ペーパードリーム

夢見る頃はとうに過ぎ去り、幸せの記憶だけが掌に残る。
見果てぬ夢を追ってどこまで彷徨えるだろう。

散髪・フルーツサンド・講談・岩波カフェ

2021-02-15 11:26:17 | 暮らしあれこれ
2021.02.12.fri.

 

今日は中目黒で髪切って(4か月ぶりのベリィショート!)、
ダイワスーパーのフルーツサンド買って(昼時は相変わらずの行列。

 

行列といえば、ミスドのピエール・マルコリーニコラボフェア、高井戸店で50人ほど並んでた)、
そのあと、神保町らくごカフェで琴調さんの講談聞いて、
岩波で本3冊買って、カフェでひと休み🎶 
アンバタートーストと四六判珈琲、美味。


昨日2月11日は、琴調さんが寳井馬琴師匠のお家へ初めて伺った日なのだとか。
時は昭和49年、肥後熊本から鈍行で二十数時間かけてお江戸に上京したのだそうだ。
お土産に晩白柚を2つ手にして。
その五代目馬琴師匠の文京区千駄木の邸宅
(バッキンガム宮殿もとい馬琴ガムと呼んだとか呼ばないとか?)は、
長谷川町子さん所有の土地を方角がいいからと頼み込んで譲り受けたそうな。

その家に住んでいたお嬢さんが、いま私が所属する歌会の大先輩。
御年85にして元アナウンサーの美声で朗読してくださる素敵な女性なのだ。
昨日も歌会でうっとりとそのお声に聞き惚れました。

というのは余談ですが、久しぶりの講談、面白かった〜🎶
 

一席目は「間垣平九郎と度度平」の珍妙なお話。
これと言って盛り上がるわけではないのだが、なんか可笑しい。

途中で琴調さん「これ、師匠の最後の席でやった話ですわ。
わたしも引退の時はこれにしよう!」なんて言い出したりして。

中入り後は、大石内蔵助の介錯をした細川藩の足軽、小田小右衛門の話。
切腹前に身分を聞かれた小田が、
足軽に介錯されるのは気の毒だと自分の身分を偽って伝えてしまう。
良心の呵責から、内職をして金を貯め、年に一度その身分の格好をして
大石の墓参をしていたのがばれて謹慎処分に。
その後、その身分に召し抱えられるという人情噺。

昔は5、6人聞きに来てくれれば御の字だったが、
こんなコロナ禍の真っ昼間、大勢のお越し
(といってもらくごカフェだから30人弱?)をありがとうございました、と。

27日の江戸日本橋亭での独演会は50人限定なんだとか
(あいにくzoomMTGで行かれないのだが)。誰が見ても赤字です。
オンライン歌舞伎とかオンラインミュージカルとか出回ってはきたけれど、
やっぱり舞台ってそういうものではないでしょう。
演者にとったら、本当に大変な世の中です。

針供養

2021-02-15 11:23:06 | 暮らしあれこれ
2021.02.08.mon.

2月8日は針供養の日。
祖母が和裁士だったので、
この日はお豆腐に曲がった縫い針や待ち針を刺していたのを思い出す。
今の私はそんな針をプラケースに入れたまま
「さて、どーしたものか」と眺めているだけだけど^^;

聞けば、友人のお母様曰く
「布地と違って、針が楽に通るから楽をさせてお礼の代わりにするの」
だそうです。
改めて、いい風習ですね。
残していきたい日本の行事のひとつです。

京都では12月8日に行うので、歳末風景とのことですが
関東では立春開けでもあるし、春を待つイメージかな。

 

虎屋の寒紅梅。この季節の生菓子です。
「今日はもうこの2つで最後なんです」
店に入って眺め始めた途端に背後からこの声。
うっかり、買っちゃったわよ(笑)

「均等に五弁の花びらに整えるのって、ベテランの職人さんでも難しいんです」
って。
しっとり美味でした。



旅立つ準備

2021-02-15 11:17:42 | 暮らしあれこれ
210203.wed.

それは見慣れた流れるような筆跡で、
まるで近況でも書かれているようなお手紙だった。

「無常の風は時をきらわず、といわれますが、いつしか我が身にもその時が来てしまいました。
 このお手紙をお手にされているあなた様、
 この度は私の葬儀におでかけくださいまして誠にありがとうございます。
(中略)現身としてのご挨拶はできなくなりましたが、遥かにあなた様の声なき声をお受けし、
 私も声なき声でお応えして、永遠の旅路につくことにいたします。(後略)さようなら。」

今年も年賀状をいただいたばかりだった。H先生は14年前に脳梗塞の疑いで入院。
それがヘルペスウイルスが原因の脳炎だとわかるまで10日がかかり、
結局はそのまま重い障害を負ってしまわれたのだった。
年賀状はいつもご主人様の代筆だったけれど、震えるような自筆の署名を見ると、
よくなられてきたとホッと安心しつつのこの年月だった。

