風のたより

つれづれに

                 ~~~  女城主(信長の叔母)で有名な「岩村城」  ~~~

2016-04-24 | 根尾、岩村城、坂折棚田ドライブの旅



娘との気ままなドライブは続き、偶然交差点で見かけた「岩村城」の標識に心動かされ「岩村城跡」へ。

とは言っても岩村城に関しては女城主で有名ということぐらいで、いつもながら詳しい予備知識は全くなし。
とりあえず城内の駐車場まで上り、ここから石垣の脇の石段を上ります。





着いてから場内の案内図や頂いたパンフレットでその概要がやっとわかりました

岩村城は恵那市の南部に位置し鎌倉時代(1185年)に築城された日本三大山城の一つとか。
他の二つは、大和の高取城(奈良県)備中の松山城(岡山県)だそうです。

本丸のある場所は、諸藩の居城中最も高い海抜717mに位置していたといいます。





石積みの階段を上りやっと上に上がってみると、さらに高く堅固な石垣が現れます。
ここが山城だったことが忍ばれます。





城は明治になり廃城令で解体されてしまいましたが遺構の保存状態は良く、曲輪や高石垣、井戸等が
今もよく残っています。





本丸と二ノ丸を繋ぐ埋門(うずみもん)跡。

ここには大きな櫓が上に載っていたようです。
この奥が本丸になり、かなり狭い通路になっていました。





やっと本丸の広場まで上がってきました。
ここから城下町を見下ろすことができ、更に四方の山々を一望することができる高台です。





足元の崖下には山桜が綺麗に咲いていました。

このゆったりと静かな眺めとは裏腹に、この城の歴史は波乱万丈だったようで、女城主といわれた
織田信長の叔母の悲惨な生涯は胸を打ちます。





またこの岩村城は、別名「霧ヶ城」ともいわれているとか。

岩村城には、敵が急襲した際、城主秘蔵の蛇骨を城内の井戸に投げ入れると、たちまちのうちに深い霧が
辺りに立ち込めて城山を覆い、敵の侵入を阻んだという「霧ヶ城伝説」があるようです。

その様子はまさに東洋のマチュピチュともいわれているとか。





本丸の横にある「昇龍の井戸」

標高の高い山城にあって今でも満々と水をたたえているといいます。
周りには策が張られているので、中をのぞくことはできませんでしたが、、、

こんな井戸が岩村城には17もあるそうです。





大きな石碑の裏に刻まれた700年にも及ぶ連綿とした歴史、、、

この城が築かれてから鎌倉・室町の300年間、戦国の100年間、更に江戸期の300年間にわたり城と城主が
変わりつつも連綿と続き、明治に至り廃城令で解体されるまで存在したこの城の長い歴史に圧倒されました。





そしてこの岩村城に居城していた信長の叔母にあたるお直の方が、甥の信長によって処刑されるという
悲惨な事実があったことに驚きました。

城内に咲いていた桜は、お直の方が信長への最後の言葉を残し
気高く散っていった様子を物語っているようでした。

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