神に帰る生き方

せっかく生まれてきたのだから、心平安に生きていきたい!と思う。

文句を言わない

2020-05-15 03:31:11 | イスラム教
この記事は2020年1月に私がメルマガに書いたものです。
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◎神に帰る生き方
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量よりも質の高いものをいただいた方がいいのではないか。
質が高いとは、神様からの祝福がそこに入っているかどうか。
お金の質を高めるには、お金の入って来るところと出るところに
気をつけるべき、と前回は書いてみました。

こんにちは ファーティマ松本です。

私たちが、
神様からたくさんのものをいただいているのは、
紛れもない事実です。
でも、それに対し「足りないなあ」と
思ったりした事はありませんか、、、
、、、、、?

私は恥ずかしながら、結構あります。
「もうちょっとお金があったら、子供達にあれ買ったり、
 どこそこへ連れて行ってあげられるのに、、、。」
とか、
または「もっと寄付したりできるのに、、、」とかですね。
しかし、、
この「足りないなあ」という感じ方がまずかったということに
つい最近気がつきました。

「足りないなあ」と思うことはすなわち
文句を言っているのと同じであります。

文句を言っている、、、誰に?
もちろん
すべてのものを与えてくださっている神様にですよ。

ほんと、いいわけがないですよね。
感謝してこそ当然なのに、なーにが文句ですか!と
大反省しております。

神様は、感謝するものにはもっともっとあげると約束されています。

『もしあなた方が感謝をするなら、われは必ずあなた方に対する恩恵を増すであろう』
(クルアーン 14:7)

すなわち、、
感謝しないで、文句ばかり言っていると、、、、

上記のクルアーンのお言葉のすぐ後に、このようなお言葉が続いています。

『だがもし恩恵を忘れるならば、我が懲罰は本当に厳しいものである。』
(14:7)

やばいですねえ。
いくら普段感謝をするように心がけていても、常時不平不満を口にしていては、
与え手的に見て、あんまり嬉しくないかもしれません。

例えてみれば、こーんな感じでしょうか。
年金暮らしのおばあちゃんが、高校生の孫にお小遣いをたまにあげていたとしましょう。
いつもお金ない、お金ないというので、まあ仕方なく。
(年金暮らしですからね、厳しいですし)
でも、孫可愛さで今月も少しばかりお小遣いをあげると
「なんだよ、こんだけかよ、こんなんじゃ足りないんだよ!」
と孫がふてくされたとしましょう。
おばあちゃんは喜んでくれる、感謝してくれると思ってやっていたのに、
反対にブツブツと文句を言われてしまったわけです。
今度また、お金が入ったらもっとお小遣いをあげようと思っていたのに、、、、。
(私がこのおばあちゃんだったら、この孫もう終わりですね。(^◇^))

まあしかし、神様は
年金暮らしのおばあちゃんと違って、無限の富を持っていらっしゃいます。
そして、おばあちゃんが孫を可愛いと思う以上に私たちのことを慈しんでくれています。
そして、もちろん寛大(アルカリーム)であられます。
私たちが(多々)文句を言おうが それでも与えてくれているわけです。


足りない、足りない、と文句を言ってしまいたくなる気持ちはよーくわかります。
(私自身が長い間そうでしたから。)
でも神様は、本当に必要な時に必要なものを与えてくださると
私は信じます。
もし、今、何かが足りなかったとしても
”いつか”本当に必要になった時に、お与えになってくれるのではないかと思うんです。


クルアーンの中にも、そんなお話があります。
ちょっと長くなってしまうので、簡潔に書いてしまいますが、
こーんな感じのお話です。(実話ですよ!)

ムーサという御名前の預言者さん(平安あれ)がとある賢者と旅をしていたところ
壁が壊れているのを発見。
賢者はその壁を直しました。
そして、こう言いました。
「この壁の下に財貨が埋まっている。
 それを埋めたのは、この家の亡くなった主人だ。
 子供達が大きくなるまでその財貨が誰にも見つからないように
 するために壁を直した。」

「今」ではなく、
”子供たちが将来大きくなってもっとお金が必要になった時に使えるように”
という(神様からの)お計らいです。

「いゃ〜、今欲しいよ。子供が小さい時だってお金必要だよっ。」
て思うかもしれません。
しかし、、、
これが面白いところなのですが、
ない方がいいってこともあるんですよねー。
お金がないからこそ、子供がいい子になることってありますよね。
質素な生活になれたり、働くことを覚えたり、貧しい人の気持ちがわかるようになったり
色々と利点があると思います。

私自身は、うちの子供達が小さかった時に
あまりお金に恵まれてなくって(今は)良かったと思っています。
おかげでみんな(そこそこ)いい子に育ってくれました。
あっ、お金があるから悪い子になるってことはないですよ!!
(お金持ちでとーってもいい子をたくさん知っていますから。)



上記のお話の亡くなったご主人ですが、、、、
彼は神様を信じる人、正しい人であったそうです。
神様に愛でられている人に、神様からの特別な配慮ががあるのは当たり前。
ですから、
神様に愛でられる人間になるよう、善いことを進んでするのはもちろん。
文句を言わない!というのを気をつけたいと思います。
もし、何か欲しい物があれば、
お祈りをしましょう。
神様に直接談判(ドゥアー)をしましょう。
このメルマガでは、どうやって私たちの願いを聞いていただくか、
どうすれば、もっともっと聞き入れてもらいやすくなるのかについて
来週も続けていきたいと思います。


ひろはまかずとしさんのお言葉にこんなのがあります。
とても素敵ですので、シェアーさせてもらいます。
 
求めたから与えられたのです。
探したから見つかったのです。
ドアを叩いたから開かれたのです。
そして何より、祈ったから叶ったのです。

そうですね。
願い、祈り続けましょう!
きっと神様のドアも ”あなたの為に”
大きく開く時があるはずです。


今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!
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