天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

群れ社会

2014年01月17日 | 科学
高崎山ボスザル:「ベンツの死」を認定 26日にお別れ会
2014年1月17日(金)19:10 (毎日新聞)
 大分市は17日、昨年12月17日から行方不明だった高崎山自然動物園のC群ボス猿、ベンツ(推定35歳)が死んだと認定した。行方が1カ月以上分からず群れに戻る例はほとんどなく、人間なら110歳超の同園最高齢でもあり「区切り」とした。ベンツは二つの群れで初めてボスになるなどの伝説を残し人気も抜群だった。お別れ会は26日、同園で行われる。
 ベンツは推定で1978年生まれ。きりっとした表情と体格の良さなどから高級外車の名がつけられた。
 9歳だった87年10月に同園史上最年少でB群ボスに就任したが、90年1月にC群の雌リズと駆け落ち。恋愛で失脚したボスは初めてだった。C群では最下位から下積みを重ね、2011年2月に32歳でC群ボスに昇格。史上最高齢で2群のボス就任も初めてだった。
 B群時代は温和な気性だったが、C群では徐々に“武闘派”に。子猿を石垣から10メートル下の地面に放り投げ、客に跳び蹴りするなど職員らから恐れられる存在だった。C群ナンバー2だった02年には約120頭多いA群と対立。ベンツが攻撃を始め、C群の猿が次々と後に続いてA群を餌場から追い払い、消滅させた。
 昨年9月に失踪したが、その時は山から約7キロ離れた所で保護された。失踪の原因は不明だが、認知症も疑われ、老いを感じさせた。同園は「復活」「長寿」の象徴としてベンツ像を製作し昨年12月のイケメンザル選抜総選挙でも1位になるなど人気はうなぎ登りだった。しかし、最後に確認された同月中旬には、かなり弱っていたという。
 同園関係者は「もしかしたら生きているのではとの望みを持っている。ベンツは家族同様で心の整理がつかない」と肩を落とした。
 C群ボスにはナンバー2のゾロメ(推定27歳)が昇格予定で2月2日にボス就任式を行う。【佐野優】

 サルとヒトとの違いは、笑顔と言葉。ヒトでも笑顔と言葉をあまり使わない人は、ベンツによく似ていまして、ほぼ原始本能によってのみ行動します。高齢化するとわずかながら培ったものも萎縮し、自己防衛本能が際立ちます。大変なのは周りですが、これも原始本能であるクオラムセンシングにより秩序が保たれているようです。
 クオラムセンシングは、同種の別個体間で情報伝達し、抑制する本能で、真正細菌は自分と同種の菌の生息密度を感知して、それに応じて物質の産生を抑制しています。昆虫などのフェロモンもこの本能によります。
 ヒトは五感だけでも受け取る情報が多く、主に言葉で情報交換していますが、最後の集団維持はこの本能によります。
 「A群を消滅させた」とありますが…

小野田寛郎語録

2014年01月16日 | 不易
 豊かさは自分の心で感じるもの。不便さは何とかなる。最後は自分の五体で何とかなる。

 計画どおりにいかないことは沢山あるが、思いどおりにはいくものだ。不満などどうってことはない。自分の満足度を少しだけ変えればよいのだから。

 危機なんてどうってことはない。ルパング島では毎日が危機だった。負けたわけでもないし死んだわけでもない。危機は乗り越えればいい。
 最近は「危機管理」という言葉が流行しています。マニュアルや規則ばかりにこだわっていたら、危機は乗り切れません。これらは必要最小限のもの。最後は自分で判断し、行動しなければなりません。

 「銃弾は飛んでくるとき蒼白い閃光を放つから、それを避ければいい」自著『小野田寛郎―わがルバン島の30年戦争』で。命を賭けなければいけないと必死になった瞬間、頭が数倍の大きさに膨らむ感覚と同時に悪寒に襲われ身震いし、直後、頭が元の大きさに戻ったと感じると、あたりが急に明るく鮮明に見えるようになった。「夕闇が迫っているのに、まるで昼間のような明るさになりました。そして、遠くに見える木の葉の表面に浮かぶ1つ1つの脈まではっきり認識することができました。そうなると、はるか先にいる敵兵の動きも手に取るように分かります。それこそ、相手が射撃をする直前にサッと身をかわして銃弾を避けることさえできると思いました」 。
 「直進する物は物理的に見えるんですよ。(中略)真っ直ぐ自分のほうに伸びてくるんだから見えます。(中略)撃たれたときは、火を噴いている銃口から見えた。(中略)相手の突きを避けられるのだから避けられますよ。」『月刊秘伝』2004年7月号でのインタビューで。

 馬鹿な人は嫌いだ。馬鹿な人とは頭の悪い人のことではない。自分勝手で思いやりや常識のない人のことだ。人は一人では生きられないのだから。

 笑ってすませる時もあれば叱ってすませる時もあるが、決して怒ってはいけない。怒っている時は獣になっている。

 やってしまったことは「しかたがない」これからどうするかだ。くよくよすれば負け犬になってしまう。負け犬は遠くからほえるだけでむかってこない。

 他人に言われてする反省は後悔にしかなりません。自分で気づいた反省は将来の改善になります。しかし、自分で反省するには、謙虚さ、素直さ、そして冷静さが必要です。難しいことです。

