部活と勉強をがんばって両立していた中学生が、3年で部活を引退した途端に勉強にも身が入らなくなってしまうことがある。
高校でも、帰宅部の子より部活に熱中している子の方が成績がよいことも多い。
もちろん、勉強ができなくなるまでくたくたに疲れる部活では本末転倒だが、少々忙しい方が時間を大切に使い、集中力も増すということだろう。
これは大人でもみんな経験していること。
仕事でも家事でも、あり余る時間があるときは「いつでもできる」という思いがあるためか、やるべきことがなかなか片づかない。
やることがいっぱいあるときの方が、集中して次から次へと課題をこなせる。
人間とは不思議なものである。
昨日の信濃毎日新聞の投書欄に、車の使用を半分にしたという佐久地方の男性(私と同い年)の話があった。
その中で気になった一節をご紹介する。
「いつでも出掛けられるという車ならではの利便性が、時間の使い方をルーズにしてしまったような気がします。」
時刻表を見る必要がないほど次々に電車が来る都会と違って、地方では公共交通機関は甚だ使い勝手が悪い。
私の町のように電車の駅そのものが存在しない(「最寄り」の駅まで20km以上)所もあるし、あっても1時間に1、2本しか列車が来ない所も多い。
長野市街から私の町に来るバスは1時間に1本。
それも町の中心部までで、私の住む集落には町営バスに乗り継がないと辿り着けない。
日曜日には町営バスは走らないので、車がないと動きが取れなくなる。
結局、長野市方面へ通勤する人はほぼ100%マイカー通勤。
高校などへの子どもの通学も、親が長野まで送迎している家庭もあるし、少なくとも町中心部までは車が頼りである。
特に私の仕事は夜が遅いので、バスはとっくになくなっている。
車がなければ1日も立ち行かない。
それがあたり前すぎて、時間の使い方など深く考えたこともなかった。
いや、逆に、車があるから効率的に時間が使えているのだと信じて疑わなかったのだ。
家を出る時刻が予定より4,5分遅くなっても、車なら大した遅れもなく塾に着ける。
バスや電車ではそうは行かない。
2,3分の遅れがたちまち1時間の遅れに広がってしまう...。
しかし、この投書を読んで改めて考えた。
多少時刻がずれてもいいという安心感が、密度の低い時間を作り出しているのではないか。
もう少し、もう少しとダラダラ仕事を続けていたり、けじめのない日常生活を送っているのではないか。
特に、教材を作ったり文章を書いたりという作業は、どこかで区切りをつけないと際限がなくなる。
もっとよいものをという思いがあればこそ、いくら時間があっても足りなくなるのだ。
私のような個人塾では、自分で締め切りを決めてそれを遵守するようにしないと大変なことになる。
現状では車を使わない生活は不可能だが、何時までには必ずこれを片づけるとか、何時を過ぎたら塾を出るとか、けじめをつけた生活を送ることを考えてみたい。
時間をかけさえすればいいものができるとは限らない。
むしろ短時間集中で行った作業の方が質の高いものを産むのではないだろうか。
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高校でも、帰宅部の子より部活に熱中している子の方が成績がよいことも多い。
もちろん、勉強ができなくなるまでくたくたに疲れる部活では本末転倒だが、少々忙しい方が時間を大切に使い、集中力も増すということだろう。
これは大人でもみんな経験していること。
仕事でも家事でも、あり余る時間があるときは「いつでもできる」という思いがあるためか、やるべきことがなかなか片づかない。
やることがいっぱいあるときの方が、集中して次から次へと課題をこなせる。
人間とは不思議なものである。
昨日の信濃毎日新聞の投書欄に、車の使用を半分にしたという佐久地方の男性(私と同い年)の話があった。
その中で気になった一節をご紹介する。
「いつでも出掛けられるという車ならではの利便性が、時間の使い方をルーズにしてしまったような気がします。」
時刻表を見る必要がないほど次々に電車が来る都会と違って、地方では公共交通機関は甚だ使い勝手が悪い。
私の町のように電車の駅そのものが存在しない(「最寄り」の駅まで20km以上)所もあるし、あっても1時間に1、2本しか列車が来ない所も多い。
長野市街から私の町に来るバスは1時間に1本。
それも町の中心部までで、私の住む集落には町営バスに乗り継がないと辿り着けない。
日曜日には町営バスは走らないので、車がないと動きが取れなくなる。
結局、長野市方面へ通勤する人はほぼ100%マイカー通勤。
高校などへの子どもの通学も、親が長野まで送迎している家庭もあるし、少なくとも町中心部までは車が頼りである。
特に私の仕事は夜が遅いので、バスはとっくになくなっている。
車がなければ1日も立ち行かない。
それがあたり前すぎて、時間の使い方など深く考えたこともなかった。
いや、逆に、車があるから効率的に時間が使えているのだと信じて疑わなかったのだ。
家を出る時刻が予定より4,5分遅くなっても、車なら大した遅れもなく塾に着ける。
バスや電車ではそうは行かない。
2,3分の遅れがたちまち1時間の遅れに広がってしまう...。
しかし、この投書を読んで改めて考えた。
