神に帰る生き方

せっかく生まれてきたのだから、心平安に生きていきたい!と思う。

より良き人生のために

2020-05-16 20:07:16 | イスラム教
この記事は2020年3月に私がメルマガに書いたものです。
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文句は言わない、ということを
前回は書いてみました。


こんにちは ファーティマ松本です。

この世で起きる良いことに対しは”感謝”を。
そして悪いことに対しては”忍耐”を。
と以前書きました。
その上前回は、
「少ない、足りない」と神様に対し文句を言うな、、とも書きました。

まあ、
よく読者の皆様から批判のメールが届かなかったものだと思います。
上記のことって、結構突っ込みどころが満載な感じがするんですけど、、。
皆さん気持ち良くスルーしてくださったようで、、、よかったです。


さて、さて、今週は、
少しばかり誤解を招きそうな上記のことについて
説明を加えてみたいと思います。

良いことが起きた時に”感謝”
これはいいですね。
非常に受け入れやすいものであると思います。
続く、 
悪いことには”忍耐”
これ、、
ちょっと説明が必要です。

何から何まで、忍耐!というわけではありません。
例えば、暴力夫(又は妻)に対し、ただひたすら忍耐しろって
言っちゃダメですよね。
それはもう犯罪レベルですよ。
暴力を受けていたら、それをやめさせるようにしないといけません。
何かしないと、、、。

困難に対する忍耐というのは、あくまでも
”もうどうしようもないこと、変えられないこと”に対してです。
身長とか、肌の色とか、家柄とか、、、、変えられませんよね。
破産しちゃったとか、怪我しちゃったとか、、
他にもいっぱいいっぱいあります、もうどうしようもないことって。
そういったことに対しては、やはり忍耐。
でも変えられることに対しては、
”より良き人生を送るために”
改善していかなくてはいけません。

そして、
”文句を言うな”という点についてですが、
これも、ちょっと説明不足でした。
今、自分が持っているものに対し、
「有り難い!」と思って神様に感謝をすることは大切です。
しかし、
「もっと上を目指したいんだ」と思うことは推奨されるべきで
全然悪いことではありませんよ。
”より良き人生を送るために”
もっともっと何かを欲することは、、良いことです。

神様もクルアーンの中でこうおっしゃっています。

『本当にアッラーは人が自らを変えない限り、決して人々の(運命)を変えられない。』
(13:11)

まずは、自分が望む人生を歩めるように、もっともっと求めていきましょう!
”より良き人生を送るために”

預言者さん(平安あれ)もよく神様にこうお願いをしていたそうです。
『主よ、現世において良いものをお与えください。
 そして来世においても良いものをお与えください。
 火獄の懲罰からお守りください。』

この現世で良いものを求めましょう!
そして、
来世では天国へ入れるようにしましょう!
そして、
決して地獄なんぞへは入りたくないぞ!
と決めましょう。

今、世界中が大変な危機に見舞われています。
それでも、読者の皆様
”より良き人生を歩めるように”
神様にお願いをし、行動を起こしていきましょう!

今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!
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人生の目的は?

せっかく生まれてきたのです。
神様に守られた平和な現世を歩きたくはありませんか。
そして来世では、天国に入って
”永遠に” ”幸せ” に暮らしたくはありませんか。
方法はとてもシンプルです。
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文句を言わない

2020-05-15 03:31:11 | イスラム教
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量よりも質の高いものをいただいた方がいいのではないか。
質が高いとは、神様からの祝福がそこに入っているかどうか。
お金の質を高めるには、お金の入って来るところと出るところに
気をつけるべき、と前回は書いてみました。

こんにちは ファーティマ松本です。

私たちが、
神様からたくさんのものをいただいているのは、
紛れもない事実です。
でも、それに対し「足りないなあ」と
思ったりした事はありませんか、、、
、、、、、?

