映画と音楽そして旅

主に懐かしい映画や音楽について…
時には新しい映画も…

(映画音楽)「ティティナ…生田恵子」(映画「モダン・タイムス」)

2006-10-10 00:07:56 | 映画音楽
 いつやらテレビで少しだけ観た「モダンタイムス」の予告画面の中で、流れていた音楽にふと耳に止まりました。それはそのメロディになにか聞き覚えがあったからです。耐用年数もかなり使い込んで来て、少し呆けかけてきた私の脳内メモリーが懸命に作動しました。
 考えること数分…判った!あの曲は確か「生田恵子」が歌っていた「東京ティティナ」と云う曲と、同じメロディじゃなかったかな…などと記憶が甦ってきました。でもそれは私の一方的な思い込みかも判らない…早速と確認しなくっちゃ…
 「生田…」と云うと「生田流筝曲」を連想しますが、そんなエレガントで風流なものじゃなくって南国的で軽やかで、陽気なリズム感覚の音楽でした。少しだけ覚えていた歌詞はと云うと…
   東京ティティナ 夢見る瞳 
   誰を待つのか 優しい瞳…
 彼女については私の十代半ば過ぎに「バイヨン」と云う新らしいリズムで、急に売り出した女性歌手…ぐらいの認識しかありませんでした。
 私もこの頃は近年の新しいリズムの流行には、うんざりしていたので当時としては大きな関心はありませんでした。
 しかしチャップリンの映画でこの音楽の片鱗を耳にして見ると、今頃になって急に気になって来ました。
 今時CD出ているかな…無理だろうなぁ…と、思いきや
 生田恵子のCD…見付かりました!それは…
 
「東京バイヨン娘」生田恵子  VICG-60227/1999.10.21発売/¥2,400(税抜)
  日本人初 幻のブラジル録音、待望のCD化!

 記事の紹介によれば
 >1951年「バイヨン」の王様、ルイス・ゴンザーガの指導のもとに、本場仕込みの「バイヨン」を習得、帰国後日本に“バイヨン”ブームを巻き起こした<
とかであります。この紹介の続きです。
「東京バイヨン娘」ほか生田恵子の名唱の数々を初復刻!幻のブラジル録音3曲も完全収録=本邦初公開! 〔日付は録音または発売月)
01. パライーバ (1951.11ブラジル録音) 02. 復讐(1951.11ブラジル録音)
03. バイヨン踊り (1951・11ブラジル録音)04. バイヨン踊り (1952.3)
05. 東京バイヨン (1952.5録音) 06. リオから来た女 1952年5月14日)
07. 恋の花咲くサンパウロ (1953.1)08. 陽気なバイヨン娘 (1953.3)
09. 踊れバイヨン (1953年2月28日録音)10. 君帰りませ (1953年2月28日録音)
11. 銀座マンボ (1953年7月発売) 12. 東京ティティナ (1953年8月発売)   (以下略)
 やっと出てきました よかった… それにしても凄ーい !と感服しました、

 私もあまりよく知らなかった生田恵子の、知られざるプロフィールについて「再勉強」です
> 東京都生まれ 本名、岩崎八重子  三笠晴美の芸名で、宝塚少女歌劇団で活躍。
1949年 ビクターよりデビュー。
1951年ブラジルRCAにてレコーディング、ルイス・ゴンザーガ直々に本場のバイヨンの指導を受ける。
1952年 日本帰国後、「東京バイヨン」他、バイヨン・リズムの曲を次々にヒットさせる。ヨーロッパでバイヨンが流行るより早く、日本にバイヨン・ブームを巻き起こす。
1995年 「レコード・コレクターズ」誌にて、日本人初の本格的ブラジル録音を行った先駆者として取材を受ける。その直後、惜しまれながら他界…<
 
 「バイヨン」と云うリズムはマンボに押されて、あまり目立ちませんでしたがサンバと同じくブラジル系の、割合とテンポも速い陽気な感じの曲だったと思います。
 ルイス・ゴンザーガ…検索して見ましたら…凄い!
 故人ですがブラジル音楽界では神様のような大人物…彼の作品は「第二の国歌」と云われているぐらいでした。知らなかったのはは私だけ…?
 
 それに彼女は昔はヅカ・ガールだったんですね。
 私は宝塚音楽学校出身と聞くと無条件で尊敬する習性があるのです。

 イタリア映画「アンナ」でS・マンガーノが歌った主題曲も、バイヨンのリズムだった…と云われていたのを思い出したのですが…
  ご存知の方いられたら…教えて下ーさい。

 


〔南山城塔めぐり)「さらば浄瑠璃寺」

2006-10-10 00:03:47 | 旅 おでかけ
 三重塔から出てしばらく歩くと四国の女性が、後を振り返って「まぁ…綺麗…」と云いました。
 早くも薄日がさして来て緑の葉ッぱに水滴が美しく輝いて、こんもりとした樹木の間から三重塔の先端だけが僅かに覗いています。
 帰り道に無人売店がありましたが勿論、セルフ・サービスでお金は所定の容器に自分で入れる仕組みです。
 お寺参りをする人に悪人はいない…?私たちも少しばかりのセルフ・ショッピングをしましたが、勿論、ちゃんと入れましたよ…
 四国の女性はお金を投入しながら「人間性善説を前提にしないと出来ない商売ですね」としきりに感心していました。
 
 路線バスでJRの駅に戻ると云う女性と別れて、今日の最終目的地…岩船寺へ向かいました。

〔南山城塔めぐり)「岩船寺山門」

2006-10-10 00:01:25 | 旅 おでかけ
 浄瑠璃寺から山道を数キロ行くと岩船寺(がんせんじ)です。
 このお寺は729年(天平元年)に聖武天皇の勅願で行基が建立したのが始まりで、813年(弘仁四年)嵯峨天皇が皇子誕生を感謝して堂塔伽藍が整備されたそうです
 しかし1221年(承久三年)の承久の変により大半が焼失してしまい、それ以後は再興された堂塔も再度の兵火のため、次第に衰えて現在は本堂と三重塔が残るだけとなりました。