1975年、東映により製作・公開されたパニック映画で、当時のオールスター級が勢揃いした作品だそうです。
この映画が公開された1975年当時、私はまだ生まれておらず、その世界観は、ある意味斬新でした。
この映画は、当時の新幹線0系ひかり109号に爆弾が仕掛けられ、乗客・乗員の生命との引き換えの身代金を要求する犯人、乗客の生命よりも犯人逮捕に執念をかける警察、爆弾を爆発させまいと奮闘する国鉄、そしてパニックの乗客と、様々な人間模様の交錯を捉えた人間ドラマでした。
この映画の肝はもちろん、身代金の受け渡しの攻防や、仕掛けられた爆弾の解除といったものですが、この爆弾に仕掛けられたタイマーは時限式ではなく、速度が一定以下になると起爆するというものでした。
今現在の技術から見ると、かなりちゃっちいといえば失礼ですが(操縦席の重ね撮りや、模型等)、当時、新幹線爆破という事でイメージダウンを嫌った国鉄の協力が得られなかった末の、苦肉の策だそうです。
ストーリー展開は、今ではかなりベタな内容でしたが、前述したとおり、私はこの映画が公開された当時は生まれておらず、当時の車やバイクなども興味深かったですね。また、仕事等で乗り降りしました、名古屋・京都・新大阪駅付近、東京も、現在と同じような雰囲気がありますが、また、違いがあって面白いですね。
この映画の国内興行は、赤字も黒字もほとんどなく、トントンだったそうです(この映画は完成したのは公開日の二日前という事で、宣伝も不十分だったそうです)。また、この映画は、一部の国内ファンからは評価されたもののB級映画扱いだったそうですが、フランスで公開・好評されたのがきっかけで、逆輸入という形で認知されたそうですが、、、。
でも、ま、フランス公開版では、日本特有のものかもしれませんが、犯人が犯罪に至る動機などの背景がカットされたものだそうですが。やっぱり、日本語の完全版の方が感情移入も出来て、面白かったですね。
この映画が公開された1975年当時、私はまだ生まれておらず、その世界観は、ある意味斬新でした。
この映画は、当時の新幹線0系ひかり109号に爆弾が仕掛けられ、乗客・乗員の生命との引き換えの身代金を要求する犯人、乗客の生命よりも犯人逮捕に執念をかける警察、爆弾を爆発させまいと奮闘する国鉄、そしてパニックの乗客と、様々な人間模様の交錯を捉えた人間ドラマでした。
この映画の肝はもちろん、身代金の受け渡しの攻防や、仕掛けられた爆弾の解除といったものですが、この爆弾に仕掛けられたタイマーは時限式ではなく、速度が一定以下になると起爆するというものでした。
今現在の技術から見ると、かなりちゃっちいといえば失礼ですが(操縦席の重ね撮りや、模型等)、当時、新幹線爆破という事でイメージダウンを嫌った国鉄の協力が得られなかった末の、苦肉の策だそうです。
ストーリー展開は、今ではかなりベタな内容でしたが、前述したとおり、私はこの映画が公開された当時は生まれておらず、当時の車やバイクなども興味深かったですね。また、仕事等で乗り降りしました、名古屋・京都・新大阪駅付近、東京も、現在と同じような雰囲気がありますが、また、違いがあって面白いですね。
この映画の国内興行は、赤字も黒字もほとんどなく、トントンだったそうです(この映画は完成したのは公開日の二日前という事で、宣伝も不十分だったそうです)。また、この映画は、一部の国内ファンからは評価されたもののB級映画扱いだったそうですが、フランスで公開・好評されたのがきっかけで、逆輸入という形で認知されたそうですが、、、。
でも、ま、フランス公開版では、日本特有のものかもしれませんが、犯人が犯罪に至る動機などの背景がカットされたものだそうですが。やっぱり、日本語の完全版の方が感情移入も出来て、面白かったですね。
我が国の原発が大事故を起こしたらどうなるか。
疾走する弾丸列車が貨物列車に激突したらどのようになるか。
悪夢は見たくない。いつまでも能天気でいたい。
天下泰平の気分を壊したくない。
自分に都合の良いことだけを考えていたい。
それ以外の内容は、想定外になる。
ただ「間違ってはいけない」とだけ注意を与える。
「人は、誤りを避けられない」とは教えない。
「お互いに注意を喚起し合って、正しい道を歩まなくてはならない」とは、考えていない。
もしも自分にとって都合の悪いことが起こったら、びっくりする以外にない。
そして、「私は、相手を信じていた」と言い訳するしかない。だから、罪がないことになる。
危機管理は大の苦手。
だが、ナウな感じのする犯人捜し・捕り物帳なら大好きである。毎日テレビで見ている。
日本語には時制がないので、未来時制もない。
