天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

真実

2014年03月15日 | Weblog
天声人語
2014年3月15日(土)付

 徒然草(つれづれぐさ)に学問の力について論じた文章がある。兼好(けんこう)法師によれば、勝負ごとや競争というものはよろしくない。人をあざむいて自分が勝(まさ)っていることを喜ぶのは、礼に反する▼学問をしなさい。そうすれば自分を誇らず、友と争うべきでないことがわかる。重職を辞し、大きな利を捨てることができるのも学問の力だ、と。なにごとも自分を後回しにし、他人を優先するのがよい。慧眼(けいがん)の人はそう説いている
 ▼現代の科学の世界では、そんな悠長なこともいっておれないのだろう。先端をゆく研究分野では日々、熾烈(しれつ)な先陣争いが繰り広げられている。常識破りの成果として世界中を仰天させた「STAP(スタップ)細胞」も、激しい競争の産物だったか▼快挙達成の有力な証拠とされた画像は、ほかの論文と同じものだった。時の人となった小保方晴子(おぼかたはるこ)さんの属する理化学研究所は、きのう記者会見でそういう判断を明らかにした。調査はさらに続くが、研究の根幹に大きな疑問符がついてしまった▼ほかにも不正が疑われる点がある。「常道を逸している」。会見で語られた言葉に事態の深刻さが浮かぶ。本当に万能細胞はできたのか。それが核心とはいえ、その手前での問題が多すぎる
 ▼以前、深く共感した解剖学者の養老孟司(ようろうたけし)さんの文章を思い出した。それぞれの職業人が真のプロ意識を持て、と説いていた。創造性とは〈要するに自分の天職を詰め切ること〉から生まれるのだ、と。実験も論文執筆も天職ではなかったのか、と考え込む。


春秋
2014/3/15付

 一方にノーベル賞にも値するというみごとな成果がある。そしてもう一方には、小学生でも夏休みの自由研究でこういうことをしてはいけないと教えられるようなごまかしの跡がみえる。STAP細胞をめぐる物語はそれでも真実なのか。門外漢は戸惑うばかりである。▼生命の常識を覆す世紀の大発見を割烹着(かっぽうぎ)姿の30歳の女性が中心になって成し遂げたという筋書きは、ひとまずなかったことにせざるを得まい。きのうの理化学研究所の記者会見で疑いはむしろ深まった。でも、もしSTAP細胞発見が真実ならば必ず世が証明してくれる。そうあってほしい、と願うのは甘すぎるだろうか。▼生命科学者の中村桂子さんに「科学者が人間であること」という著書がある。震災の体験を踏まえ、生活者であり自然と向き合う人間でもあるという当たり前のことを科学者自身が忘れていなかったか、と問いかけている。1カ月半前、さっそうと現れた小保方晴子さんに人間であることの魅力を大いに感じたものである。▼小保方さんには3年前の博士論文でもネット上の英文を20ページ分もコピーして貼り付けた疑いが出ている。どうしてそんなことを。なぜ誰も見抜けなかったのか。まだまだ分からないことだらけなのだが、今度の騒ぎともつながっているのだろう。いまふと感じるのは、こう言ってよければ、人間であることの弱さ、である。

 魅力を感じた「本能」を信じる。後の声に魅力を感じるか。

 「真実」は世が証明するものではありません。徹底した取材と自分の想像力で掴むか、記憶から素直に引き出すしかありません。

 静かで謙虚、強いのが「正義」人間はそういうものに魅かれます。