おばあのひとり言

日々の出来事を石垣からお知らせします。

お祭りです

2006年07月21日 21時29分15秒 | Weblog
 白保の豊年祭に行ってきました。人、人、人どこからあんなにたくさんの人が・・・と、ビックリです。

 石垣は豊年祭の季節です。たくさんの町で、たくさんのノボリ(幟)が上がり、なかなか見事です。
 祭りが、地元の人たちの手で、存続しているのは素晴らしいと思いました。地元の子ども達が練習した郷土芸能、おじさんたち、おばさんたちの踊り・・・

 都会の今の祭りは商業化してしまって、お金儲け主義が気になります。まあ、資金がないと運営できないのは分かりますが。

 移住者一年目の私達は、見るだけですが、いつか、一緒に指笛を吹いて、踊りたくなるかもしれませんね。
 

夏休み!

2006年07月20日 20時32分20秒 | Weblog
 明日は、高校の終業式です。石垣では、小学校、中学校はもう夏休みに入っています。なぜなら今年から、石垣の小、中学校は2学期制だからです。(昨年までは、2学期制と、3学期制の学校があってややこしかったようですが。)

 前期と後期の2期に分かれているわけで、通知表(通信簿かな?)も、もらわないで、夏休みなのです。まあ、その代わり、秋休み?があるわけですが、土曜、日曜をはさんで1週ぐらいしか休みはなかったと思います。夏休みなら、親の方も休暇をとりやすいと思うのですが。仕方ないのでしょうね。

 石垣の始業式は、8月です。内地の学校ではあまり考えられません。それに台風が来て学校が休校になることも多いので、夏休み登校なんてことも昨年はあったそうです。(昨年は5回台風が来ましたからね)

 今年の台風は週末が多いようです。今のところ学校が休校になったのは1日だけですが・・・
 
 またまた台風が来ています。週末から週明けにかけてやって来るようです。今、いろいろなところで、雨による災害が起こっています。天災を、侮らないようにしたいものです。 

心に残る・・・

2006年07月19日 20時55分55秒 | Weblog
 畑でパイプを運びました。肩に背負って歩いていると、ふと、昔学んだ随筆を思い出しました。

 遠藤周作の「聖書の中の女たち」だったと思います。
 その中のベロニカの話です。細部は忘れましたが、ゴルゴダの丘を十字架を背負って歩くキリストの描写を、思い出したのです。

 人は時たま、ふっと、何の脈絡もなく、全く突然に、つまらないことを思い出すものですね。
 
 「あー、キリストさん(?)しんどかったやろなぁ!」なんて。頭では大変だと理解していても、今になって実感したわけです。それがどうと言うことでもないのですが、2年前と全く違う種類の仕事をしていて、ふと思いされた・・・のが、不思議でした。それだけ心に残っていたのかな?

 暇があるのだから、心に残る本をたくさん読みたい、と思いました。そして、心に残る出来事をたくさん蓄えて生きていきたい、と思いました。

家事の日

2006年07月18日 20時11分02秒 | Weblog
 今日は家事の日です。朝から洗濯、掃除、エトセトラ・・・
 
 掃除はしなくても生きていけるけど、食べること、料理は絶対に必要と言うことで、家事全般は二の次に、過ごしてきました。30年間共働きだったし、母がいたときはあんまりしなかった家事ですが、やってみると大変です。

 玄関を掃いたり、ベッドのシーツを変えたり・・・(トイレ掃除は昔から私の担当でしたが・・美人の子どもが生まれると母に言われて・・)、古いタオルで雑巾まで作ってしまいました。

 でも本当にすきなのは、料理です。昨日頂いた、かぼちゃを和風に炊いて、ついでに、かぼちゃ羊羹まで作ってしまいました。冬瓜をコンソメで味付けして、ブタの薄切りを加え、後、冬瓜と、ブタに味がついたら、スライスチーズを乗せます。(お友達に聞いた料理法)とろーり、チーズが溶けて、とても美味しかったです。

 畑仕事とは全く違う種類の仕事ですが、家事も本気でやるとしんどいものです。明日は、また畑かな?

農園訪問

2006年07月17日 21時24分55秒 | Weblog
 
 朝から、三人で肉体労働。ただただ、パイプを運ぶだけ・・・一仕事終えて、海でチャプチャプ水遊びが、気持ちよかったです。

 そして午後から、お友達の、御両親がやっておられる農園に、連れて行ってもらいました。  
 もう、すごい数のパイン!美味しいパインとハーブティーを頂、いろいろ農園を案内していただきました。美しい季節の花々に囲まれて、青い海を眺めながらの、農作業。「大変だな・・・」とは思いましたが、生き生きと輝いておられる御夫婦を見て、「私たちも頑張らねば!」と思いました。帰りにたくさんのお土産を頂、おなかも心も満腹で、本当に嬉しかったです。(ありがとうございました)

 今まで、内地でも畑は作っていたけれど、私は収穫と料理と食べるだけ・・・主人は汗を流して、苗を植えたり耕したり・・・石垣に移住してきて、「これからは、わたしも、もう少し手伝わねば!」と決意を新たにしました。まあ、疲れない程度にね。

 

快晴!快挙!爽快!

