ぐるぐる自転車どこまでも

茨城県を自転車で散歩しながら,水戸藩の歴史について考え,たまにロングライドの大会に出場,旅する中年男の覚書

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天狗党を追う~和田峠上り

2012-12-14 06:15:17 | 自転車
今日は望月宿、芦田、笠取峠、長久保、和田宿、東餅屋、和田峠、樋橋村、下諏訪本陣、歴史民俗資料館、下社秋宮を回った。

約80キロだが、上りがこたえた。笠取峠はそうでもなかったが、和田峠はきつい。
それゆえ、峠の下を通り抜ける有料のトンネルが掘られて、ほとんどの車はそちらを利用している。
トンネルは面白くないし、怖いので走りたくないので、和田峠の上りはもちろん旧道を通った。
笠取峠はそれほど標高がないのでほぼ真っ直ぐな坂道だったが和田峠は日光いろは坂のようにくねくねしながら高度をあげていくタイプの峠道だ。
くねくね峠道は、カーブを曲がるのが面白い。カーブを曲がると何があるのか楽しみなのだ。しかし、きつい上りで何度も繰り返しカーブを曲がりながら上るとその面白さを苦痛が上回り始める。斜度は10%や12%の標識が出ていた。
一時間も上っていると、頂上はまだか、あとどのくらいだろう、あのカーブで上りは終わりかなと自問するようになる。
何度カーブを曲がってもどこが頂上なの見えない。いよいよ頂上だと思い込んでそうでなかったときは、がっかりして何だか裏切られたような気持ちになったりもする。

頂上付近の林は、すべて葉が落ちている。道路には雪が微かに残っていた。
一昨日に雪が降って除雪車が出たと東餅屋の茶店の主が語ってくれた。店は11月には閉めるが、今年は中山道を歩くツアーが来るので頼まれて11月末まで店を開けているという。私はこの時期には相当珍しい客らしく、しばらく話しこんでしまった。

この峠の店を過ぎると、直ぐに和田峠のトンネルに出る。
峠の頂上なのになぜかトンネルだ。
ここのトンネルは信号で片側通行になる。

下諏訪側に抜けると、さらに寒々しい山肌が目についた。1500mもあるのことに納得した。

この旧道の下りは、路面がヒビ割れて、路肩も落ちている所があり、注意しなければならない。もちろんセンターラインはない。
正直、荒れたひどい道路だと思う。ロードバイクなら溝にタイヤをとられかねないだろう。
こんな道路なのにトラックが結構な数通っていた。
途中の水汲み場で聞いた話だと、新道の有料料金を会社が負担しないので止むを得ず通行するらしい。
車にとっても危険な道路に変わりはない。案の定、途中、道から落ちかけたトラックが乗り捨てられていた。

こんな道だから途中にコンビニがあろうはずがない。食べ物をしっかりと準備しないととんでもないことになる。
今朝、望月宿のコンビニで昼飯用にアンパンを買い、和田峠の水飲み場で食べた。昨日も、同じだった。峠越えの昼飯はそんなものだろう。


芦田宿。通りに本陣などの古い建物が残っていた。


芦田宿。


笠取峠。街道沿いに松が植えられている。江戸時代からの立派な松にしばし見とれた。植えられたのが1602年だというから,天狗勢もこの松並木の下を行軍していったはずで,その当時も相当に立派な松並木であったろう。


笠取峠。松並木についての解説。絵を見ると江戸時代の峠の様子がわかる。現在の道路と異なりかなり急な坂道であったろう。


現在の笠取峠。道路工事が行われたことの記念碑。


笠取峠を越えると下りは6%の傾斜。


坂を下ると,長久保宿。現在の道路から旧道に入ると,本陣だった建物などが残されていた。本陣の解説。


長久保宿の本陣。高札が掲げられている。当時は,このような形で住民に情報を告知した。
地面の傾斜を見ていただくとわかるが,本陣前の道路はけっこうな坂道でその両側に家が並んでいた。


長久保宿。うだつを初めて見た。家の前でウロウロしていたら,たまたま中からお使いのために外に出てきたご婦人に「中をご覧になりますか」と声をかけられた。
個人宅のために一般に公開していないのだが,「自転車でおいでになったので特別にご覧いただこうかと思いました」と。お言葉に甘えて内部を見学させていただいた。
昔のままに建物を保存するのはとても大変なことであったにちがいない。感謝の言葉を述べて別れを告げようとしたら「これから和田峠へ行くのでしたら,熊が出ますので気をつけてくださいね」と注意された。笹の藪の中に熊がいるところを見かけた人がいるとのことだった。


和田宿の本陣


和田宿の通り。白壁の倉や昔そのままの宿があり,現在も営業していることがうかがえた。


和田宿のよろずやさん。うだつも建物も立派。


和田宿を過ぎて勾配が徐々にきつくなると,いよいよ和田峠越えが始まる。現在は,峠の下にトンネルが掘られており新道はそちらを通っている。
こちらは旧道を行くことにした。途中,江戸時代の中山道もあったのだが,自転車での走破は難しそうであったので,旧道を走ることにした。
この旧道もそれほど路面の状態がいいとは思えないが,峠越えまでの間に何台かのトラックとすれ違った。
新道の有料トンネルの料金を節約するためにわざわざ峠を越えてくるらしい。
いくらほとんど交通が無い峠道であっても対向車に十分注意をしないといけない。