私は恥ずかしながら、結構あります。
「もうちょっとお金があったら、子供達にあれ買ったり、
 どこそこへ連れて行ってあげられるのに、、、。」
とか、
または「もっと寄付したりできるのに、、、」とかですね。
しかし、、
この「足りないなあ」という感じ方がまずかったということに
つい最近気がつきました。

「足りないなあ」と思うことはすなわち
文句を言っているのと同じであります。

文句を言っている、、、誰に?
もちろん
すべてのものを与えてくださっている神様にですよ。

ほんと、いいわけがないですよね。
感謝してこそ当然なのに、なーにが文句ですか!と
大反省しております。

神様は、感謝するものにはもっともっとあげると約束されています。

『もしあなた方が感謝をするなら、われは必ずあなた方に対する恩恵を増すであろう』
(クルアーン 14:7)

すなわち、、
感謝しないで、文句ばかり言っていると、、、、

上記のクルアーンのお言葉のすぐ後に、このようなお言葉が続いています。

『だがもし恩恵を忘れるならば、我が懲罰は本当に厳しいものである。』
(14:7)

やばいですねえ。
いくら普段感謝をするように心がけていても、常時不平不満を口にしていては、
与え手的に見て、あんまり嬉しくないかもしれません。

例えてみれば、こーんな感じでしょうか。
年金暮らしのおばあちゃんが、高校生の孫にお小遣いをたまにあげていたとしましょう。
いつもお金ない、お金ないというので、まあ仕方なく。
(年金暮らしですからね、厳しいですし)
でも、孫可愛さで今月も少しばかりお小遣いをあげると
「なんだよ、こんだけかよ、こんなんじゃ足りないんだよ!」
と孫がふてくされたとしましょう。
おばあちゃんは喜んでくれる、感謝してくれると思ってやっていたのに、
反対にブツブツと文句を言われてしまったわけです。
今度また、お金が入ったらもっとお小遣いをあげようと思っていたのに、、、、。
(私がこのおばあちゃんだったら、この孫もう終わりですね。(^◇^))

まあしかし、神様は
年金暮らしのおばあちゃんと違って、無限の富を持っていらっしゃいます。
そして、おばあちゃんが孫を可愛いと思う以上に私たちのことを慈しんでくれています。
そして、もちろん寛大(アルカリーム)であられます。
私たちが(多々)文句を言おうが それでも与えてくれているわけです。


足りない、足りない、と文句を言ってしまいたくなる気持ちはよーくわかります。
(私自身が長い間そうでしたから。)
でも神様は、本当に必要な時に必要なものを与えてくださると
私は信じます。
もし、今、何かが足りなかったとしても
”いつか”本当に必要になった時に、お与えになってくれるのではないかと思うんです。


クルアーンの中にも、そんなお話があります。
ちょっと長くなってしまうので、簡潔に書いてしまいますが、
こーんな感じのお話です。(実話ですよ!)

ムーサという御名前の預言者さん(平安あれ)がとある賢者と旅をしていたところ
壁が壊れているのを発見。
賢者はその壁を直しました。
そして、こう言いました。
「この壁の下に財貨が埋まっている。
 それを埋めたのは、この家の亡くなった主人だ。
 子供達が大きくなるまでその財貨が誰にも見つからないように
 するために壁を直した。」

「今」ではなく、
”子供たちが将来大きくなってもっとお金が必要になった時に使えるように”
という(神様からの)お計らいです。

「いゃ〜、今欲しいよ。子供が小さい時だってお金必要だよっ。」
て思うかもしれません。
しかし、、、
これが面白いところなのですが、
ない方がいいってこともあるんですよねー。
お金がないからこそ、子供がいい子になることってありますよね。
質素な生活になれたり、働くことを覚えたり、貧しい人の気持ちがわかるようになったり
色々と利点があると思います。

私自身は、うちの子供達が小さかった時に
あまりお金に恵まれてなくって(今は)良かったと思っています。
おかげでみんな(そこそこ)いい子に育ってくれました。
あっ、お金があるから悪い子になるってことはないですよ!!
(お金持ちでとーってもいい子をたくさん知っていますから。)



上記のお話の亡くなったご主人ですが、、、、
彼は神様を信じる人、正しい人であったそうです。
神様に愛でられている人に、神様からの特別な配慮ががあるのは当たり前。
ですから、
神様に愛でられる人間になるよう、善いことを進んでするのはもちろん。
文句を言わない!というのを気をつけたいと思います。
もし、何か欲しい物があれば、
お祈りをしましょう。
神様に直接談判(ドゥアー)をしましょう。
このメルマガでは、どうやって私たちの願いを聞いていただくか、
どうすれば、もっともっと聞き入れてもらいやすくなるのかについて
来週も続けていきたいと思います。


