スキーを準備して待っているのだが、12月中旬なのに山には滑るための雪がない。それならば五色温泉へのツアーコースを逆に登ってみようと言うことになった。
<山行期間> 2009年12月13日(日)
<コースタイム> 五色温泉(8:02)→霧ノ平分岐(9:27)→東海大緑樹山荘(10:43,11:01)→家形山避難小屋(12:45,13:00)→緑樹山荘(13:54,14:00)→霧ノ平分岐(15:00)→五色温泉(15:58)
<メンバー> I.I M.O Y.K M.Y
五色温泉へは8時少し前に着いた。気温は0度、風は強い。一応西高東低の気圧配置だし、寒気も降りてきているので本格的な冬が訪れるのを期待しながら登りはじめた。
登山道は以前の五色温泉の玄関手前から建物の右側を通って裏山に入る。五色温泉の岩石風呂がいい
五色温泉には、かつてリフト付きのスキー場があって板谷駅から1時間をかけて滑りに来たことがある。湯治客も駅から線路の脇を通り、奥羽本線の板谷トンネルの手前から前川にかかる吊橋を渡って歩いてきた。今では吊橋は使用できなくなり、奥羽本線も山形新幹線が通るようになってからは線路の脇を歩くことも出来なくなった。
当時は峠駅のホーム脇にも大沢駅のホーム脇にもスキー場があった。峠のスキー場は子供の頃の練習場でもあった。駅の夜勤が終わればスキー場、休みの日には山歩きと毎日のように遊び呆けていた時代の話である。
登山道は五色温泉の建屋の脇から裏の尾根へと続いている。樹木で覆われてしまった裏の尾根も、かつてのゲレンデ跡である。少し登っていくと右にカーブする。ここから先は、送電線があったころに幅広く刈払われ、滑るにはちょうど良い切通になっている。それは1020mのコルまで続いている。夏道は途中で右の灌木帯の中に入っていく。
高倉山の尾根に取り付くと、道は東側の急斜面をトラバースする。歩く人も少なく整備もあまりされていないので歩きづらい。途中の小休止も含めて1時間25分で霧ノ平分岐に着いた。
霧ノ平分岐の標識は倒れている
四郎右ェ門沢の脇の作業道に出たところにある標識
霧ノ平分岐を折れずに真っ直ぐに進むと下り坂になり四郎右ェ門沢の脇の作業道に出る。ここで右に直角に折れ作業道を250mほど登っていくと左に緑樹山荘への登山道がある。道は水野涸れた四郎右ェ門沢を渡り、県境になっている蟹ヶ沢右俣へと向かう。1165m尾根を跨ぐと登山道は下りはじめ、ジークライトの採掘場からの作業道跡と道を合わせる。しばらくは作業道跡を進むようになる。県境の蟹ヶ沢右俣までくると道は心細くなり普通の登山道になる。緑樹山荘までは、もう一息である。10時43分、歩き始めて2時間40分で東海大緑樹山荘に着いた。ここまで来てようやく雪が出てきた。
東海大緑樹山荘、東海大が譲り受けた旧青木小屋は1962年に建て直された
早めの昼食を取り、ここで予定通り家形山避難小屋(家形ヒュッテ)まで行くかどうか検討する。下山を16時30分と計算し、目論見より時間がかかるようであれば途中で引き返すつもりで出発した。
雪は堅いが踏むと30cmほど潜る。軽い雪だと楽なのだが、トップを交代しながら家形ヒュッテを目指す。沢沿いに登っていくと左の尾根の右斜面をトラバースするように登り尾根に乗る。ここが滑ってくるときに緑樹山荘に降りるポイントだ。地形を頭に入れながら登っていく。標高1740mまで上がると、道は小沢を幾度か横切るようになる。道は2万5千分の1地形図の歩道記号のルートと違って蟹ヶ沢に寄らないで1560mまで高度を上げる。追分から家形ヒュッテの登山道の途中から青き小屋への登山道へ近道で降りる最初の道を合わせ、次に登山道と道を合わせる。家形山避難小屋はもうすぐである。高湯からの登山道には足跡がついていた。12時45分、家形山避難小屋(元家形ヒュッテ跡)に着いた。
かつてここに建っていた2階建ての家形ヒュッテは雪崩で押しつぶされた。高校時代の冬期単独はバス賃が安い高湯から家形ヒュッテと決まっていた。
何故か家形山避難小屋の中は人が住んででもいるようにいろんな物が置いてあった。ガンチャン落としのルートが廃道になってからは、人も来ないのかと思っていたが、どうもそうではないようだ。15分ほど休んでから車を置いてきた五色温泉へと下山した。下りは3時間ほど。スキーだとミスコースやトラブルがなければ五色沼からガンチャン落としを滑って五色温泉まで3時間程度で降りることができる。ガンチャン落としの上部からの滑降開始は13時がタイムリミットかと思う。(I.I)
