自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆ポリティカル・コレクトネス疲れ

2018年11月11日 | ⇒メディア時評

      アメリカのトランプ大統領をどう評価すればよいのか、世界の政治が混乱しているようにも見える。貿易戦争の「トランプと中国」、CNNを目の敵とする「トランプとメディア」、核合意離脱の「トランプとイラン」などさまざま対立軸をつくり、妙な表現かもしれないが攻撃ならぬ「口撃」で「頑張っている」。アメリカ中間選挙後にトランプ氏はフランスのマクロン大統領とパリで会談(現地時間9日)=写真はホワイト・ハウスのツイッターから=、NATOの防衛費の負担について、アメリカへの依存が大きいと不満を述べ、公平に負担するよう求めたと報じられた。相変わらず「頑張っている」。

   災害大国の日本では「地震、雷、火事、おやじ」という言葉がある。この世で、特に怖いものを順に並べた言葉なのだが、この「おやじ」は突然怒り出し、難癖をつける厄介者という意味合いだと解釈する。アメリカ・ファーストを唱え、世界に難題をふっかけるトランプ氏はまさに「世界のおやじ」ではないか。では、アメリカの中間選挙では、嫌われ「おやじ政権」のもとで上院の過半数を占めることができたのだろうか。アメリカで一体何が起きているのか。

   デモクラシー(民主主義)という価値観を創造し、グローバルに展開してきたのはアメリカだったと言っても異論はないだろう。1862年9月、大統領のエイブラハム・リンカーンが奴隷解放宣言を発して以来、自由と平等という共通価値を創り上げる先頭に立った。戦後、共産圏との対立軸を構築できたのは資本主義という価値ではなく、自由と平等という共通価値だった。冷戦終結後も、共通価値は性や人種、信仰、移民とへと広がり深化していく。アメリカ社会では、こうした共通価値を創ることを政治・社会における規範(ポリティカル・コレクトネス=Political Correctness)と呼んで自負してきた。

   ところが、ここに来てポリティカル・コレクトネスの先頭に立ってきたアメリカの白人層は疲れてきた。そして「これは偽善ではないのか」と思うようになってきた。日付は失念したが先日、NHKの特集番組の中で、女性人権団体のスタッフに「男より女の人権が強いと主張するのはもう止めてくれ」と白人男性が主張するシーンがあった。この論法はトランプ氏がマクロン氏に向けた主張方法と同じだ。アメリカにこれ以上責任を負わせるな、と。

   誰もが自由と平等だが、それが誰かの犠牲に上に成り立っているとすれば偽善だ、とアメリカ社会の白人層が言い始めた。声なき世論の盛り上がりのタイミングにトランプ氏が大統領選挙に勝ち、そして中間選挙でも上院を制した。トランプ政権のいまの在り様をポピュリズム(Populism)と称する向きもある。ポピュリズムは、国民の情緒的支持を基盤として、政治指導者が国益優先の政策を進める、といった解釈で、アメリカ・ファーストの支持層は白人労働者と言われる。私見だが、自由と平等の共創の「ポリティカル・コレクトネス疲れ」は白人インテリ層もそうではないのか。
   
   このポリティカル・コレクトネス疲れとポピュリズムが同調してヨーロッパでも「おやじ風」が吹いている。

⇒11日(日)午前・金沢の天気    くもり後はれ


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