ひろはまかずとしさんのお言葉にこんなのがあります。
とても素敵ですので、シェアーさせてもらいます。
 
求めたから与えられたのです。
探したから見つかったのです。
ドアを叩いたから開かれたのです。
そして何より、祈ったから叶ったのです。

そうですね。
願い、祈り続けましょう!
きっと神様のドアも ”あなたの為に”
大きく開く時があるはずです。


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量と質

2020-05-12 17:13:03 | 中近東
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アルカリームな神様は、望む者に権力や財産を与える。
しかし、神様から与えられる物の中で、最も良いものは
「神様と心が繋がる物」である、
と前回は書いてみました。


こんにちは ファーティマ松本です。

みなさんは量と質、どちらが大切だと思いますか。
私は経験面では、やはり量!だと思います。
いろいろな経験をして、たくさん失敗をしてその結果少しづつ成長できるのではないかなと思うんです。
しかし、
目に見える物では、、、、
質の方を重要視したいですね。

食べ物でも、質よりも量というのは、やはり若い頃の話で、
この年になったら、絶対に量よりも質です!
他にも洋服やバッグなんかもそうですよね。
友人や子供といった人間関係においても、もちろん言えてると思いませんか。
量よりも、質。
(あっ、うちは子供の数多いですけど、、、質もいいです、ハイ、、汗)

で、神様からいただける物についても考えてみました。
たっくさんお金があっても碌なことに使っていない人っていますよね。
人をコントロールするために賄賂を送ってみたり、
あと、、
ベリーダンサーにお金をばらまいている人を動画で見たことあるけど
あれも、、、碌な使いかたではないですよね。(ヤバすぎ)

お金がいっぱいあって、買いたい物は何でも買えるし、
行きたい所には、どこにでも行けるのに幸せそうでない人って結構います。
そういう人のところにあるお金って、量があっても質が悪いのかもしれません。

反対にお金がそんなになくても、そこそこの生活を送れていて、家族がみんな幸せに暮らせていたら
そのお金は質がいいのかもしれませんよね。

質の差はどこにあるのかと言うと
「それが神様によって祝福されているかどうか」
ではないかなあ、と思います。

例えば、ものすごい高級車でも、乗っていると腰が痛くなったり
しょっちゅうぶつけて修理にお金がかかったりする車もあれば、
反対に、たとえ軽自動車でも快適で無事故、長く使える車もあります。


もちろん、お金をたくさん持っている人には祝福がないとか、
そういうのではありません。
お金持ちが悪くて、貧乏人が良いというのでもないですよ、絶対に!!
とっても人間的に素晴らしいお金持ちの人はたくさんいますし、
預言者さんもこんなことをおっしゃっていました。

「正しい者のところにあるお金は素晴らしい」


お金に関して大事なことは、
どうやってそのお金を手に入れたか、
そして、何に使ったかの2点でしょう。

入って来るお金がキレイであれば、大抵は祝福されたお金ではないかと思います。
それから、
出て行くお金にも、神様からの祝福が得られようにしたいですね。

先々週、人のためにどんどん使いましょう、と書きましたが、
覚えていらっしゃいますか?
寛大な神様に好かれるためにも
”世のため、人のために使いましょう”と書きました。

ナポレオンヒルをご存知のかたは多いと思います。
彼の著書「悪魔を出し抜け」に興味深いことが書いてありました。
この本は、著者であるナポレオンヒルが悪魔と会話をしたものなのですが、
所々に、悪魔からのアドバイスが入っていて面白いですよ。
その中の一つにこんなことが書いてありましt。

「目覚めよ、そして与えよ。」
「得る前にまず、与えよ。」とありました。

でも、、、、、
人に与えたくても、与えるお金がないと思う方もいらっしゃるかもしれません。
イスラム教は優しい教えですから、ない人はあげなくていいし、
反対にもらう権利があるんです。
その上
「与えたい」と思った時点で、もう半分以上「あげた」ことになっています。
意思というのが大事なわけですねえ。
(私なんかこの方法で、もうたくさん寄付してきましたよ。汗)

ただ面白いのが、
タイで”托鉢”ってありますよね。
お坊さんにお布施をあげる、アレです。
以前、ちらっと何かで読んだのですが、
この托鉢、まずは貧しい人達の所へ行ってお布施をもらうそうなんです。
それは、貧しい人というのは、人のために与えるという機会があまりないので
彼らにその機会を与えるため、らしいですよ。