多少時刻がずれてもいいという安心感が、密度の低い時間を作り出しているのではないか。
もう少し、もう少しとダラダラ仕事を続けていたり、けじめのない日常生活を送っているのではないか。
特に、教材を作ったり文章を書いたりという作業は、どこかで区切りをつけないと際限がなくなる。
もっとよいものをという思いがあればこそ、いくら時間があっても足りなくなるのだ。
私のような個人塾では、自分で締め切りを決めてそれを遵守するようにしないと大変なことになる。
現状では車を使わない生活は不可能だが、何時までには必ずこれを片づけるとか、何時を過ぎたら塾を出るとか、けじめをつけた生活を送ることを考えてみたい。
時間をかけさえすればいいものができるとは限らない。
むしろ短時間集中で行った作業の方が質の高いものを産むのではないだろうか。
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私は、ワーキングマザーを長いことやっていたので、時間の使い方は、かなり工夫しました。
子供との時間を少しでも多く確保するために、どうすれば、より早く家事をこなせるか?をいつも考えながら生活していました。
ところが、仕事を辞め、時間に余裕が出来た途端、テキパキと動けなくなってしまったのです。
ほんとうに、人間って不思議です。
あんなに、時間が欲しい~と思っていたのに、いざ時間が与えられると、思っていたことの半分も出来ませんでした。
時間を有効に使うには、強い意志が必要!と同時に「何をするのが自分にとって一番有効な時間の使い方」なのかを知ることが必要だな、と思いました。
今日の記事は私の状況にちょうどタイムリーなものでありました。感謝です。m(_ _)m
死ぬまでの時間は限られていますもんね。
がんばります!
時間の使い方……確かに、ボクの周囲(今のところ高校生)でもそういう例はありますね。特に、前半部分は自分でも実感しているところがあります。
長いことひまな時間が多い高校生活を送っていました(勉強は……とりあえず置いておいてください。)。ですが三年になってから、委員会の役員をやり、部活動に入り、受験が目前になった。このような状況。自分が、どんどん追い込まれていくのがわかりましたが、その反面充実した毎日を送れたのです。
桐さんの仰る、《部活と勉強をがんばって両立していた中学生》。そのような人は、きっと日々が充実しているのだと思います。
冗長になってしまい申し訳ありませんでした。後半部分について書けませんでしたが、もちろん読ませて頂いています。これからも、更新等々頑張ってください。
では♪
確かに、元は「慣れ」からくるものではないでしょうか?
私自身、この言葉の取り違いがすごく嫌いです。
時間があるということになれてしまうと、いつの間にか無駄な時間が出てくると思います。ぼーっとする時間は非常に大切なんですが、それとは違った「ムダ」な時間....これを無くさないとと思ってますもので。
お金では買えません(反ホリエモン風語録)
ワーキングマザーは本当に大変だと思います。でも仕事を辞められてよかった部分もたくさんありますよね。今のyuminさんの暮らしぶりは、ブログから察する限り、とても充実しているように思いますが...。
もうインフルエンザからは完全復帰ですね。
50が近づくと「残りの時間」考えてしまいます。いつ旅だってもいいように1日1日を大事にしなければ....。と言いながら、また無為な時間を過ごしてしまいますが...。
高校生が書き込みしてくれるなんて感激です!
3年になってから委員会と部活?....なかなかできないことです。でも委員会は結局誰かがやらなきゃいけないもの...。そのせいでつぶれてしまうのではなく、かえって充実した日を送れたということは、神様があなたを指名したということでしょう。
春からは大学生?社会人?いずれにしても環境がガラリと変わると思います。心身共に大事にね。また遊びに来てください。
ところでHNの「御法」ですが、これは「ごほう」?それとも「みのり」?投扇興の技の名(源氏物語の巻の名)にあるので....。
そう、ボーッとする時間は大切なんです。そこまで切り詰めてしまうと潤いのないパサパサの生活になります。昔読んだ本に、子どもにもそんな時間を確保することの重要性が書いてありました。1人で考え事をしていると「子どもらしくない」「元気に遊べばいいのに」と見られがちですが、ときにはそういう時間も必要です。
そうじゃない無駄な時間をどうなくすかですね。
ここ半年、「もうこれ以上切りつめるものは何もない。やりようがない!」という生活を体験しました。新聞を読む時間すらつくれない、もちろんTVを見る時間もない、碁を打つ時間もないetc. etc. 思考力がなくなり、日付も間違え、でも次の仕事が待っている、・・・
桐さんたちの援護のおかげで、なんとかこの状況を脱する目途がつきました。ありがとうございました。「テキパキ処理」、時間がない方ができますが、それも極限まで行くとツライです。
最近のHot Cakeさんの忙しさは尋常ではなかったですもんね。これからは精神的にも少しゆとりを持って、囲碁も楽しんでください。いい意味で「割り切る」ことも必要かと....。