 自制や自律は筋肉と同じ。鍛錬すれば強くなり、放っておくと生まれた時の自我に戻ってしまう。

 ヒトは霊長類ヒト科の動物です。人間は社会で生きる人のことです。今の世の中には「人間」と「ヒト」の区別がつかない動物が沢山います。

 日本に帰還した時、やたらと「権利と義務」という言葉が目についた。私が少年の頃は「まず義務を果たすこと」と教えられた。権利は、義務を果たせば自ずと与えられるもの。

 世の中には、できそうにないことでもやらなければならないことがあるし、できることでもやってはいけないことがある。この判断基準こそがその人の価値を決める。

 できない理由が分かればしめたもの。それを解決すればできる。要は、やる気があるのかないのか。それが結果を変えてしまいます。

 事実は千差万別。人それぞれで見方が変わるものですが、真実は一つ。事実と真実をしっかり見極める眼力を養うことが必要です。正しいと思ったことでも事実であっても真実でないこともあるのです。思い込みは危険です。

正身

2014年01月01日 | 不易
【正論】年頭にあたり「日本人に返れ」の声が聞こえる 2014.1.1 02:25 □文芸批評家 都留文科大学教授・新保祐司より抜粋
 出光興産の創業者、出光佐三に『日本人にかえれ』と題した著作がある。この40年ほど前の呼びかけは、今日一層の重みを持って日本人の心に響いてくるのではないか。
 今や、日本人は精神の芯を大方(おおかた)失ってしまったからである。文明開化以降150年ほど経過して、特に「戦後民主主義」の下で日本人であることからあまりにも離れてしまった現在の日本人は、改めて「日本人にかえ」らなければならなくなったのである。
 出光佐三の言葉に「僕は青年に呼びかける。政治家をあてにするな、教育に迷わされるな、そして祖先の伝統の血のささやきを聞き、自らを頼って言論界を引きずれ、この覚悟をもって自ら鍛錬し、修養せよ、そして、その目標を明治時代の日本人たることに置け」という呼びかけがあるが、この「祖先の血のささやきを聞」くことによって日本人は「日本人にかえ」ることができるのであり、戦後の風習や世上を覆う通念から「脱却」しなければならない。~抜粋ここまで

 「明治時代の日本人」とは、「論語」、「大学」などを学び、自由、民主主義を追い求めた人々と想像します。自ら学んだのではなく、押し付けられたとする実際の民主主義の下での人々は、明治時代以前の特別な権力者、権力体制にかえろうとしてきたと想像します。まず目標を明確にしなければなりません。

余録:これでまあ/七十年生きてきたわけやけど…
毎日新聞 2014年01月01日 00時49分(最終更新 01月01日 02時10分)
 これでまあ/七十年生きてきたわけやけど/ほんまに/生きたちゅう正(しょう)身(み)のとこは/十年ぐらいなもんやろか/いやぁ/とてもそんだけはないやろなあ/七年ぐらいなもんやろか/七年もないやろなあ/五年ぐらいとちがうか/五年の正身……▲京都の詩人、天野忠(あまの・ただし)の詩「新年の声」である。詩はこう続く。<ふん/それも心細いなあ/ぎりぎりしぼって/正身のとこ/三年……/底の底の方で/正身が呻(うめ)いた。/--そんなに削るな。> わが「正身」の声にじっくりと耳を傾けたくなる新しい年の訪れである▲ぶ厚い日めくりとまだ白紙の日記と。過ぎた年も多くの時を無駄にした身には、新たにまっさらな時間がたっぷり与えられたように感じる新年のありがたさだ。もっとも今年もしばらくすれば「正身」の乏しい時のよどみに身を委ねるはめになりそうなのが情けない▲ただ未来へ一直線に流れる時しかなければ人生はひどく息苦しくなろう。逆にまわり巡(めぐ)る時しかなければ人の世から歴史や未来への方向感覚が失われる。その二つの時間の中で、世代から世代へと受け継がれるべき良いもの、美しいものがこの世の「正身」であろう▲去年を振り返れば、震災の被災地の復興は滞りが目立つ。経済の持続的回復の筋道はなおも描けていない。日本を取り巻く国際環境は不確実性を増した。ともすれば時代の方向感覚を失いがちな世にあって、私たちはどんな未来を次の世代へと譲り渡せるのだろうか▲人々の新たな出会いや協力がこの世の時を未来へと刻み直し、継承さるべき「正身」を生み出していく。新しい年がそうなればどんなにいいだろう。

 69年になる民主主義憲法下にありながら、特別な権力をもちたいと生きてきた人の正身は、天の岩戸に閉じこもったままです。岩戸から誘い出すような方策を考えなければ…。顔を覗かせた時、69年の正身となります。