未来の内容を鮮明に正確に脳裏に描きだすことは難しい。
一億一心のようではあるが、内容がないので建設的なことは起こらない。
お互いに、相手の手を抑えあった形である。すべては安全のためか。不信のためか。
問題を解決する能力はないが、事態を台無しにする力を持っている。
親分の腹芸か、政党の内紛のようなもの。
今回の事件はわが国の国民性を色濃くにじませている。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
つまらないだけで、長いだけの文章リンク、ありがとうございました。また、何が正しくて、何が間違っているかという以前に、相手に読ませようとする気力を奪うのに十分な文章、本当にありがとうございました。
ま、あなたが仰りたい事はよく分かりませんが、言葉の端々で見え隠れする文章で、なんとなく分かりました。そして、他人を導きたいのであれば、相応の、知恵と宗教心に篤い方々にすべきだと思われますが。
日本という国が、すべて完璧でなく、幼稚な事は存じております。しかし、それを指摘する国の大人さといえば、、、。
日本という辺境の小国ですら、すべてを納得できない事こそ、欧米諸国や自称アジア諸国の不完全さが証明されておりますね。
世界中で英語が共通語とされるのは、使用している人が多いだけであって、言葉の優劣に関係ないのでは。
また、世界中で英語が共通語とされるのが、言葉の優劣だというのであれば、未だに、フランス語、スペイン語、ポルトガル語等の圏では、国籍が分からない者同士の共通語としては、英語を利用するかもしれませんが、その母国語を捨てないのは何故でしょうか??
言葉とは所詮、意思疎通する為の道具であって、それ以上でもそれ以下でもないと、愚かな私は思うのですが。
上記のnoga氏なら、昨年私のブログにも同じ内容のコメントをしていました。日本語に欠点があるのは確かでも、欠点のない人間などいないし、その人間の言語である英語を含め他の言語も欠点はあります。国際化時代だから英語を学ぶのは当然にせよ、日本語を捨てて英語を母国語とせよ、と言っているようにしか思えませんでした。母国語を放棄するのは民族精神を放棄することに等しい。インディアンなど英語しか話せない有様。勇ましいのは西部劇だけで、米国では最も貧しいマイノリティになっている。
未来の内容を鮮明に正確に脳裏に描きだすはずの英語を使う米国が、ベトナム戦争やイラク戦争の失態を犯したのはいかなる理由でしょうね?また、キリスト教原理主義の蔓延る風土はどう説明する?
先日「ジャパン・ハンドラー」という言葉を知りました。日本を操る者の意味で、日本を操るアメリカの政治家・官僚・知識人たちを指します。もちろん日本人協力者も多数おり、マスコミに登場する文化人などもそう。大英帝国のインド支配とよく似ています。
noga氏のブログから一部引用しますが、面白いですよ。これは教育方針ではなく、先天的に想像力が欠けているとしか思えない。軍国主義のためではなく、本人自身の問題ではないでしょうか?全て日本社会のせいにしているのって、サヨク思想ですね。
「子供の時から思い込みが強いほうで、損ばかりしている。子供のころは、「日本は必ず勝つ」という軍国主義の神話を教えられ、それを固く信じていた…何せ、我々は、丸暗記と受け売りの学校教育しか受けていないので、もちろん問題を解決する能力は持っていない…」
「日本人に関する '有ること' と '無いこと'。感性があって、理性がない。感想を述べるが、理想を語らない…」
さて、紹介された映画はかなり前ТVで見ました。懐かしいですね。公開当時の1975年、私は生まれたばかりなので(藁)、映画館では見れませんでした。高倉健が悪役で登場したのが面白かった。
今の新幹線と違い、丸みを帯びたひかり109号のかたちが何ともカワイイですね。今はアヒルのくちばしのような長い鼻先になってしまい、シャープというより、キツイ印象です。
こんばんは、mugiさん。
コメントありがとうございます。
日本語に限らずどんな言語であっても、優れた点もあれば欠点はあると思えます。また、完全無欠の言語なんて信じるのは、某半島人みたいですね。
歴史は難しいですね。歴史的事実とされる事を知るだけで、歴史を知れるのでしたら、どんなに簡単な事なのでしょう。また、その歴史的事実とされる事が正しいか否かの判断だけではなく、何故、人は同じ過ちを繰り返すのかを知る事とは、150万光年程違いますでしょうか。
ところで、映画のお話ですが、ひかり109号は0系と呼ばれる新幹線だと思われます。また、現在の新幹線(N700系?)と違い、ほんわかとした雰囲気がありますね。