これは私の記憶が曖昧なので、もし詳しい方がいらっしゃいましたらご指摘いただけると
ありがたいです。


与えるのは、もちろんお金だけではありません。
良い言葉、や笑顔などは、もしかしたらお金以上に
誰かの助けになるかもしれません。

カウンセラーの仕事をしていらっしゃる方ならわかるはず。
悩みがある人に、お金を渡してもどうにもなりません。
でも、良いアドバイスや優しい言葉などはその人に与えられる一番大切なもの。
与えるのは、物だけではないですよね。

寛大なる神様(アルカリーム)については来週も続きます。
(思っていた以上に長いなあ)

今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
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アルカリーム 個人的見解について再考

2020-05-11 02:43:44 | イスラム教
この記事は2020年1月に私がメルマガに書いたものです。
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前回はアルカリームな神様について
私の個人的見解と懺悔を書いてみました。


こんにちは ファーティマ松本です。

先週のメルマガが配信された後に、読者の方々からメッセージをいただきました。
ありがとうございました。

皆様、
神様がアルカリームで、ものすごい気前がいいのなら
「どうして、世界には貧困があるんだ、辛い状況で生きている人がこんなに多いんだ。」
または
「私はお金に恵まれていない。」など
いろいろな意見をくださいました。

確かに世の中には、私たちの想像を絶するような過酷な環境で生きている人がたくさんいます。
(彼らにアッラーからのお助けがあることを願いたいと思います。)

ただ、
アルカリームな神様がお与えになってくれるものは、決して目に見えるものだけではありません。
目に見えないもの、本人も全く気づいていないもの、思ってもみなかったものなど
いっぱいあるはずなんです。
その証拠に、神様もこうおっしゃっています。

『たとえアッラーの恩恵を数えても、あなた方は到底数え尽くすことはできない』
(クルアーン16:18)

先週は、ついついお金を例にとると分かりやすいだなんて書いてしまったので上記のような意見が多くあったのかもしれません。
(失礼しました。)



では今週もまた、アルカリームでいらっしゃる神様についてまたまた考えてみたいと思います。
ちょっと重複してしまっている箇所もありますが、
いつものように忍耐強くお付き合いいただけたら、と思います。


私が思うに、、、


アルカリームであられる神様は、気前よくガンガン誰にでも与えられます。
これは事実なんです。
このことを信じるのはとても大事。(と言うか信じないとダメです、はい。)

では、「何をお与えになっているのか」をもう一度考えてみましょう。

神様がお与えになるものの中には、
私たちの価値基準から見て ”良いもの” と
同じく私たちの価値基準から見て ”悪いもの” があります。
良いものは、恵まれた人生ですね。お金があって、仕事があって、家庭があって、愛する人がいて、、、
悪いものは、病気や貧困、孤独、戦争、災害 等々でしょうか。

人によっては、良いものの比率が多い人もいますし、
悪いものの方のが多いという人もいるでしょう。

でもこれらのもの全てが
”神様が私たちにお与えになっているもの”、、なんです。
では、
どうして神様がこれらをお与えになっているのか?
を考えると、、、、、、
、、、、、、

これらは全て
「来世で天国に入るために必要な道具」
だからだと思うんです。

道具とは?
どういうことでしょうか。


例えば、
大工さんに「さあ、家を建てて」と言ってみたところで
板もなければ、トンカチも釘もないとあっては何も作れませんよね。
家を建てるには、土地も必要だし、木や石、釘にノコギリ、いろいろな道具が必要になってきます。


この世において、家を建てるには道具が必要であるのと同様、
天国の家を建てるのにも、実は道具が必要なのです。
その道具というのは、釘やトンカチ、板や石などではもちろんありません。
来世の家を作るのに必要な道具、(その釘やらトンカチに当たるもの、、)それが、

