アメリカの実験映画作家の大御所
ケン・ジェイコブスの新作『ラザル・ダザル/ザ・ロスト・ワールド』
の上映が決定しました。
5月30日(金) 1回限りの上映です。お見逃しなく!
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『ラザル・ダザル/ザ・ロスト・ワールド』
RAZZLE DAZZLE the Lost World
ケン・ジェイコブス作品 Ken Jacobs
2006年 91分 ビデオ(DVD上映)
2008年5月30日(金) 19:30
東京・なかのZERO視聴覚ホール
料金:1,000円
主催:ミストラルジャパン、One's Eyes Film
協力:ケン・ジェイコブス
問合せ:042-380-8270/info@mistral-japan.co.jp
フィルムの巨匠が、彼独自の魔法の杖で、一本の古い映画にタッチする。そして、見よ、消えた世界の幻覚的な新しい形を。
ケン・ジェイコブスは、達人だ。そう、既存のフィルムのイメージに変化、歪み、破壊、再生を起こす魔術師なのだ。時に、彼自身のフィルムに、または、最も古い映画撮影アーカイブの資料に。『RAZZLE DAZZLE the Lost World』は、トマス・エジソンの時間とセルの冒険的な旅の初期のフィルムから始まる。実際の作者は、エジソンの会社に勤めていたA.C. Abadieだ。フィルムは1903年のもので、遊園地で遊ぶ人々を記録している。まるで、顕微鏡で見ているかの様に、ジェイコブスは、ひとつひとつの動きと素材の中の細胞を調査し、彼の手で息を吹き込む。さらに、「失われた世界」に関して彼のストーリーの深さを示す、歴史的な他の写真も使っている。その内容は、20世紀初頭の生活だけでなく、本来は彼が探求している映画の質について言及している。視覚的なダンスとして、作品は多くの反復で溢れている。その反復が、意識的に和らげる効果を持ち、元のドキュメンタリー資料を幻覚と言われるものに変えているのだ。
フィルムが、その時間 - 空間とも言える- を通して、完全に古いイメージを脱構築し、新しい生命を与えている。謎と隠れた意味だらけの生命。
(GjZ/訳:塚田純子)
ケン・ジェイコブスとは一体何ものだろう? 誰も知らない。彼のある部分はすべて形態である。それは彼のすべては内容であるというのと同じだ。芸術においては、形態以外に問題になるものはないのだから。どんな芸術作品であろうと、本当に問題になる次元でとりあげるべき問題は形態である。形態とは何か? 誰が知ろう? ベレンソンは言った。「形態(フォーム)とは内部からの輝きであり、一定の状況のもとでそれが完全に現実化した時に到達する形(シュープ)である。」さらに別のところではこうも言う。「形態とは不可視的なものの生命高揚の様相である。」これで少しははっきりしただろうか。 (中略) 動きとカメラと形態は不可分である。動きの質、動きの構造、動きの形…それはまったくリアルである。その上非常に明晰だ。混乱しやすいものはすべて排除されている。ものによる音楽だけが残されている。そのためにそれはまっすぐわれわれに達し、輝きを与える。明晰なものはすべてわれわれに輝きを与える。
ジョナス・メカス「メカスの映画日記」より (訳:飯村昭子)
ケン・ジェイコブス(1933~)
1933年ニューヨーク生まれ。アメリカン・アンダーグラウンド・ムーブメントのスターであった故ジャック・スミスとのコンビで映画を作り始める。『幸福の小さい傷』(1959-63)は圧倒的な崩壊感覚とモラル喪失感を表現し、ジョネス・メカスをはじめとする映画作家たちから絶賛を浴びる。作風はしだいに視覚的バランスのとれたものに変化し、『トム、トム、笛吹きの息子』(1969)に代表される「構造映画」の先鞭をつけた作家と評される。66年ミレニアム・フィルム・ワークショップを設立し、上映プログラムのディレクションから映写まで行う。その後ニューヨーク州立大学映画学科などで教鞭をとる。
70代になった現在でも精力的に作品を制作し、1996年にはニューヨーク近代美術館で、2004年のロッテルダム国際映画祭で大規模な回顧上映が組まれる。1993年に来日し、特殊な上映パフォーマンス『チェリーズ』(1980)などを披露した。
ケン・ジェイコブスの新作『ラザル・ダザル/ザ・ロスト・ワールド』
の上映が決定しました。
5月30日(金) 1回限りの上映です。お見逃しなく!
