ことばを鍛え、思考を磨く 

長野市の小さな「私塾」発信。要約力、思考力、説明力など「学ぶ力」を伸ばすことを目指しています。

移動距離と寿命

2006年05月09日 | 日々雑感
これまで毎年花見は、ソメイヨシノが群れて咲く、いわゆる「名所」ばかり行ってきました。
何百本、何千本という数の多い所に憧れ、一面桜に覆われた背景で家族の写真を取り続けてきました。

ところが今年は家族の休みと名所の満開時期がうまく合わず、1本だけで見事な花を咲かせる「名木」を見てきました。
長野市周辺では結構有名な、樹高20mのオオヤマザクラです。

県道沿いで訪れやすく、またその日の朝刊でも紹介されたので、人が多くでビックリ!
でもちょうど満開の時期に当たったようで、ピンクの濃い素晴らしい姿を楽しめました。

屋台が出たり、宴会で賑やかな場所での花見もいいですが、これからはこういう名木、古木を訪ね歩くのも一興だねと、あとで妻と話しました。
桜だけでも、一目見ておきたい木が、信州にはまだまだたくさんあります。

もちろん桜に限らず、齢を重ねた樹木というのは風格があって圧倒されますね。
横綱は縄文杉でしょうが、そこまでいかなくても大木には神の存在を感じます。
「もののけ姫」がヒットした例を出すまでもなく、日本人の精神の奥底には、木霊(こだま)の存在を身近に感じる心が脈々と受け継がれているように思います。

先日新聞で、ジャーナリストむのたけじ氏の文章を読みました。
ちょっと引用します。

「このごろ、動物と植物の違いを考える。植物は根を下ろした場所から動けない。津波が来ても火事が起きても。それでいて樹齢何百年の木がざらだ。ところが、動物は百年が精いっぱい。ここなんだ。ちょろちょろ動き回って危険から身を隠したり、好きなものを捕ったり。これが命を養う基のように見えて、本当は違うんじゃないか。」
 
マスコミに踊らされて行楽に走り回ったり、儲け話を耳にしては東奔西走する人たちを見ていると、氏の言葉が胸に響きます。
些細なことに一喜一憂せず、でんと構えて己の道を行く...。
そんな大樹のような人生を送りたいものです。

で思ったのですが、都道府県別で平均寿命を見たとき、上位に来るのは長野、沖縄、福井、熊本などのいわゆる「田舎」です。
東京や大阪などは決して高い順位ではありません。
この原因としては、もちろん空気や水がきれいだとか、農作業などで体を動かしている人が多いとか、人間関係のストレスが少ないなどの要因も挙げられるでしょう。

そんなことは百も承知で、田舎の方が長生きである理由の一つにあえて挙げたいのが「動かないこと」です。
「動かない」と言っても、「働かない」とか「体を動かさない」という意味ではありません。
必要以上にあちこち動き回らないということです。

多くの距離を動けばそれだけ危険にも晒されるし、ストレスも発生するはず...。
都会では長距離通勤をはじめとして、否応なく長い距離を移動させられことも多いし、好んで移動したがる傾向も強いように思います。
田舎だってスーパーや病院まで遠いなど個々の事情はあるでしょうが、総体的に移動距離は都会より少ないような気がします。
生まれた土地の周辺のごく狭い範囲だけで、いつも通りの毎日を送っている人の方が、長く生きるという点では有利なのではないでしょうか。

飛行機や新幹線で移動すれば長距離でも疲れないという意見もあるでしょう。
でも、これについては、私は昔から「移動時間と疲労は比例しない」という見解を持っています。
東京から札幌まで歩いて行く場合と飛行機で行く場合など、極端に時間が違う例はともかく、たとえば長野から東京まで新幹線なら1時間40分ですが、鈍行を乗り継いでも疲労度は変わらない気がするのです。
これは私が鉄道好きということもあるかも知れませんが、速い乗り物は無理して距離を縮めているようで、結局は疲れ方は移動距離に比例すると思っているのです。

だからどんなに時間が短縮されようが、最終的にはむやみに動かない人、人生における総移動距離の少ない人が長生きするのではないでしょうか?
職業で言えばやはり農家や商店主、医者、芸術家などでしょうか...。
...私も塾の近くに住んだ方が良さそうです。

p.s.試しに検索してみたら、同じようなことを考えている方がいらっしゃったのでご紹介しておきます。→「長生きは近距離生活」


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