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偶然の音楽/ボール・オースター(柴田元幸訳)/p6 感想その3「出立」

2018-01-23 20:41:11 | 本の要約や感想
ジム・ナッシュはミネソタの姉の家を出てから車で宛てのない旅を2週間続けた後、
ボストンの家に戻り、消防署へも復帰するが、やはり気持ちは落ち着かなかった。
考えた末に、ジムは消防署を辞め、家財を処分し、また旅に出る。

家財の処分の最後に、ジムが13歳の誕生日に母に買ってもらったピアノとの別れがあり、
その描写が印象に残る。

母がピアノを買ってくれたことを、ナッシュはこれまでずっと感謝してきた。それだけの金を捻出するのがどんなに大変だったか、彼もよくわかっていた。(中略) 音楽のおかげで世界がよりはっきり見えるような、目に見えぬ秩序のなかでの自分の位置がわかってくるような、そんな気がしてきた。(中略) がらんとした壁を聞き手に長いさよならリサイタルを行った。数十曲あるお気に入りを、ひとつ一つ弾いていく。クープランの「神秘な障壁」からはじめて、ファッツ・ウォーラーの「ジルバ・ワルツ」まで、指が麻痺して弾けなくなるまで鍵盤を叩きまくった。それから、過去六年間世話になってきた調律師(アントネリという盲人)に電話をかけて、ボールドウィン(ピアノ)を彼に450ドルで売る話をまとめた。(18,19p)


そしてまた目的も目的地もない旅が始まった。
夜通し十数時間を運転し、疲れ果ててモーテルに眠り、目覚めてはまた夜の道を疾走するのだった。

肝腎なのはスピードだった。運転席に座って、空間にわが身を投げ出す悦び。それこそがほかのいかなる善にもまさる至上の善となった。それはいかなる犠牲を払っても満たすべき渇望だった。自分のまわりの物は一瞬以上何ひとつ持続せず、瞬間から瞬間へと時が移っていくなかで、連続し存在しているのは自分だけのような気がした。何もかもが変化していく渦巻にあって、彼は一個の固定点だった。世界が彼の体を突き抜け、消えていくなか、完璧に静止状態にあるひとつの物体だった。(19,20p)


音楽と対峙する在り方の描写も重要だ。

運転しながら、バッハ、モーツァルト、ヴェルディのテープをえんえん聴いていると、まるで自分の中から音が湧き出てきて風景を浸しているような、可視の世界を彼自身の思考の反映に変えているような、そんな気持ちになってきた。三、四ヶ月も経つと、車に乗り込むだけで、自分が自分の体から離れていく気になれた。アクセルを踏んで車をスタートさせるだけで、音楽が彼を、重さの存在しない領域へ連れていってくれた。(20p)


ここで、ジム・ナッシュはなぜそんな目的のない旅に出たのかを整理しておくと、
たしかに発端は前回に書いたようにミネソタからの帰り道に道を間違えたことだ。しかし、
すぐに帰る必要のなさに気がつき、しかも金もあり、止める者もいず、暴走に至ったわけだ。
2週間後にボストンに戻り、自分の行動を顧みて、神経衰弱にでもなったのかと考えたが、
いや、ジムは糸の切れたような行動をものすごく楽しんだのだった。

ところが家に帰っても妻はすでに男と去り、今なら金はあるのに娘は姉の家族にとられてしまい(とられたというのは語弊がある。姉の家族は理想的で素晴らしく、娘のジュリエット自身もその環境を望んだ。しかしジムにしてみるとまんまと姉の家族にとられてしまったように感じられた)、つまりジムは自分の意味を失ってしまったといえるだろう。言い方を代えれば、存在価値を見失ったということ。しかし何度も言うが、遺産が入り今なら金はある。その時点ではまるで無尽蔵のように感じられるほどに金はあったのだ。姉の助言に従って念のために娘のために信託基金を作り、残った金の生む余裕でジムは旅に出た。それは意味、もしくは意義、自分の価値を見つけるために。

そういう瞬間(事故の危険性のこと)のおかげで、自分のやっていることに、危険という要素が加わる。それこそ何にも増して、彼が求めているものだった。自分の人生をわが手に引き受けているのだと、感じられることこそ。(21p)


それと同時に上にも書いたように、金を心配せずに好きな音楽を聴きながら右へ行こうと左へ行こうと誰にも文句を言われず全米を駆け抜けることは純粋に楽しかったのだろう。今まで必要以上に経済力に抑圧を受けてきた人生の青年から中年への過渡期にジムはまさにタガが外れた状態になったのだ。

そしてそんな旅の途中のカリフォルニアのバークレーの本屋で懐かしい知り合いの女性フィオーナと偶然に再会した。

つづく。
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