和田峠への道は,勾配がきつく,くねくねとうねりながら上るもので,しかも路面がひび割れている。


見上げると道路はS字に折り返していることがわかる。


途中で,休憩して上ってきた道路を探してみた。下に走るのは新道である。遠くの山を見ると,浅間山らしきものが見える。


ある程度上ると,尾根沿いに道路が走っている。尾根のあたりの木々は葉をすべて落としていた。
見上げると木々の隙間から青空が見えてスッキリとした気持ちになった。


途中の休憩所。
和田峠が大変なので,旅人に水を飲んで休んでもらおうと作られた建物。


美味しい水が飲めるので,遠くからも水をくみに来る人がいた。コーヒーや水割りに使うと美味しいと言っていた。
ボトルに水を汲んだ。たしかにまろやかな美味しい水だった。
お昼頃になったので,近くの岩の上に望月宿のコンビニで買っておいたパンを食べた。
自転車で和田峠を越える人間が珍しかったのか,この写真のおじさんから声をかけられて,内山峠や和田峠の話をした。
このおじさんは,新道ができる前からこれらの峠を越えていたらしく,その頃の大変だった思い出話をしてくれた。
話し終えて,私が先に出発するとしばらく後からおじさんのトラックが後ろから追い越していき,その瞬間に軽やかにクラクションを鳴らしてくれた。
つい,嬉しくなって大きく手を振ってサヨナラをした。
名前も知らないおじさんでほんの少しの時間を一緒に過ごしただけだったが,なんだか嬉しかった。


熊に注意せよとの立て看板。あまり目立たない。
ちなみに,こんなこともあろうかと自転車にはちいさな鈴をつけてきた。
小さな鈴は軽やかで涼しげにチリンチリンとなるが,どこまで遠くに聞こえるのか不安だった。
それで,ときおり,ベルをチーン,チーンと鳴らしながら走った。


12%の坂。ずっと坂を上っていると平衡感覚がおかしくなっていく。
上り続けて,ここはほぼフラットだと思うのにギアが軽くならない。
劇坂からほんの少しゆるくなっただけで,それが平地に見えてしまう錯覚が起こるのだ。
道路の横の斜面を見て,はじめて相当な傾斜があることに気づいたりする。


和田峠の手前800mくらいにある東餅屋の茶屋。峠の東側で餅を売っているところという意味。
江戸時代には,峠の西にも村があり,西餅屋という名前だった。


開いていたようなので中に入ったら,店主のおじいさんがにこやかに迎えてくれた。
手前のストーブが暖かかった。
お勧めの力餅とお茶をいただき,この付近の話をうかがった。遠い昔には,このあたりに5,6軒くらいの集落があったらしい。


名物力餅。
この峠付近では黒曜石やガーネットが採取されるらしく,それらの原石もお土産で売っていた。


昔,集落があった付近を撮影。いまは藪になっている。


和田峠の本当の頂上は別にあるが,ここは旧道でもっとも高い場所。トンネルは1車線のみで信号で切り換えて通行する方式。
この道路の上を交差するようにビーナスラインが走っているらしい。


トンネルを通過してから振り向いてみた。


向こうの山に見えるのがビーナスラインの道路らしい。


急な下りなので要注意。路面は悪い。ひびが入っているし,路肩が崩れているところがあり,路肩注意の看板がでていた。
荒れた路面は怖い。ゆっくりと下りるのにかぎる。ブレーキレバーをぎゅっと握りながらそろそろと下りていった。



和田峠で天狗勢を迎え討とうとしたのは松本藩と高島藩である。松本藩兵士約400名はまず和田宿に到着し、長久保宿へ進む。ところが長久保宿の者に宿が戦場になるので別の場所へ移るよう懇願され、軍議を行い、急峻な山間部で天狗勢と戦うことに決定。和田宿へ後退、和田峠の東餅屋村へ向かった。松本藩士は、ここに陣地を築く。
他方、高島藩は約400名を和田峠の手前(和田宿とは反対の下諏訪側)の樋橋村に送り、そこに陣地を築いた。和田峠を下ってくる道は細いので天狗勢を狙い撃ちにしようと考えたのだ。
高島藩は松本藩に樋橋村で一緒に戦うことを提案したが一度断られたが、熱心に説得して、最終的に樋橋村で戦うことになった。
彼らは東餅屋村を去るとき、この村が天狗勢に利用されないよう家屋を焼き払って撤退している。このとき、峠の向こう側の西餅屋村も焼かれてしまった。それが11月19日夜のことで、天狗勢は20日昼頃には東餅屋村で休息をとり、松本藩高島藩の連合軍が待ち構える樋橋村へ和田峠を下って行った。

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