風まかせ

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備中の上野氏

2022-09-11 20:48:47 | 歴史紀行
上野氏は足利氏の庶流が三河の足利領の上野荘の地頭となり上野を名乗り足利一門で重きをなした。

1509年に上野信孝が木村山城城主として備中に足利氏の勢力拡大するために来る。

備中松山城の城主の秋庭元重の勢力が衰え、有漢郷に帰って土着したのに代わって、上野信孝の一門の頼久が、備中松山城主となった。頼久の死後は息子の頼氏が城主となる。
1533年荘為資の攻撃で備中松山城は落城し、頼氏は討ち死にした。
上野氏は1509年(一説では1504年)から1533年まで備中松山城の城主だった。



上野信孝は数年後、京都に帰り、木村山城は一族の上野高直が城主となった。高直の死後は上野隆徳(高徳)が城主となった。
隆徳は1550年代に備前常山城に拠点を移した。1575年小早川軍の攻撃で敗れ、隆徳は切腹し上野氏は滅亡した。(常山合戦)



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