映画と音楽そして旅

主に懐かしい映画や音楽について…
時には新しい映画も…

(映画音楽)「ロック・アラウンド・ザ・クロック」(映画「暴力教室」②

2006-10-06 00:02:37 | 映画音楽
 この「ロック・アラウンド・クロック」のリズムは、ロックの日本上陸初期ぐらいの音楽と思いますが、我が国の若い年代に受け入れられて、瞬く間に全国に広まりました。
 ロック嫌いの私ですらあのメロディとリズムは覚えていたので、高校生だった娘が感心?したぐらいですから…

 資料でこの時代のことを確認しますと…  
  [Rock around the Clock] Bill Haley & His Comets
 >「ロック・アラウンド・ザ・クロック」… ビル・ヘイリーと彼のコメッツの歌と演奏は 1955年に8週連続の全米ナンバー1に輝き、続いてイギリスでもナンバー1を獲得したときに、ロックの正史が始まった…<と云われます。
 そしてこの曲はロックの原点として今尚受け継がれているようです。〔写真)
 
 まさに「ロック元年」のこの頃…かねてから「マンボ」や「チャチャチャ」「カリプソ」など中米あたりを発祥の地とする、新しいリズムの流行で私はいささかイヤケがさしていました。
 アメリカ本土ですらロック音楽の流行で今まで親しんで来た、ポピュラー・ミュージックがだんだん後退して行くのに応じて、私も音楽やシネマの世界から遠ざかって行くようになったように思います。

 原題「ブラックボード・ジャングル」(Blackboard Jungle 〕こんなタイトル自体がかなりショッキングでしたが、当時は教育の場と云えば文字通り「聖域」でした。
 娘が小学校の頃は「智育」「「体育」「徳育」」といった教育の根幹が「成績」「記録」などに偏り、道徳面…「徳育」が軽視されているのでは…と云う反省から「小さな親切」とか、「朝夕のあいさつ運動」など実行されていました。
 道で出合った子供達から「只今!」などと挨拶されると、最初は戸惑っていた大人たちも「お帰り…」と自然に云えるようになったりして、雰囲気は和やかなものになって行ったように思います。
 横断歩道で車を停めると無事に横断を終えた子供達が、そろって最敬礼…法令で決まった当然のことでも、感謝の気持を態度でで示されると雰囲気も楽しいし気分もさわやかになりますね。
 最近でも通学路の小学生の児童達は今でも同じように、実行してくれていますが良いことは受け継いでいつまでも、こんな素直な子供達であってほしいな…と思ったりします。
 「教育再生」などと云う言葉がしばしば聞かれますが、私の身近な先生方の話しを聞いても教育現場では熱心に、取り組んでいられる熱意が伝わってきます。
 先生方も子供達も私の知ってる限りは、なにも問題はないのに…今の社会はどうなってんの?どう考えても不思議な時代です。
 「校内暴力」「学級崩壊」「いじめ」なんて昔はなかった言葉が、早く「死語」になるように…こんな時代が待たれます。
 

(南山城古塔めぐり)「恭仁大橋・木津川」

2006-10-06 00:01:49 | 旅 おでかけ
 海住山寺の参詣を終えて国道163号線を右折すれば、30分程で我が家に帰れるのですが、まだ時間はあるし今日はあと二個寺お参りの予定です。
 加茂の街並みを抜けて恭仁(くに)大橋を渡りました。
 川の流れは木津川ですが伊賀盆地を源流とする木津川は、昔から「いずみがわ」とも呼ばれ百人一首にも詠まれています。
 みかの原 わきて流るる いづみ川 いつみきとてか 恋しかるらむ
                              中納言兼輔
 この歌の解釈は現在風に云うと、まだ会った事のない女性に「貴方が恋しいです…いつかどこかでお会いしたのような気がしますが…」などと云いながら、愛の告白をする歌だそうですが、天平美人はどんな風に感じたのでしょうか。

 このあたり一帯は瓶原(みかのはら)と呼ばれ、通ってきた道筋に「恭仁京跡」(くにのみやこ)があります。
 聖武天皇はこの地に離宮を造営して、しばしば通われたようです。
 以前にも記しましたが飛鳥ー平城京-恭仁京ー紫香楽宮と、大和から近江にかけてほぼ直線に離宮などが造営された遺跡が残っています。
 


 

(南山城古塔めぐり)「浄瑠璃寺へ…」

2006-10-06 00:01:04 | 旅 おでかけ
 関西本線の加茂駅は私の幼少期から少年期にかけて、大阪へ行く起点でしたのでおなじみの場所です。今は京阪奈学園都市にも近くて宅地開発が進んで、高層マンションなども建ってすっかり都会化して往年の鄙びた面影はありません。
 それでも街中を外れて山道へ入るとひっそりとした、涼しい空気が流れて来てほっとします。山道を登って行くとようやく浄瑠璃寺の標識が見えて来ました。