2006年07月16日 20時16分25秒 | Weblog
 本物の太陽が石垣に戻ってきました。青い空と青い海、さわやかな風と一緒に・・・

 今日の石垣は、真夏のさわやかさが感じられました。そういえば、今日、夏の高校野球の沖縄代表が決まりました。八重山商工です!春夏連続です!12時過ぎの町は、静かでした。みんな家で、応援していたのでしょうね。我が家も、優勝が決まったとき、家族みんなで、歓声を上げました。

 しかし本当にすごいです。
 春の甲子園で、残念ながら負けたとき、甲子園の土を持って帰らなかったそうです。なぜなら、「夏にもう一度来る!」という、固い決意があったそうです。
 そして、部員が100人ぐらいもいる、クラブではなく、本当に野球をしたい子どもたちが、高校野球に出場したのですから・・・

 8月の石垣は、きっと熱い戦いに燃えているでしょう。甲子園には行けないけれど、石垣から、応援します。頑張れ!

本当の台風一過!

2006年07月15日 14時52分50秒 | Weblog
 やっと台風が、遠くへ行って、今日は後片付けです。建物や窓に葉っぱや塩がついているから、水で洗い流すのです。ホースをベランダまで運び、水をかけました。そして後は、掃き掃除です。ついでに臭かったワンちゃんも洗ってやりました。
 
 新聞にはいろいろな作物に被害が出たと書いてあります。パインやマンゴは輸送が出来ないので大変です。(結局、飛行機は2日ぐらい飛ばなかったみたいです)バナナも葉っぱが折れたり、花が落ちたりしているのでしょうね。

 バナナは私の幼い頃は、高級品で、病気のときとかにしか食べることが出来なかったように思います。(卵もね)そのバナナは大きな紫の花が咲いてその中に小さな白い花が咲くんです。そして、その小さな花が1本ずつバナナになるのです。当たり前なのですが、その花を見たとき、「本当だ!」と、実感しました。

 花の咲かないバナナのような木(芭蕉)から、沖縄の人は布を織ったのです。私もバナナの繊維を見せていただきました。「これから、布が!」人間の知恵と言うものは計り知れないなあと、感心しました。芭蕉布には手が届きませんが、バナナの繊維でタペストリーを作るつもりです。

台風一過?

2006年07月14日 20時47分10秒 | Weblog
  台風は、中国へ行ったと言うのに、まだまだ強い風が吹いています。雨も時折激しく降っています。普通、台風一過って、青空が見られるはずなのに・・・

 今朝、昨日の朝より強い風だったように感じたのに、今日は警報は出ていません。強い風の中、学校へ娘は行きました。(午後から登校してきた生徒がいたそうです)どんな基準で警報って出るのでしょうか?何か、あるのでしょうね。(きっとあると思いますが、難しそう)

 風が収まったら、雨がやんだら、濡れ落ち葉や木の実の後片付けをしなければいけません。パパイヤは8個落ちました。パッションフルーツの葉っぱはボロボロです。サトウキビも被害を受けているでしょう。

 しかし、人間って勝手です。旱魃で雨が降らないときはあんなに雨を欲しがっていたのに、今、台風がやってくると、「早く、去れ」と言う。自然には勝てないのにね。青い海が、雨のせいで、赤土が流れ泥色です。可哀想です。自然を守り、自然と共に上手に生活していく方法が、早く見つかりますように・・・

クッキーの後片付け

2006年07月13日 17時36分19秒 | Weblog
台風で娘は学校が休み、私たちも畑にも行かれず、幸い電気はついているので、テレビとビデオは大丈夫です。しかし、大した番組もないし、と言うことで、娘とクッキーを焼くことにしました。

 久しぶりです。娘がクッキーを焼くなんて、長女はケーキ作りが得意ですが、次女はどちらかと言うと、作ってもらう方・・・「手伝おう」と言う母心を無視して、「後片付けだけお願いね」(そうでしょう・・・洗い物と残ったクッキーの処分・・だからまた太るのだ!)苦笑

 「明日学校へもって行くんだ。」と作ったクッキー、つまみ食いをしましたがなかなか上手に出来ていました。

 「ご飯の後みんなでDVD見ようね。」妙に、娘を優しく感じました。台風もたまにはいいか。小さい台風でよかった。電気がついてなかったら何も出来ないものね。

母の刺繍

2006年07月12日 20時12分18秒 | Weblog
 朝から、畑仕事で汗を流して、午後からは、台風のため、雨が降ったりやんだりということで、自宅でぶらぶらしていました。そこで・・・

 むか~し、40年ぐらい前に、母が学校の椅子に使う座布団にフランス刺繍をしてくれました。母が亡くなった後も、捨てられず、何かに使えないかなあということで、今日新しい座布団カバーの上に、母の刺繍を貼り付けました。娘のために時間を作って、ひと針、ひと針心を込めて、作ってくれたのでしょうね。そのとき私は、感謝の気持ちを表したのでしょうか?多分、「ありがとう」の一言だけだったでしょう。(反抗期の真っ只中でしたから・・・)

 近頃、母のことをよく思い出します。なくなる前に「最後にもう一度沖縄へ行きたかった」と言っていました。今、娘が石垣に移住したのをどう思っているでしょう。
一緒に青い海を見たかったなあ、のんびりした石垣なら、もっと長生きできたのにと、残念でなりません。

 せっかくの素晴らしい環境で生活できるのですから、長生きしなくちゃ・・・
 私の座布団で再生した母の刺繍を見て、思いました。