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ことばを鍛え、思考を磨く 

長野市の小さな「私塾」発信。要約力、思考力、説明力など「学ぶ力」を伸ばすことを目指しています。

目立ちたくない!子どもたち

2005年07月26日 | 学習一般
「近ごろの子どもたち『目立ちたくない!』」という記事を見つけました。
7月14日の日経新聞掲載だそうです。

日経生活面

最近の子どもたちはリーダーになるより気配りを重視し、アニメなどのキャラクターも脇役に人気が集まっているとのこと。
ドラえもんやのび太よりスネ夫、アンパンマンよりバイキンマンだとか...。

大人がドラマのシブーイ脇役を評価するのとは次元が違うと思います。
「気配り」ってサラリーマンじゃないんだから...。

彼らにはホリエモンは「不器用」に見えるようです。
もっと器用にスマートに生きて行きたいということでしょうか...。
世渡り上手になりたいってこと?

今からそんなに小さくまとまってどうするの!

この記事では小学校の運動会や幼稚園の発表会(昔の学芸会)における、大人の側の「目立たせない配慮」が一因ではないかと分析しています。
例の「みんなで手をつないでゴール」とか、主役を複数で公平に演ずるとか、そもそも際だった主役のいない劇を選ぶとか...の誤った「平等」施策ですね。

これは当然、以前書いた子どもの自信のなさにも関連してくると思います。
「出る杭」が叩かれる世の中では、「人と同じことをしている方が楽」という横並び意識が蔓延し、率先して何かをやるというのはダサいことと見なされているのでしょう。
周りばかり気にして、波風立てぬようにと振る舞っていては、自信なんか生まれませんよね...。

日本の学校教育はいったいどんな人間を育てようとしているのでしょう?
幼い頃から人と違うオリジナリティを持つことを奨励し、プレゼンテーションやディベイトも積極的に授業に採り入れている欧米の教育とのギャップに愕然とします。

そもそも大人自身が、自分の生き方、考え方に自信ない人が多いのかな...。
流行ばかり気にして人と同じ格好をしたがる大人、新しいというだけで次から次へ物を買い換える大人、そしてテレビや新聞の報道を鵜呑みにして総バッシングに走る大人...。
自分の頭で考えず、外部に思想や行動の指針を求める大人が溢れています。

そんな大人を見ている子どもたちが「みんなと同じように」と考えるのは自然の流れです。
自分だけ違う意見を言ったり浮いた行動を取って、もし失敗したらどうしよう...という意識が働くのだと思います。

気配りに満ちた子どもにすることも大切ですが、今私たちが力を入れるべきは、泥臭くても逞しさのある人間を育てることだと確信しています。

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数量音痴

2005年07月24日 | 学習一般
今日は朝から家族で、高校野球長野県大会の準決勝を観戦しに松本市まで行って来ました。
毎年決勝戦を観に行っていて、今年も本当は今日が決勝のはずだったのですが、準々決勝の1試合が引き分け再試合になり日程がずれてしまったのです。

2試合ともいい試合でしたが、しかし...真夏の試合観戦は1試合が限度です!
とにかく暑い!
むき出しの肘から先だけが、海に行ったように真っ赤っか...ヒリヒリしてます。
そう言えば、子どもも大きくなったし、なんせ海が遠いので、海水浴なんか何年もしてませんねぇ...。

さて、本題です。

ときどき1mを10cmとか1000cmで計算している子を見かけます。
驚くことに中3でも珍しくありません。

で、そういう時にはまず聞いてみます。
私の思惑としては、

①「1mってどれくらい?」(→両手を広げて「このくらい」と示させる)
②「じゃ1cmってどれくらい?」(→今度は指で示させる)
③「じゃ1mの中に1cmが何個あると思う?」(→10でも1000でもなさそう...100個!)


...となってメデタシメデタシになるはずなのですが...どうもいけません...。
なにしろ①がでたらめなので...。

生徒が思っている1mは、大体において実際より不足気味です。
かなり短く、40~50cmしか手を広げないで「(1mは)これくらい」という子もいます。
え~っ...自分の身長で考えてみろよ...。
それじゃあ1m=100cmって実感できないよね...。
ただ丸暗記してただけでしょ...。

という展開になってしまって最初の思惑は見事にはずれ、結局1mの実態(そんな大袈裟なものか!)をわからせることから始めることになります。フーッ...。

長さばかりでなく重さ、嵩(かさ)、角度や時間、速さなど、いろいろな数量感覚がおかしい子が増えているように感じます。
どう見ても90度以上ある角度を、平気で「60度」とか答える生徒いませんか?
数が単なる記号としての意味しか果たしておらず、量というイメージにつながっていない...。
これでは暗記や公式に頼らざるを得ないのもうなづけます。

これに関し、一昨年長野県内の県立高校(8校)で実施した調査があります。
対象は高1と高2の317名。
信濃毎日新聞に昨年掲載された、その結果の一部をご紹介します。

*6cmの線分を示し「長さは何cmくらいだと思いますか?」という問に「10cm以上」と答えたのが20%。
 正解したのは23%で、誤差1cm以内の「5~7cm」でも60%弱。
*30度の角度を45度以上ととらえたのが2割。
*「一升瓶の容積は何立方センチ?」の正解は1%。


