宮台真司,2015,宮台真司 ニュースの社会学 社会という荒野を生きる。,ベストセラーズ.(8.1.24)
なぜ安倍政権の暴走は止まらないのか!?世の中の本質を見抜く・考える処方箋。
切れの良い宮台節が随所に炸裂し、痛快だ。
めちゃめちゃおもしろい。
宮台さんから学んだことはいろいろあるけれども、ベネディクト・アンダーソンが明らかにした「国民化」の過程と、ロマンティック・ラブのイデオロギーの浸透=近代家族形成のそれとが同時進行したことを指摘したことも、言われてみれば確かにそうだな、と理路整然とした説明が腑に落ちたところだ。
こうした経緯を見ると、(1)女子の性的過剰の回避と(2)男子のリアル過剰の回避と(3)オタクの蘊蓄過剰の回避の、シンクロが偶然でないことが分かります。共通して「何事につけ過剰さがコミュニケーションを困難にする」との意識ゆえの〈過剰さというイタさの回避〉があります。
これだけ流動性が高く多元的になった社会では、「深くコミットする」「相手の中に入る」といった営みはリスキーです。逆に言えば、過剰さを回避しないと、人間関係を安定的に維持できなくなります。そうした社会状況への適応のために、浅く表層的に戯れようとするのでしょう。
ところが、近代の性的領域においては、「偶然を必然に変換すること」あるいは「内在に超越を見ること」で、タダの女(男)を運命の相手と見做します。この作法が、ドイツ流の民族ロマン主義に対するフランス流の性愛ロマン主義で、それが近代の家族形成原理になったんです。
近代社会では、性愛と国家の両領域で、ロマン主義を必要としてきました。普通の女(男)を運命の相手と見做すことで家族形成が可能になり、ただの集団を崇高なる故郷と見做すことで国民国家形成が可能になるからです。両者は並行して19世紀に育て上げられました。
「ただの女(男)を運命の相手と見做すことは如何に可能か」。18世紀末以来のフランス恋愛文学における基本的問題設定です。回答として見出されてきたのは、相手の心に映るものを自分の心に映すこと、そしてそれを前提に時間をかけて苦難に満ちた関係の履歴を積み上げること。
そう。表層的な戯れの延長上に、必然的な関係なんかできるはずもないんです。「諦めて世間に従っている」のではダメです。互いに相手の心に深くダイブする者たちだけが、性愛を通じて絆を作り、それをベースに家族を形成し、ホームベースを作ってきました。
(pp.285-286)
宮台さんの時局論はとてもおもしろいので、今後も期待したい。
目次
第1章 なぜ安倍政権の暴走は止まらないのか―対米ケツ舐め路線と愚昧な歴史観
天皇皇后陛下がパラオ訪問に際し、安倍総理に伝えたかったこと
安倍総理が語る「国際協調主義に基づく積極的平和主義」の意味とは ほか
第2章 脆弱になっていく国家・日本の構造とは―感情が劣化したクソ保守とクソ左翼の大罪
なぜ三島由紀夫は愛国教育を徹底的に否定したのか
「沖縄本土復帰」の本当の常識と「沖縄基地問題」の本質とは ほか
第3章 空洞化する社会で人はどこへ行くのか―中間集団の消失と承認欲求のゆくえ
ISIL非合法テロ組織に、なぜ世界中から人が集まるのか
ドローン少年の逮捕とネット配信に夢中になる人たちの欲望とは ほか
第4章 「明日は我が身」の時代を生き残るために―性愛、仕事、教育で何を守り、何を捨てるのか
なぜ日本では夫婦のセックスレスが増加し続けているのか
労働者を使い尽くすブラック企業はなぜなくならないのか ほか