人生における良いことや悪い事 全てのものなんです。

お金もそう、健康もそう、頭脳もそう、貧困もそう、病気もそう、死もそう。
これらのものをフル活用して、来世の家を建てるようにしないといけないわけです。

良いことをもらったら、感謝をし、
悪いことがあったら、忍耐をする。
これが与えられている道具をちゃんと活用している!っていうことになります。

反対に
良いことがあっても、感謝をしなければ、家は建てられませんし、
悪いことがあっても、忍耐をしなければ、家は建てられません。

ですから、神様は
信者であろうと不信者であろうと、良い人であろうと悪人であろうと関係なく、
大きな富をあげたり、
(あの悪の巨匠のようなロスチャイルド家の財産なんて、すご過ぎでではないですか!!)
権力を与えたり、病気を与えたり、死別を経験させたりするわけです。

まあ、しかし、、
とは言っても、、、
あれですよねー。
どっちかと言うと、嫌なものよりも良いものを欲しくはありませんか。
不運より、幸運がいいですし、
貧困より、お金が有り余って使い切れないくらいの方がいいですよね?
病気より、元気な方がいいし、
みんなからダメなやつって言われるよりかは、すごいねえと言われたくはないですか?


預言者さん(平安あれ)はとても興味深いことをおっしゃいました。

「アッラーが誰かを愛するとき、その者から何かを取り上げられる。」

らしいのですが、、、
「アー、もう神様どうしてそんなことをしちゃうのおお!」って思いません?
(エッ!思わない?私だけ?)

でもそれは、
それ(取り上がられたもの)がその人にとって良くないものであるかららしいです。
例えば、
財産とか、愛する人とか、地位とか、家とか、いろいろ大切なものありますが、、。
それらがあるせいで、心が神様から離れてしまう、ということがあるみたいです。
心が離れてしまったら、神様がせっかく用意してくれている天国に入れなくなってしまいます。
だから、そうならないようにする為に、取り上げてしまうわけですねえ。

天国に入る人の大半は貧しい人だそうです。
お金がいっぱいあるというのは、
それだけこの現世に惑わされやすくなる、ということなのでしょう。

『信仰するものよ、あなた方の富や子女にかまけて、アッラーを念ずることを疎かにしてはならない。
 そうする者(アッラーを想わない者)は自らを損なう者である。』
(クルアーン63:9)

地位や権力、お金などというものは、神様視点からは
「どーでもいいもの」です。
お金なんて、紙切れですし、
金や銀、ダイヤなどの宝石だって、すべて地上から出るもの。
もともと全部神様のものなんですから。
そんなものたくさん集めたって、「だから何?」って感じでしょう。
「それ全部、私のだぞ。」と思われるはず。

その証拠に、最後の審判の日には
どれだけ有名になったかとか、銀行の口座の残高とか
そんなことは一切聞かれることはありません。

ついでに、
「私の全財産をあげるから、地獄に入れないで。」と
ロスチャイルド家の誰かが言ったとしても、そんなことは全く受け入れられないのです。
そんな財産なんて、な〜んの価値もないのです。

そう!
「地位や権力、財産等は神様的に見て、どーでもいいこと」なわけです。
そーんなどーでもいいものは、不信者や悪人にも与えられるわけです。

多分
地位や権力、そして財産というのは、
望む者にお与えになるような気がします。
(神様はアルカリームですからね)

しかし、
神様に愛される人達に与えられるもの、それは、
神様と心が繋がるようになるもの。
それが
神様が与えてくださるものの中で一番大事なもの、、、
前回にも書きましたが、それが”タクワ”というものです。


アルカリームについては、また来週に続きます。


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アルカリームについて、 個人的見解

2020-05-10 02:27:04 | イスラム教
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アルカリームは、神様の御名前の一つで、
「ものすごく気前がいい!」という意味である、
と前回は書いてみました。


こんにちは ファーティマ松本です。

アルカリームという御名前について、私なりにチョコっと考えてみました。
ここからは全く私個人の見解でありますので、
もしかしたら大いに間違っているかもしれませんが、
少しお付き合いいただけたらと思います。

私は、口にこそ出さずとも、心の中で
「時間がない」とか
「お金がない」とか
「才能がない」とか
といったことをしょっ中言っていたような気がします。
ついでにもっと言ってしまえば、、、
「美貌がない、洋服がない、靴がない」などなど
まあ、キリがないのであります。(^◇^)

しかし、、、
先週ご紹介しました”アルカリーム”という神様の御名前をよくよく考えてみると
私の今までの心の有り様というのが、
いかに”アッカーン”ものであったかを痛感しました。


神様はアルカリームです。
その意味するところは、
ドンドン与える、惜しみなく与える、与え続ける、必要以上に与える、常に与える、などなど
でしたね。
神様は今の今まで私に対し、ずーーーっと必要以上のものを与えてくださっていたわけです。
”必要以上”のものをです。

そーんなアルカリームであられる神様が、たっくさんのものをこれでもかこれでもかと言わんばかりに
与え続けてくれていたのに、私ときたら、、、
お金がない? 時間がない?
ついでに、美貌がない?

