラッシュ・ナショナリズム
ネオリベから女はトクをしたか?
性差別は合理的か?
ネオリベの罠
女たちのサバイバルのために


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「本」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事