自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★拉致問題の原点

2011年12月20日 | ⇒トピック往来
 能登半島の風光明美さはリアス式海岸と呼ばれる、谷が沈降してできた入り江が見所となっている。ところによっては、リアス式海岸のことを別名で溺れ谷(おぼれだに、 drowned valley)ともいう。海と谷が複雑に入り組んだリアス式海岸は歴史的な伝説も生んだ。たとえば「義経の舟隠し」という名所が能登半島には3ヵ所もある。鎌倉幕府からの追手を逃れて奥州(東北)に落ちのびる際、天候が荒れ、能登の入り江の奥深くに48隻の舟を隠したとされる。

 そうした能登のリアス式海岸を悪用したのが、北朝鮮による拉致事件だった。1977年9月19日、東京都三鷹市役所で警備員をしていた久米裕さん(当時52歳)は、能登の宇出津海岸から北朝鮮に拉致されてた。久米さんを能登に連れていった在日朝鮮人が、入り江にいた北朝鮮の工作員に引き渡したとされる。複雑に入り組んだリアス式海岸は工作員の絶好の隠れ場所となっていたのだ。

 その拉致を日本で指揮した大物スパイも能登のリアス式海岸から入ってきた。1973年に輪島市の猿山岬から不法入国し、以後東京、京都、大阪に居住した北朝鮮のスパイ・辛光洙 (シン・ガンス)だった。それらのスパイを統括で指揮したのが金正日総書記だったといわれる。たまたまだが、能登の海岸を車で走り事件現場を通る。ここが拉致問題の原点の場所かと単純に考える。

 2011年の年の瀬。その年末のギリギリに北朝鮮からニュースが飛び込んできた。19日に発表された金総書記の死亡。まず脳裏を駆け巡ったのは、拉致の主犯の死亡、そして拉致被害者らは帰国できるのだろうか、ということだった。

 19日のテレビで拉致被害者家族会代表の飯塚繁雄さんが「私たちには大事な家族を強引に連れていった、拉致をした張本人。独裁者がいなくなって、ある意味でほっとした」と語っていた。また、新潟市で横田めぐみさん(1977年拉致)の父親の横田滋さんは「次に北朝鮮の政治を担う人が前の政権を否定して新しいことを始めるのか、混乱が続くのかわからない」と複雑な心中をのぞかせていた。

 ヨーロッパの経済混乱、極東アジアの新たな火種になるかもしれない金総書記の死、そして東日本震災、原発事故、大きな課題を背負ったまま。2012年へあと10日余り。※写真は、金正日総書記の死亡を伝える20日付の各紙

⇒20日(火)朝・金沢の天気  くもり

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