三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

浅草聖ヨハネ教会(日本聖公会)

2013年08月28日 | 聖公会の教会
日本聖公会 浅草聖ヨハネ教会
(住所:東京都台東区蔵前2-7-6)

8月25日(日)、浅草聖ヨハネ教会(日本聖公会)で聖霊降臨後第14主日の聖餐式に参列した。「クーパー宣教師が浅草で伝道を始めたのは1876年のことでした。その翌年には最初の講義所が浅草区東仲町に開設されました。1928年に区画整理により浅草・南元町(現・蔵前2丁目)に現在の教会堂が与えられました。この建物は1945年の下町大空襲により炎上大破しましたが、教会や地域の多くの方々の尽力によって、1955年に修復献堂されたものです」(教会案内書より)。

地下鉄大江戸線の蔵前駅で下車。直ぐそこに、隅田川に架かる厩橋(うまやばし)がある。1945年の東京大空襲によって、厩橋周辺も火炎地獄と化した。ところが、大本営は「被害僅少、敵機撃墜!」とうそぶき、挙句の果てに「宮内省主馬寮は鎮火」と豪語。10万人の犠牲者よりも、皇居の一施設が優る狂気。国が不都合な真実を隠蔽し、メディアがそれに加担する過ちは、一昨年の原発事故でも繰り返された。だが、お上の権威に付和雷同する現代ニッポン人は全く懲りていない。

浅草聖ヨハネ教会に着いた。午前10時30分、聖餐式の開始を告げる鐘が鳴り、司祭が厳かに入堂。この日は日曜学校との合同礼拝だった。福音朗読は、イエスが言われた「狭い戸口」の場面(ルカ13・22-30)。大森明彦司祭は「狭き門は天の国へ通じる道。そのためには、イエス様の『善きサマリア人』などの教えを受け止め、神と隣人を愛する生き方が求められます」と話された。退堂聖歌を歌う。ロシア正教聖歌の父、ボルトニアンスキー(注)の調べが聖公会の礼拝で厳かに響いた。


聖堂内観(1928年竣工/1955年修復)


聖堂外観

(注)続々・東方正教会の聖体礼儀<前編>でも触れた、Dmitry Bortniansky(1751-1825年)。『日本聖公会聖歌集』に収録されているボルトニアンスキーの作品は、この聖歌530番「たそがれどきに」のみ。

◆聖餐式で歌われた聖歌:
ミサ曲(大栄光の歌、サンクトゥス、アニュス・デイ。キリエのみ読誦)、参入聖歌:530「栄光輝く」、昇階聖歌:448「み父よ 世の波」、奉献聖歌:515「深い愛により」、陪餐聖歌:269「朽ちぬ み糧を」、退堂聖歌:530「たそがれどきに」。(番号は「日本聖公会聖歌集」による)

◆主な参考文献など:
・「聖歌のしらべ 古今聖歌集作曲者略解」 佐藤裕著(聖公会出版・1987年)
・「東京大空襲」 早乙女勝元著(岩波新書・1971年)
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