自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★メディアのツボ-42-

2007年02月09日 | ⇒メディア時評

 それにしても関西テレビは番組「発掘!あるある大事典Ⅱ」の不祥事で大きな負債を背負ったものだ。自業自得と言えばそれまでなのだが、ひょっとして再起不能ではないかと思ったりもする。何しろ、一度や二度ではすまない、520回という気の遠くなるような時間との戦いなのである。

     捏造番組の大きな負債

  捏造問題で、関テレの社長が2月7日、総務省近畿総合通信局を訪れ、捏造についてまとめた報告書を提出した。ところが、近畿総合通信局側は納得しなかったと、報じられている。なぜか。疑惑が次から次と出てきて、7日の説明は説明にならなかったからである。どとのつまり、「520回すべてを調査し報告しなければ、調査したことにはならない。これはあくまでも途中経過説ある」と監督官庁である近畿総合通信局側から灸を据えられたに違いない。こんなことは素人でも想像がつく。

  では、どのように520回の調査を行うか、手順はこのようなものだろう。まず、①第三者の専門家による55分番組の検証、②シナリオ台本のチェック、③当時のプロデュサーとディレクター、カメラマンからのヒアリング、④放送後の視聴からの苦情の分析など、これらをワンセットにした報告書の作成しなけらばならない。これが1回分である。

  その道の専門家を探し出し、番組をチェックしてもらい、当時の関係者を呼び寄せる。疑義があれば、その理由をチェックし、さらに第三者の専門家のコメントを聞く。つまり、一本の番組を制作するくらいの労力が発生する。これを520回やり遂げて、ようやく報告ができる。1回につき1㌢の報告書を積み上げれば520㌢となる。

  近畿総合通信局を訪れた後、記者のインタビューに答えた関テレの社長は「調査委員会で検証する」と12回も繰り返し、「3月中旬に全容を解明して報告する」と述べたそうだ。これは無理だ。毎日1本の番組について検証したとしても、520日かかる。ここで、なぜ520回すべてを検証しなけらばならないのか。理由は簡単である。もし、3月中旬の報告で「問題なし」と報告した番組に後日疑惑が生じた場合、今度は「検証が甘いのではないか」というさらなる不審を生み、検証のやり直しが要求される。だから、520回について徹底して検証をしなければ、この問題は収拾がつかいない。

  ちなみに、電波法では「総務相は無線局の適正な運用を確保するため必要があると認めるときには、免許人などに対し、無線局に関し報告を求めることができる」(81条)と記されている。つまり、報告は義務なのである。

  番組検証の現場の様子が目に浮かぶ。外部調査委員の厳しい査問、当時の制作スタッフ同士の責任のなすりつけ合い、責任逃れに終始する弁明、罵倒…。おそらく誰も責任を取ろうとしないから、収拾はつかない。こんな後ろ向きの調査をさせられる外部調査委員会(委員長=熊崎勝彦・元最高検公安部長)はたまったものではない。3月中旬に全容を解明するなどというのはそもそも見通しが甘い。

 ⇒9日(金)夜・金沢の天気   あめ  

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