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『ラザル・ダザル/ザ・ロスト・ワールド』
RAZZLE DAZZLE the Lost World
ケン・ジェイコブス作品 Ken Jacobs
2006年 91分 ビデオ(DVD上映)
2008年5月30日(金) 19:30
東京・なかのZERO視聴覚ホール
料金:1,000円
主催:ミストラルジャパン、One's Eyes Film
協力:ケン・ジェイコブス
問合せ:042-380-8270/info@mistral-japan.co.jp
フィルムの巨匠が、彼独自の魔法の杖で、一本の古い映画にタッチする。そして、見よ、消えた世界の幻覚的な新しい形を。
ケン・ジェイコブスは、達人だ。そう、既存のフィルムのイメージに変化、歪み、破壊、再生を起こす魔術師なのだ。時に、彼自身のフィルムに、または、最も古い映画撮影アーカイブの資料に。『RAZZLE DAZZLE the Lost World』は、トマス・エジソンの時間とセルの冒険的な旅の初期のフィルムから始まる。実際の作者は、エジソンの会社に勤めていたA.C. Abadieだ。フィルムは1903年のもので、遊園地で遊ぶ人々を記録している。まるで、顕微鏡で見ているかの様に、ジェイコブスは、ひとつひとつの動きと素材の中の細胞を調査し、彼の手で息を吹き込む。さらに、「失われた世界」に関して彼のストーリーの深さを示す、歴史的な他の写真も使っている。その内容は、20世紀初頭の生活だけでなく、本来は彼が探求している映画の質について言及している。視覚的なダンスとして、作品は多くの反復で溢れている。その反復が、意識的に和らげる効果を持ち、元のドキュメンタリー資料を幻覚と言われるものに変えているのだ。
フィルムが、その時間 - 空間とも言える- を通して、完全に古いイメージを脱構築し、新しい生命を与えている。謎と隠れた意味だらけの生命。
(GjZ/訳:塚田純子)
ケン・ジェイコブスとは一体何ものだろう? 誰も知らない。彼のある部分はすべて形態である。それは彼のすべては内容であるというのと同じだ。芸術においては、形態以外に問題になるものはないのだから。どんな芸術作品であろうと、本当に問題になる次元でとりあげるべき問題は形態である。形態とは何か? 誰が知ろう? ベレンソンは言った。「形態(フォーム)とは内部からの輝きであり、一定の状況のもとでそれが完全に現実化した時に到達する形(シュープ)である。」さらに別のところではこうも言う。「形態とは不可視的なものの生命高揚の様相である。」これで少しははっきりしただろうか。 (中略) 動きとカメラと形態は不可分である。動きの質、動きの構造、動きの形…それはまったくリアルである。その上非常に明晰だ。混乱しやすいものはすべて排除されている。ものによる音楽だけが残されている。そのためにそれはまっすぐわれわれに達し、輝きを与える。明晰なものはすべてわれわれに輝きを与える。
ジョナス・メカス「メカスの映画日記」より (訳:飯村昭子)
ケン・ジェイコブス(1933~)
1933年ニューヨーク生まれ。アメリカン・アンダーグラウンド・ムーブメントのスターであった故ジャック・スミスとのコンビで映画を作り始める。『幸福の小さい傷』(1959-63)は圧倒的な崩壊感覚とモラル喪失感を表現し、ジョネス・メカスをはじめとする映画作家たちから絶賛を浴びる。作風はしだいに視覚的バランスのとれたものに変化し、『トム、トム、笛吹きの息子』(1969)に代表される「構造映画」の先鞭をつけた作家と評される。66年ミレニアム・フィルム・ワークショップを設立し、上映プログラムのディレクションから映写まで行う。その後ニューヨーク州立大学映画学科などで教鞭をとる。
70代になった現在でも精力的に作品を制作し、1996年にはニューヨーク近代美術館で、2004年のロッテルダム国際映画祭で大規模な回顧上映が組まれる。1993年に来日し、特殊な上映パフォーマンス『チェリーズ』(1980)などを披露した。