最後にお見舞いに行ったのはいつだったろう。
転んで骨折したと聞いて駆けつけた横浜のリハビリ病院で会ったとき、
あの華奢で少女のように可憐だった先生のお姿とはあまりに違い過ぎていて、声を失ってしまった。
曇天の晩秋の日だった。長い入院生活で、言葉も少なくなっていたけれど、
ベンチに座って少しお話しした。
淡いピンクの部屋着がお似合いだなと思ったこと、
少し離れてご主人さまがそっと見守っておられたこと、
ガラスの扉越しに手を振って見送ってくれたこと、
そんなことがふわっと蘇ってきて涙が止まらなくなった。

また働き過ぎているんじゃないの? 
ちゃんと寝てますか? 
小坪の母が見てるわよ。

電話口でもお手紙でもいつも気遣ってくださったH先生。
鈴の音のような柔らかな声で、でも仕事は厳しくて、
家事研究家としての文章は細やかで的確で、いつも感謝するばかりだった。
2年前に101歳で他界された家事評論家の吉沢久子先生のことを尊敬して、
親しくされておられたことも思い出す。

逗子市小坪のご自宅に仕事以外で伺ったこともあった。
よく弾かれてたというピアノ、家族の写真やお花がたくさん飾られていた温かい空間。紅茶の香り。
あ、いつだったかお土産に持っていった私のお気に入りの健康茶が
「苦くて苦手よ」といわれて、笑ったこともあったっけ。
短歌を始めましたと手紙を書いたときには、すぐにご自分の好きな万葉集の数首が送られてきた。
時折り思い出したように送ってくださったH先生もご愛用の日本橋榛原の便箋は、
最後まで使い切るのがもったいなくて、少しだけ残してある。

言語障害、嚥下障害を併発し、幾度かの骨折を克服しながら入退院を繰り返し、
それでもご家族で旅行も楽しまれていたようだ。
昨年3月からコロナ感染防止のため、入院していた病院は全面面会謝絶。
リモートでの面会も始めていたようだが、
この1月8日にはご主人様と10か月ぶりの直接面会をする予定だったという。
なのに、なのに、その5日前に、80年の地上での務めを果たしたように
苦痛もなく安らかに天国へ旅立たれたと、ご主人様の手紙に綴られていた。

H先生は病気になる前から自らの葬儀についてと
葬儀に来られた方々へのお別れの手紙を遺されていて、
亡くなられたあと、それが金庫から見つかったのだそうだ。
驚きと愛する妻に対する尊敬と感謝の念、ご主人様のお気持ちが手にとるようにわかった。



「わたしの葬儀
キリスト教式で簡素な式を望みます。
讃美歌は405番、452番(故人愛唱歌)
供花、供物、花料は一切頂戴しないよう固辞してください。
私は花が大好きですから、祭壇の飾り花はなんでも自由になさってください。」

またH先生は、参列者と遺族が芳名録と挨拶状、お香典返しのみの関係で終わっている
昨今の葬儀のあり方が残念だと感じておられたようで、
「特別なお願いとして、参列者に葉書を渡し、
それに故人との関係と思い出を書いて送っていただき、遺族が読めるようにしてほしい」と。。。

ああ、、、H先生らしいな。
はい、そうします。早速ご主人様にお手紙書きます。
H先生、小坪のお母さん、
どうかどうか天国で安らかにお眠りくださいね。
さようなら。

昨秋から、大好きだった方が次々と旅立っていかれる。
そして昨日の晩、以前お世話になった某誌の編集長の訃報も聞いて、
ちょっとがっくりきています。

本日、立春。


明日は立春。

2021-02-15 11:13:06 | 暮らしあれこれ
210202.tue.

久しぶりに善福寺川緑地ウォーキング(しかもノルディック用ポール持参!)。
往復約6km、8300歩ほど。

今朝方の大雨が残していった水溜りに映る景色が好きだ。


白木蓮がもう芽吹いている。
結構な頻度で飛行機が空を横切るね。すっかり慣れてしまった感じ。


オナガの大群?が占拠する樹のシルエットは、堀文子さんの絵みたいだ。
絵の静かさに比べて、ギャアーギャアーと五月蝿い樹 σ^_^;
  

カルガモの親子、オナガガモの番い、
濁って増えた川面で餌取りに余念がない。
長閑な風景。
 

フレキシブルなジャングルジムかのような遊具。
カッコいいね。


そして、本日の収穫はオオタカ! 
夕方になるとわらわらとカメラマンやウォッチャーがたむろするオオタカスポットで発見。
じーっと背を向けて動かなかったですけどね。ちょっと嬉しい気分です。
 

乙女椿も山茶花も蝋梅も、春の花は優しい。
 

明日は立春。