風民楽園 (フーミンランド)

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クロアチア写生旅行の写真交換パーティ(6月29日)

2009年07月02日 | Weblog
5月末に10日間訪れたクロアチア・スロベニア・ほんのちょっとボスニアヘルツェゴビナ写生旅行の写真交換会と写生した絵の発表を兼ねたお食事会がありました。
ロマンの会というU先生指導絵画教室の方々からなる、23名のツアーでした。
皆様の素晴らしい絵画を見せていただき、水彩画の優しいタッチに改めて感動しました。

帰ってからちょうど1ヶ月目になります。
準備の悪い私は、とうとう当日の朝、皆様の写真をPアウト。
正午からのパーティにぎりぎりセーフ

皆様から頂いた写真はPアウトした枚数とほぼ同数でした。
普段写真はPアウトしないでパソコンの中で眠っていますが、これだけ自分が写っている写真を沢山見るのも、ひょっとしたら、結婚式以来かもしれません(笑)

クロアチア旅行に出かけた週は、豚インフルエンザで日本国中大騒ぎでした。
帰国すると、騒ぎも嘘のように静まって、マスクを買いに薬局をはしごしたことなど嘘のようでした。
クロアチアに出かける前に私が知っていたことは、旧ユーゴスラビアの紛争
確か1992年でした。その頃内戦の様子をテレビのドキュメント番組で見た記憶がありました。

海外旅行の前は意図してその国のことを調べないのが私流です。
先入観を持たず、自分の目と心ではじめて見る異国の風景や風を感じたいからです。

クロアチア・スロベニア・ボスニアヘルツゴビナの詳しい場所がわかったのもこの旅行のパンフを見てからでした。
写生旅行なので、観光地で写生できるようにゆっくりした日程でした。
皆さん何枚も素晴らしい絵を描かれていましたが、フーミンは一人カメラを持って
いたるところを歩き回って、とうとう絵は3枚しか描けませんでした。

クロアチアで紛争のあったころはパソコンがなかったので、メディアの報道だけでしたが、今はすぐに調べられます。
少し時間が出来たので、はじめて詳しい歴史や紛争、内戦を調べてみて驚きました。
昔見たドキュメンタリー番組も悲惨でしたが、日本がバブルの泡風呂につかっていた20世紀の終わりに
民族・宗教の違いでこんな悲惨な内戦があったことなど想像もつきませんでした。

私がじかに感じたクロアチアの人々は、素朴で陽気でそしてとても治安がよく、観光客に親切でした。
20万人の尊い命の代償に得た今の平和がいつまでも続き、そしていつまでも素朴で観光ずれしない
やさしい国であってほしいと願いました。