一升瓶の問題は難しいと思いますが、他の2つは高校生にしてはお粗末...。
生活体験の不足が原因なのでしょうか?
考えなければいけない問題がまた増えました...。

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自分を信じること

2005年07月20日 | 学習一般
昨夜のプロ野球で、横浜ベイスターズのクルーン投手が日本最速の161km/hの球を投げました。
どの新聞も今日のスポーツ欄のトップ記事はこの話題です。

巨人戦以外でテレビ(BS)で中継してくれる貴重な日と、平日で唯一9時前に帰ることができる火曜日が重なったので、阪神ファンの私はサヨナラ勝ちを信じつつ見ていました。

テレビで見ている分には今一速さの違いがわからないのですが、対戦した赤星は「150kmと160kmじゃ全然違う」と言っていたそうです。
よくバットに当ててファールにしたものです...。

ところでこのクルーン選手、今日の新聞によると、子どもの頃は貧しくて父親の顔も知らず、その後もずいぶん苦労したようです。
今は肩に「信」の字の入れ墨があるそうで、「自分のような者は自分を信じないと道を外す」という思いで頑張っているとのこと...。

昨日の記事で述べたように、自分の信念に凝り固まって傲慢になるようでは困りますが、まずは自分を信じることからすべてが始まります。

ある調査によると、日本の子どもたちには、諸外国の子どもに比べて自信のなさが目立つそうです。
河地和子「自信力はどう育つか」(朝日選書)

個人的な感覚では、中学生くらいからそういう傾向が現れてくるように思っています。
スポーツや友達付き合いが苦手...というのがきっかけになる場合もあると思いますが、やはり学業面でのつまずきがその発端になっている子が多いのではないでしょうか?

「これ違うよ」と言うと、途中式をじっくり見ることもなくとにかく全部消してしまう子。
「どうすればいいと思う?」と問いかけても、間違うことを怖れているのか、自分の意見を言わない子。
自分の答えが解答書とちょっとでも違うと×にする子。
...みんな自分の考えに自信がないのですね。

答えが正解か否かという結果だけを評価しているとこうなるような気がします。
自分はこう考えたからこういう答えを書いたんだ、どこがおかしいのか...とプロセスを分析することを大切にすれば、ここまでは合っていたとか、考え方は合っていたのに計算で間違えたとか、
少しでも自信の持てる部分が見つかるはずです。

解答書だって、先生の採点だって間違うことはあるのです。
証明など別解が複数ある場合もあります。
模範解答と違うからすぐ×ではなく、自分が解答に至った過程を客観的に分析できる、ときには問題集の間違いを指摘したり、別解を探すのを楽しめる...。
そんな中高生を育てるため、私は「あなたはどう考えたのか?」と問い続けます。

自分の思考、自分の感性に自信が持てない、自分を肯定的に捉えられないままでは、人生楽しくないですからね...。

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ゼロの発見

2005年07月01日 | 学習一般
昨日の小学5年生とのやり取りから...。

学校を休みがちで算数も十分練習できていない部分が多いのですが、理解力はとても高い子です。
4年のわり算(3けた÷1けたの筆算)で、、商の十の位がゼロになるとき、ゼロを書かずにやっていました。例えば625÷6が、104あまり1ではなく、14あまり1になってしまうのです。

一緒にやりながら、十の位には何も立たないけど、何もないという印にゼロを書かなければいけないことを伝えました。
そこから10進法の記数法などにも話が広がって、少し喋りすぎたかな?と思ったのですが、いつもこちらの話を目を丸くして、興味津々で聞いてくれるのでつい...。

そうしたら、その子が急に叫びました。
「じゃ、(0じゃなくて)×でもいいんだ!」

そうそう!ま、×ではかけ算と紛らわしいので問題ですが、その位に何もないことを表すには▽だって●だっていいわけです。
数字だって記号の一つですもんね。
ゼロの大事な役割の一つを彼女は自分で発見したのでした。
インド人もびっくり!

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考えるのはめんどう?

2005年06月18日 | 学習一般
ちょっと難しい問題にぶつかると、すぐに解き方や答えを知りたがる子が多くなっている気がします。
考えるのがめんどうなのか、10秒くらいで「わかりません」と助けを求める子、それさえ言わないでただボーッと考えてるフリをしている子...。
私は少しでも自分で考えさせたいので、とりあえず何か書かせます。少しずつヒントを出して何とか10%でも1%でも自分の力で解かせます。

手間を考えれば、全部教えてしまった方が楽なんですよね。教える方も、教わる方も...。でもそれじゃすぐ忘れてしまう。その場だけできても全く身についていない。意味も分からずやり方だけ覚えているのは一番タチが悪いのです。例えば小学校で速さ・時間・距離の関係を図にして「ハ・ジ・キ」と暗記させる教え方。お陰で、中学生のほとんどが「ハ・ジ・キ」に頼らないと速さや時間の計算ができない。そんなの実体験に即して考えさせれば、手間はかかっても概念をしっかり植え付けることができるのに...。

こういうことが多くて悩んでしまいます。今の学校や一般の学習塾で一番足りないのが、自分であれこれ試したり考えたりという「試行錯誤」の時間だと思います。自分で考える喜びを十分体験しないまま、勉強とは覚えること、教えてもらうことだと勘違いしたまま大きくなっている若者が多いような気がします。もしかしたら若者だけでなく、日本人全体にその傾向があるかも...。

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