<山行期間> 2009年12月13日(日)
<コースタイム> 五色温泉(8:02)→霧ノ平分岐(9:27)→東海大緑樹山荘(10:43,11:01)→家形山避難小屋(12:45,13:00)→緑樹山荘(13:54,14:00)→霧ノ平分岐(15:00)→五色温泉(15:58)
<メンバー> I.I M.O Y.K M.Y
五色温泉へは8時少し前に着いた。気温は0度、風は強い。一応西高東低の気圧配置だし、寒気も降りてきているので本格的な冬が訪れるのを期待しながら登りはじめた。
登山道は以前の五色温泉の玄関手前から建物の右側を通って裏山に入る。五色温泉の岩石風呂がいい
五色温泉には、かつてリフト付きのスキー場があって板谷駅から1時間をかけて滑りに来たことがある。湯治客も駅から線路の脇を通り、奥羽本線の板谷トンネルの手前から前川にかかる吊橋を渡って歩いてきた。今では吊橋は使用できなくなり、奥羽本線も山形新幹線が通るようになってからは線路の脇を歩くことも出来なくなった。
当時は峠駅のホーム脇にも大沢駅のホーム脇にもスキー場があった。峠のスキー場は子供の頃の練習場でもあった。駅の夜勤が終わればスキー場、休みの日には山歩きと毎日のように遊び呆けていた時代の話である。
登山道は五色温泉の建屋の脇から裏の尾根へと続いている。樹木で覆われてしまった裏の尾根も、かつてのゲレンデ跡である。少し登っていくと右にカーブする。ここから先は、送電線があったころに幅広く刈払われ、滑るにはちょうど良い切通になっている。それは1020mのコルまで続いている。夏道は途中で右の灌木帯の中に入っていく。
高倉山の尾根に取り付くと、道は東側の急斜面をトラバースする。歩く人も少なく整備もあまりされていないので歩きづらい。途中の小休止も含めて1時間25分で霧ノ平分岐に着いた。
霧ノ平分岐の標識は倒れている
四郎右ェ門沢の脇の作業道に出たところにある標識
霧ノ平分岐を折れずに真っ直ぐに進むと下り坂になり四郎右ェ門沢の脇の作業道に出る。ここで右に直角に折れ作業道を250mほど登っていくと左に緑樹山荘への登山道がある。道は水野涸れた四郎右ェ門沢を渡り、県境になっている蟹ヶ沢右俣へと向かう。1165m尾根を跨ぐと登山道は下りはじめ、ジークライトの採掘場からの作業道跡と道を合わせる。しばらくは作業道跡を進むようになる。県境の蟹ヶ沢右俣までくると道は心細くなり普通の登山道になる。緑樹山荘までは、もう一息である。10時43分、歩き始めて2時間40分で東海大緑樹山荘に着いた。ここまで来てようやく雪が出てきた。
東海大緑樹山荘、東海大が譲り受けた旧青木小屋は1962年に建て直された
早めの昼食を取り、ここで予定通り家形山避難小屋(家形ヒュッテ)まで行くかどうか検討する。下山を16時30分と計算し、目論見より時間がかかるようであれば途中で引き返すつもりで出発した。
雪は堅いが踏むと30cmほど潜る。軽い雪だと楽なのだが、トップを交代しながら家形ヒュッテを目指す。沢沿いに登っていくと左の尾根の右斜面をトラバースするように登り尾根に乗る。ここが滑ってくるときに緑樹山荘に降りるポイントだ。地形を頭に入れながら登っていく。標高1740mまで上がると、道は小沢を幾度か横切るようになる。道は2万5千分の1地形図の歩道記号のルートと違って蟹ヶ沢に寄らないで1560mまで高度を上げる。追分から家形ヒュッテの登山道の途中から青き小屋への登山道へ近道で降りる最初の道を合わせ、次に登山道と道を合わせる。家形山避難小屋はもうすぐである。高湯からの登山道には足跡がついていた。12時45分、家形山避難小屋(元家形ヒュッテ跡)に着いた。
かつてここに建っていた2階建ての家形ヒュッテは雪崩で押しつぶされた。高校時代の冬期単独はバス賃が安い高湯から家形ヒュッテと決まっていた。
何故か家形山避難小屋の中は人が住んででもいるようにいろんな物が置いてあった。ガンチャン落としのルートが廃道になってからは、人も来ないのかと思っていたが、どうもそうではないようだ。15分ほど休んでから車を置いてきた五色温泉へと下山した。下りは3時間ほど。スキーだとミスコースやトラブルがなければ五色沼からガンチャン落としを滑って五色温泉まで3時間程度で降りることができる。ガンチャン落としの上部からの滑降開始は13時がタイムリミットかと思う。(I.I)