なーにふざけてるんだ!

と、思ったわけです。
ないわけないでしょ!と。

本当にお金ないか?
いやいや、そこそこあるなあ。
本当に時間がない?
いや、やっぱりそこそこ、、あるか
本当に美貌ない?
これは、、、、
、、、、、、、、
まあ、いいか。

「何かがない、何かが足りない」と不平不満を言っている限りは
アルカリームな神様に心底感謝なんかしていなかったんだ!
ということに気がついたのです。

ちなみに私は、(一応)神様に感謝をするように気をつけて生活をしてきたつもりでいました。
例えば、
「目が見えてありがたい、家があってよかった、食べ物があって感謝、子供達が元気で嬉しい」と
いった具合に、、、ですね。

しかし、、、
私は、この歳にしてやっとこさ気付いたのでありました!
「いや、いや、全然足りてないじゃないか!」と。
つまり、私の中には
不平不満、文句が蓄積していたんだ!と悟ることができたのです。



私のように、
「何々が足りない。何々がない。」などと言っている限りは、
いつまでたっても神様は、それらのものをたっぷりとお与えになるようなことはないような気がします。
なぜなら、神様ご自身がこうおっしゃっています。

『我は、僕(しもべ)が考えるような(期待するような)存在である。』

ですから、反対に
神様のことを、本当にアルカリーム(ドンドン与えてくれるお方)であると心底信じるのであれば
神様は、本当にそのような態度で接してくれるはずです。

「ーーがない、ーーが足りない。」
と言うのではなく、
「ーーはあるよ、今までだって与えらえていたし、これからだって与えてもらえるさ。
 ドンドンドンドン、たくさん与えてくれるさ。」
と思うことが大事なのでしょう。

そうすれば、神様は湯水のごとく、どんどんとお与えになってくれるはずです。

なんとなく”引き寄せの法則”を思い出させますね。
引き寄せの法則って(私が理解する限り)
自分の悪い感情が悪いものを引き寄せ
良い感情が良いものを引き寄せるという法則だと思うのですが、合ってますかね?



それから、もう一つ大事なことは
神様から与えられたものはケチケチしないで、使うこと。
それも、誰かの為になるような使い方がいいでしょう。
(これは先週も書いたような気がしますが)

まあ、お金を例にして考えるとわかりやすいのですが、
神様から与えられたお金を使って、
家族を養うのは、もちろん、
親戚や隣近所、全然知らない人でも困っている人がいたら、そのような人に使うのがベスト。
人に対し、寛大であれな、アルカリーム(誰よりも寛大なお方)がまたお金を与えてくれるはずです。
(浪費はダメですけどね。浪費は悪魔の道一直線ですから!)

もちろんお金だけでなく、知識なんかもそうです。
どこかで得た知識を、ただ自分のものにするだけでなく、
誰かに伝えることが大切。
そうすることで、結局自分の本当の知識として役立つようになりますし。

体力や時間なんかも、人のために使ったら、もっともっと増えるような気がします。

神様はアルカリーム「寛大なんだ」ということを悟り、
与えられているものに感謝をする。
(少ない、足りないと文句を言わない)
そしてそれら与えれているものを、寛大に使う、ケチケチしない。
(特に周りの人達の益になるように)
すると、もっともっと与えられるようになるのでなないかなあと思います。

さて、読者の皆様はどう思われたでしょうか。

今週は、私の懺悔バージョンといった感じになってしまいました。

本当にハタと気が着いたことで、自分的にちょっとした衝撃であったので、
ここで書かせていただきました。

実は、もっともっと気づきがあったのですが、
それは来週に、、
、、、、、
書こうかどうか迷っています。
(懺悔バージョンばかりだと心が痛いし、、、、)

来週もまた、アルカリームについてです。
(なかなか終わらないゾ)


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